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ハンセン病:元患者・平沢さん70年ぶり帰郷、「生きてきてよかった」 /茨城

 ◇目に涙浮かべ喜び 古河・母校の小学校で講演、親類の姿はなく

 「おかえりなさい、平沢さん」。4日、約70年ぶりに実名で帰郷した古河市出身のハンセン病元患者、平沢保治(やすじ)さん(81)を、母校の後輩や幼なじみがあたたかく迎え入れた。平沢さんは「生きてきてよかった」と目に涙を浮かべて喜びを表現する一方、今も地域に残る親族の姿がないことに触れ、ハンセン病を巡る問題の根深さを訴えた。

 母校の市立古河第二小学校であった講演で、平沢さんは入所直後は何度か実家に戻っていたことを明かした。周囲に見つからないように夜道を通って裏口から入り、来客があると奥座敷に身を隠したという。「そのみじめさと言ったら。古河の駅を出るときにもう二度と帰らないと思っても、生まれたところにすぐ戻りたくなった」と振り返った。また「きょう私は華やかに帰ってきたが、親類は体と心を縮めて1日を過ごしているかもしれない」と述べ、今も社会に残る偏見に直面する親族の思いを案じた。

 講演を終え、児童から拍手で見送られた平沢さんは右手を力強く挙げ、振り絞るような声で「ありがとう」と応えた。顔を両手で覆い、小さな背中は震えていた。しばらく涙が止まらなかった。数え切れないほど講演したが、人前で涙を流したのは初めてだった。

 講演を聴いた6年の藤田愛梨子さん(12)は「どうしてもっと早く解決することができなかったのだろう。私たちが頑張って差別をなくしていきたい」と話した。また、母校で出迎えた幼なじみの一人で、実家が約50メートルの距離だったという松橋喜一さん(81)は「昔の面影が残っている。年月がたつが覚えていてくれたことに感激した」と笑顔を見せた。羽兼尚一さん(84)は「隣組でみんな付き合っていたんだ。知っているどころか知り抜いているよ」と照れくさそうに言った。

 「来る前は最初で最後と思ったけど、最後でなくなるかもしれない。こんなに大騒ぎしないで簡単に帰れる古里になればいい」。平沢さんはそう笑うと、卒業したころに植えられたというイチョウの木を見上げた。木の高さは10メートルを超えていた。【八田浩輔、宮本寛治】

毎日新聞 2008年12月5日 地方版

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