私がキョンジャ(kyongja)と出会ったのはソウル近郊の城南(songnam)。当時、私の住んでいたソウル蚕室(chamsil)からバスで30分ほどの場所にある町だった。城南に南漢山城(namhan sansong)という旧跡があって、ハイキングに適していて多くの市民が訪れる。その日、私も南漢山城に登った帰り、城南の街をぶらついていた。その時、ふと目に付いたのが「sun plaza」というレストラン。韓国語で言うと”カペ(cafe)”、当時の韓国で若者に人気を得つつあったスタイルの飲食店だった。私はただ、店の名前に惹かれて入っただけだったが……。そう、東京に住んでいれば「サンプラザ」の名前を知らない者はいないだろうし、私も懐かしかった。
南漢山城
キョンジャはその店で働いていた。そして、どういう事の成り行きか、私はキョンジャと次の週に会う約束をした。
約束の場所にキョンジャがやって来た。しかしなかなか会話が成り立たない。キョンジャは日本語を全く解しないし、私は拙い韓国語。持っていたノートに何やら書いたり手振り身振りも総動員してキョンジャが言うには、近くに友だちが勤務しているところがあるので行って見ないか、ということだった。私は否も応もない。二つ返事でOKした。その友だちが働いているところは…、と言いながらキョンジャはノートに随分時間をかけながら「精神……」と書く。漢字を書くのは苦手らしい。精神病院にはあまり行きたくないな、と思っていると、キョンジャは「精神文化院」と書き上げた。
タクシーに乗り込んで、「精神文化院」というのは一体どんな所なのかと考えていたら、すぐ着いた。立派な建物で、全然病院らしくない。入り口に守衛室があって、中には入れない。国家機関の建物らしかった。キョンジャは守衛室に何かを言って、私たちは10分ほど待ったが、結局、その友だちは現れなかった。キョンジャは私に申し訳なさそうな顔をしたが、私はその友だちに会うのが目的ではないので平気だった。そんなことよりキョンジャと一緒にいられることが嬉しかった。
「精神文化院」の入り口の両側にはたくさんのムクゲの花が植えられていて、ムクゲを見るのは初めてではなかったが、未だ完全には開ききっていないムクゲがとても美しかった。その後、ムクゲを見るたびにそこのムクゲを思い出す。
一週間後、またキョンジャと会った。今度は梨泰院のディスコだった。
韓国語に「チョロプタ」という言葉がある。漢字で書くと「哲がない」とでも書くのだろうか。兎に角、韓国語では頻繁に使われる言葉で、辞書を引くと、思慮分別がないとか、頑是無いとか出てくる。「向こう見ずな愛」の原題は「チョロプトン サラン」(cholopton sarang)。「チョロプタ」に「愛」が付くと、日本語にはなかなか訳しにくい。「青春の特権」という言い古された言葉があるが、「向こう見ずな愛」は青春の特権なのかも知れない。
『チョロプトン サラン』
http://blog.naver.com/greenk6701?Redirect=Log&logNo=130005709688
恐れを知らない心で 愛を分かち合った
憎しみも知らず 別れも知らないまま
燃え上がる心で お互いを感じながら
永遠に香り続ける 二人の愛よ
別れは信じない 思い出が多すぎる
懐かしい チョロプトン二人の愛よ
忘れられないあなた もう一度愛して
美しい チョロプトン二人の愛よ
「チョロプトン サラン」は1987年の韓国における最大のヒット曲だ。歌手は洪秀哲といい、本人より実の兄がボクシングの世界チャンピオンとして有名だった。日本でも有名な趙容弼,全盛期を過ぎていたとは言え、あの年は完全に趙容弼を凌駕していたと思う。テレビ、ラジオは言うまでもなく、市場でも、日本では考えられないが、バスの中でも「チョロプトン サラン」はどこからでも聞こえて来た。
ディスコにいる間中「チョロプトン サラン」は何回も流された。キョンジャの踊りはダイナミックで私にはとても太刀打ちできなかった。