前回に続いて、日本軍のスパイとして処刑された川島芳子が長春(中国吉林省)に逃亡していたという新証言。11月、地元紙「新文化報」の記者が発掘した。インターネットで記事を見て、あっと思った。「方ばあちゃんは芳子だった」と証言をした画家、張〓(ぎょく)さんが古い写真をもとに描いた肖像画が、金黙玉(もくぎょく)さんにそっくりなのだ。
黙玉さんの満州名は愛新覚羅顕〓(けんき)。芳子の末の妹で今年90歳になる。自伝「清朝の王女に生れて」(中央公論新社)によると、男言葉を使う芳子に「チビ」と呼ばれて可愛がられた。
少女時代、学習院で学んだ。以前、北京でお目にかかったとき歯切れのいい日本語でなんでも気さくに話してくれたが、芳子の話だけは「バカな女、それだけよ」としか言わなかった。細面で鼻の大きい立派な顔立ちが、肖像画と同じだ。
新文化報の記者は黙玉さんに電話インタビューして「私は処刑後の写真を見ました。あなたが聞いた話はでたらめよ」という否定の談話を掲載している。口調がいかにも黙玉さんだ。
だが記者は納得しない。遼寧省の瀋陽に住む愛新覚羅一族の長、愛新覚羅徳崇氏に会いに行く。徳崇氏は、満州国皇帝溥儀(ふぎ)と家系図上で同格の「宗族兄弟」だ。
徳崇氏は子供のころの思い出を淡々と語った。1955年ごろマフラーを巻いた女性が家に来た。父に深々と満州式のお辞儀をした。満州語と日本語でなにか話をしていた。亡くなった姉が「あれが有名な金璧輝(へきき)(芳子の中国名)よ」とささやいた---。
張〓さんは、方ばあちゃんから日本語を教わっている。いまも覚えている「蒙古姑娘(モンクークーニャン)」を記者に歌って聞かせた。芳子が作詞してレコードになった「蒙古の唄」らしい。
替え玉処刑説は、早くから流れていた。上坂冬子氏の「男装の麗人・川島芳子伝」(文春文庫)は、金の延べ棒10本をもらう約束で芳子の身代わりに妹を出したが4本しかくれないと監獄長を告訴する書面が監察院に出されたという当時の報道を紹介している。
上坂氏は半信半疑ながら「銃殺刑に処された」とあとがきで結論している。上坂氏も黙玉さんに取材しているからだろう。しかし、いま黙玉さんは例の記者に「もういい年だから、なにもいいたくない」と語っている。言外に含みがあるようにも思える。(専門編集委員)
毎日新聞 2008年12月4日 東京夕刊
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