第3講 クニノトコタチ
***第3講・古事記読み下し文*** |
『次に成れる神の名は、国之常立神。次に豊雲野神。この二柱の神も亦、独神と成り坐して、身を隠したまひき。』 |
***第3講・古事記真解講義***
「古事記」冒頭の“別格五柱神”が天皇族(アマツ)系の、最初から国家システム・レベルのトップ・リーダーたちであるのに対して、クニトコタチ神・トヨクモノ神の方は、日本列島縄文人(国民族:クニツ)たちの神です。
クニトコタチという神こそ、実は日本列島縄文人たち(日本国民)の始祖神です。クニトコタチは、遙か旧石器時代からの「巨石・巨木崇拝信仰」のその巨石・巨木で示されます。
“ストーン・サークル(環状列石)”の中心に直立している巨石が、クニトコタチなのです。この直立している巨石・巨木は、男性シンボルの象徴なのです。それを囲む環状列石の方は女性シンボルの象徴です。つまり、生命力への祈り、子孫繁栄の祈りなのです。 遙か原始時代の人類は、一般の生き物たちと同様に、沢山子を産んでそのうちの何人かが大人になって、また子孫を繋いで行くという時代が続いていたのです。多産しなければならなかったのは、多死だったからでした。巨岩・巨木への信仰は、生命への強い信仰なのです。
クニトコタチとは、どんなリーダーだったか。それを、宮沢賢治は「雨にも負けず」の詩で、自分一人で皆のために東奔西走して自己犠牲するばかりのデクノボーとして、描きました。
自分一人で皆のために自己犠牲するばかりのりーだー、それがクニトコタチなのです。それが自然発生の初源のリーダーなのです。しかしクニトコタチが初源のリーダーにすぎないのは、例えば今でも、従業員たちがいるのに自分一人でお茶くみから小間使いまでやって、従業員たちに何もさせないような中小企業の社長がいるのです。本人一人で超多忙で、しかし従業員たちをただ遊ばせているような中小企業の社長さん。
そういうクニトコタチ社長の中小企業は、果たして発展するでしょうか。そう、絶対に発展しません。何故なら、社員たちを育てない、従業員たちを一人前にしないからです。自分が何もかもやってしまうリーダーは、誰も育てないのです。自己犠牲の神様の宮沢賢治は、誰も育てませんでした。
クニトコタチは、お墓の墓石にしかなりませんでした。リーダーが何もかもして、誰も育てない世界は、永久の停滞=死でしかなかったのです。日本国民(クニツ)は、クニトコタチを克服しなければ、天皇族との落差を克服できないのです。