桜井淳所長から京大原子炉実験所のH先生への手紙-『科学・社会・人間』No.106の感想-
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いただいた『科学・社会・人間』(No.107, pp.33-48(2008))のエッセー(吉岡斉「核災害による放射線影響の評価について」)を熟読・吟味してみました。これは、同人誌のエッセーですから、学会誌論文のような査読付論文ではないため、厳しいことを言うのは、酷です。学会誌論文には引用できません。そのため、ここで、第三者として率直な感想を申し上げておきましょう。
人によって読み方は、異なるものと思いますが、私は、以下の八箇所での吉岡先生の批判に違和感を持ちました。項目の下に簡潔にコメントを記しておきました。
【六ヶ所村再処理工場の想定事故の根拠、pp.34-35】
原子力発電所や再処理工場の使用済み燃料貯蔵プールの安全管理には、絶対的な信頼性が要求されており、もし、貯蔵プールからの大量冷却水漏洩や冷却系冷却能力低下・故障が生じれば、崩壊熱のために、使用済み燃料は、溶融します。そうすれば、大量の放射性物質が施設内外に放出されることになります。よって、安全評価や災害評価においては、考慮すべき代表的な事故です。設置許可申請書において、記載していないのは、不必要だからではなく、現実的に、非常に困る想定になるためです。批判の対象になっている原子力資料情報室の上澤千尋先生の想定事故(事故原因は、特定せず、燃焼度55000MWD/tで冷却期間1年間の貯蔵燃料3000tの1%の30tが溶融し、各組成核種が放出されると想定、「原子力資料情報室資料」No.381, p.6より)は、災害評価の考え方として、不自然ではありません。ですから吉岡先生の批判は的外れです。
【静的な施設の事故発生確率の解釈、p.40】
確率論的安全評価研究者の間では、「停止中の原子炉は安全か」という問いかけがありますが、この場合の原子炉とは、軽水炉を想定しており、たとえば、原研では、過去にそのような研究を実施しており、論文が発表されていますが、結論は、運転中のものと大差ないというもので、決して、静的な施設が安全でも、事故発生確率が低いわけでもありません。よって、山名元『間違いだらけの原子力・再処理問題』(ワック株、2008, p.99等)を引用しても、論証にはなっていません。ですから吉岡先生の批判は的外れです。
【プルサーマル炉心での想定事故におけるプルトニウムの環境放出の解釈、p.40】
吉岡先生は、p.40における大橋弘忠先生(東大)の反論が正しいとして、原子力資料情報室の作成した検討結果を批判していますが、何が正しくて、何が間違っているのか、いまのところ、判断基準がありません。ですから吉岡先生の批判は的外れです。
【チェルノブイリ4号機事故におけるプルトニウムの環境放出の解釈、p.41】
たとえ、「プルトニウムによる放射能汚染密度は、チェルノブイリ近傍(10-40km)ではセシウムの2桁ほど下回るにとどまるが、遠方(200-250km)では、4桁も下回る」(p.41)なる第三者の論文の一部を引用しても、参考資料にはなるものの、事故時の諸条件によって、大きな差が生じることが推定され、チェルノブイリの事例だけでは、論証不十分です。ですから吉岡先生の批判は的外れです。
【自身のディフェンス能力、pp.43】
吉岡先生は、「筆者は原子力工学の専門家ではないこともあり、核施設の苛酷事故リスクについて緻密な議論を展開する能力を持たない。言い方を換えれば、政府審議会の場において、苛酷事故リスクを主たる論拠として核施設の廃止を主張し、なおかつ、その主張をディフェンスする能力を持たない」(p.43)と自己弁護していますが、ならば、批判する能力は、まったくありませんので、お止めなさい。ですから吉岡先生の批判は的外れです。
【瀬尾コードにおける急性放射線症の取り扱い方法、pp.35-37】及び【瀬尾コードの利用価値、p.44】
瀬尾コードにおける急性放射線症の取り扱い方法は、吉岡先生がかんぐっているような故・瀬尾氏による理解力の欠如に拠るものではなく、WASH-1400(1975)においても同様の取り扱い方法になっており、吉岡先生がこだわっている原爆での急性放射線症の取り扱い方法と異なり、原発災害評価では、被ばく線量に寄与する放射線は、放射線線量から被ばく線量の算出に大きく影響する加重係数の大きな中性子線やアルファ線ではなく、加重係数1のガンマ線やベータ線であって(想定条件によってはアルファ線の影響も多少考慮しなければなりません)、利用に当たって、工学的には、有意な差は生じず、支障がありません。ですから吉岡先生の批判は的外れです。
【瀬尾コードによる原発災害評価の信頼性、p.44】
上記項目での根拠からして、信頼性は、損なわれていません。ですから吉岡先生の批判は的外れです。
全体に共通していることは、吉岡先生は、根拠のない原子力界の建前論を尊重し、引用していることです。行政側と対峙しないで、故人となってしまった高木仁三郎氏や瀬尾健氏を批判の対象にしているだけでなく(生存している時に批判せず、反論できない故人になってからの批判は、好ましいやり方ではありません)、原子力資料情報室の上澤千尋先生まで俎上に乗せており(論点はあまり本質的でないいちゃもん)、目的が何なのか、理解に苦しみます。特に、瀬尾コードに対する議論の仕方は、石川迪夫氏(元原研)や「エネルギー問題に発言する会」(原子炉メーカー等の退職者により構成されている組織)のような原子力界の右派と同じです。私が吉岡先生の議論の仕方に許容しがたい違和感を持ち始めたのは『原子力の社会史-その日本的展開-』(朝日選書、1999)からでした。今回はそれよりもはるかに質が悪くなっています。
私は吉岡先生の以下の点について疑念を持っています。いつか学術的・体系的に整理しておかなければなりません。
(1)査読付原著論文が少ない(特に、ファーストオーサーの英文原著論文がない)(学位論文が書けない)
(2)査読付原著論文における論証の不十分さ(文献引用が不適切)
(3)著書における物理的・工学的内容の記載の意識的ごまかし(物理学者や工学者ならば、もっと、ポイントを具体的に記載するはず)
(4)著書に解釈ミスが目立つ(たとえば、『原子力の社会史-その日本的展開-』等)
(5)右往左往する思想(著著を刊行順に読むとそのことがよく分かる)(現在、自身で、"異論派御用学者"と名乗っているようです)
なお、(2)(3)(4)については、本欄バックナンバー参照。
取り急ぎご報告まで
桜井淳
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