玄倉川の岸辺
悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです
国籍法とDNA支配
政治・外交 / 2008年12月05日
改正国籍法が国会で可決成立した。
これでネットの空騒ぎも沈静化するだろうとほっとしている。
だが、煽ったり煽られたりした人たちがどれだけ正気を取り戻すのか、反省してくれるのかあてにできない。憂鬱だ。

騒ぎが始まったときから、国籍法改正反対運動の意味がわからなかった。今でもわからない。
私は法律の素人だけれど、「素人が常識的に考えて」(反対派の人たちが好む言い方)特別に問題のない、いや、憲法を守り人権を擁護するために必要な法律だと感じる。憲法とか人権という言葉にアレルギーを起こす人たちもいるが、与党政治家を国賊よばわりして何のお咎めも受けずにすむのはそれこそ憲法と人権のおかげである。

 今度の改正は、最高裁判決が出ているので改正案以外に変えようがない(DNA義務付けが無理なんて法律のプロならわかることです。)という事情、専門家からは長年にわたって問題点として指摘された点を、諸外国でとっくの昔に実施し、国際的な人権規範で認められた最低水準にあわせるだけという内容の穏当さ、生後認知された非嫡出子に国籍を与えるに過ぎないという影響力の小ささ(法務省は年間700人程度といっているらしい。過去分がどのくらい届出るかわからないが、まあそんなもんでしょ)、改正案の審議の段階から報道されているという内容のわかりやすさ(報道されていないなんてウソですよ。)、いわれのない差別の解消の必要性という大義名分、・・・もっともモめる要素のない法案だった。
 それが、衆議院の可決直前になって、デタラメな情報がネット上に飛び交って、議員も巻き込んでの大騒動。法案の趣旨は完全に没却され、あたかも偽装認知防止法を議論しているかのようだった。

改正国籍法成立雑感 - いしけりあそび

「いしけりあそび」さんは入国管理事案の経験豊かな弁護士だ。実務の現場から「国籍法改正反対運動」のバカらしさを伝えてくれてとても勉強になった。
そもそも反対派が問題にする「偽装認知」なる概念自体が私にとって「?」である。これまで認知拒否トラブルについて聞いたことはあるが「偽装認知」なる言葉は初耳だ。「認知」というのは身に覚えのある男にとってさえ大事である。まして偽装のために認知を利用させるなどというのはよほど自暴自棄でないとできない。戸籍を売り渡すのと同じレベルのヤケクソである。言っちゃ悪いが、偽装認知を軽く見ている人たちは「身に覚えのある」経験をしたことがないんじゃないか、だからリアリティが持てず妄想にとらわれるんじゃないかと疑ってしまう。
「偽装認知が人身売買に利用され日本人男性が戸籍を売り渡して何十万という不良外国人(の子供)が日本国籍を取得し治安を悪化させ生活保護を食いつぶして日本滅亡!!!!!」 …という反対派の想定するシナリオははっきり言って妄想である。多少誇張してはいるが、「国籍法 改悪」で検索すると大差ない主張をしているブログがたくさん見つかる。それどころか国会でおかしな質問をする「愛国者」「リベラル派」議員までいる。まったくあきれてしまう。
念のため言っておくと、私は経団連や一部の政治家が主張する「移民の大量受け入れ」には反対である。だが、今回の国籍法改正と移民受け入れの是非は別の問題だ。国籍法改正阻止を移民受け入れ反対の砦のように思っている人もいるが、迷惑な話である。移民大量受け入れを懸念するのは国籍法改正反対運動のような妄想やレイシズムとはまったく違う。

厄介なのは「DNA鑑定を義務付けるべき」という主張だ。
それはギャグで言ってるんですか、正気ですか、という感じなのだが、反対派は真剣らしい。まったく勘弁してほしい。
私の理解するところでは、日本の戸籍制度で実の親と認められる条件は「婚姻」「出産」「認知」である。DNAという概念は組み込まれず、場合によっては排他的に扱われる。
いい例が「代理出産」だ。向井・高田夫妻に対する最高裁判決で明らかにされたように、「出産した女性(代理母)が母親とされる」のであって、卵子の提供者である向井亜紀氏は実母と認められなかった。この場合も、夫である高田延彦氏が非嫡出子(婚外子)として認知すれば高田氏の実子と認められる。仮に高田氏が無精子症で第三者の精子を利用していたとしても、である。
私は「代理出産」とはDNA信仰によって生まれた「寄生出産」でしかないと考えている。DNAにこだわらず婚姻・出産・認知を基本とする日本の戸籍制度は正しい。仮に遺伝関係を基盤に実子認定するとしたら、制度の土台から組み替えることになりかえって社会的混乱がおきる。「代理出産」賛成派にとっては「DNA支配の勝利」ということで歓迎されるだろうけれど。

