この掲示板の「華城への道」という続き物は毎回楽しく読ませてもらっているが、読みながら思い出した。「私の華城物語」。
韓国水原市の西隣に華城(fasong)市がある。80年代当時は華城郡と言った。この華城郡出身の歌手、いや韓国を代表する大歌手と言っても、最近の若い韓国人は答えられないかも知れない。
そう、趙容弼はここ華城郡で生まれ、中学時代まで過ごした。
80年代前半、私は趙容弼という歌手を知り、東京近辺で行われた公演はほとんど見に行った。80年代後半、仕事の都合で韓国に移り住んだ。
日本のTVで趙容弼の故郷の番組があって、趙容弼が華城生まれで、現在は違う人が住んでいるもの生家が残っているとの情報は得ていた。
「一度行って見たい」との募る想いが、やっと実現するときがきた。
私はいそいそと華城をめざして出発した。ソウルから水原までは電車、たどたどしい韓国語を使って目的地まで行くバスに乗り込むまで一苦労したことが昨日のことのようによみがえる。
趙容弼の父親、趙慶九氏は「塩田yomjon」の経営者だった。私は山国育ちなので正直なところ塩田を見たことは一度も見たことがなかった。バスの沿道に塩田がポツポツ見え始めだしたとき、趙容弼の生家に近づきつつあることを実感した。
バスを降り、畑仕事をしている人に道を尋ねながらやっと到着した趙容弼の生家。
古びた小さな家、しかしTVで見た、まさにその家だった。ある種の感動がこみ上げてきた。
あれからもう20年の歳月が流れようとしている。これが「私の華城物語」。
今、華城市では趙容弼の生家跡に記念公園を計画している。