私は基本的な信条として「日常生活ではDNAを気にしない」ことにしている。
DNAにこだわりだすときりがないが、こだわってもろくなことがない。両親に学歴がないからといって「自分も頭が悪いに違いない」と思い込んで勉強しない子供がいたら叱らなければいけない。逆に両親が賢いから自分も利口なのだとうぬぼれて宿題をサボる子供もやはり叱る必要がある。DNAに違いがあろうとなかろうと同じことである。人種・民族差別や障害者(色弱など)差別についてはいうまでもない。
医療とか限界的なスポーツなどでは、わずかな遺伝的違いが大きな意味を持つこともあるだろう。DNA診断で自分の体質に合う薬を見つけるのは結構なことだ。とはいえ、DNAを重視するあまり「優生学」まで突っ走ると人権侵害になる。
まして、戸籍とか国籍といった社会制度(法律)の問題でお手軽にDNA鑑定を持ち出すのはよろしくない。実際にトラブルが起き、通常のやりかたでは解決できないとき関係者すべての同意によってDNA鑑定を行うのに反対はしない。だが「トラブルを未然に防ぐためDNA鑑定を義務化する」のはDNA信仰の行き過ぎであり乱用である。
私にとってはあくまでも「人間 > DNA」である。実際に生きている人間をDNA概念の下に置くような考え方は危険だ。気軽に「DNA鑑定の義務付け」を言う人たちは自分自身を、いやすべての人間をDNAの奴隷におとしめる危険への警戒心が足りない。

参考記事
 e-politics - 国籍法改正
   反対派の疑問・批判に対してひとつひとつ答えている

 ○○○!知恵袋 国籍法は改悪なんでしょうか? - いしけりあそび
 どうしてもDNA鑑定が気になるけど、冷静に、法的な思考をする準備はあるよ、という方へ。 - いしけりあそび
 自由帳で数学とか物理とか | 【国籍法】DNA鑑定の義務を改正案に書けない3つの理由
 想定される偽装認知? - モトケンブログ
 田中康夫氏が示した視点? - モトケンブログ
 国籍法改正案でデマを流布する人々 - 白砂青松のブログ
 la_causette: 想像力の方向と読解力
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ゲーリングの尻尾
政治・外交 / 2008年12月04日
どうしても田母神元幕僚長が気になる。

航空幕僚長を退任し制服を脱いだのだから、彼はすでに一民間人にすぎない。
失礼ながら、右派の論客としてレベルが高いとも思えない。たかじんの番組で勝谷誠彦あたりと馴れ合ったり「Will」で手記を書く程度がお似合いだ。NHKの討論番組に出演したり「文芸春秋」に寄稿する田母神氏の姿は想像できない。
自衛隊の中にある「田母神的なもの」は大問題だが、田母神氏自身はすでにただの人である。外から自衛隊員に影響を与えられるほどのカリスマはないだろう(と願う)。
それなのに気になって仕方がないのは、私自身の中に田母神氏と似通った部分があるからだ。昔の失敗を思い出してしまい、やりきれない思いと恥ずかしさが津波のように押し寄せる。田母神氏自身が「私の何が悪いのか」という顔をしているところがまたシャクにさわる。もう本当に勘弁してほしいのである。

もちろん私は田母神氏に会ったことも話したこともない。
以下に書くことはすべて単なる想像でしかない。読者の方はそのつもりでお読みください。

田母神氏の基本的な性質は「お調子者」だ。
アパ「論文」問題の経緯を見ればわかる。身内で(隊内誌で)気持ちよく吹いていた持論を航空幕僚長の肩書き付きで外部に発表した。何が起きるのか予測したり覚悟を決めた形跡はない。びっくりするほどの無邪気さだ。
ミラーを見ずに車線変更して隣の車にぶつけたドライバーが「まさかぶつかるとは思わなかった」「いつもこういう運転をして問題なかったのに」と言い訳したら怒るよりも情けなくなる。サンデードライバーならまだしも、勤続何十年のプロドライバーなのだから恐ろしい。

「お調子者」を聞きかじりの心理学用語で言い換えると、陽性の循環気質(躁)ということになるのだろうか。
私も循環気質の比率がかなり高い(と自分では思っている)。田母神氏と違って基本的には陰性(鬱)なのだが、状況によって躁に転じることがある。物事がうまく行ったり、人にほめられたりすると「これが俺の実力だ」と調子に乗る、ホラを吹く、無計画無責任になる。周囲に迷惑をかけ、自分も恥をかき、しかもそれに気付かない。気付いたときには後の祭りだ。
これまで何度も調子に乗って失敗してきた。具体的なことは言わない、というか恥ずかしくて言えない。もう本当に勘弁してください反省してますからごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

おそらく田母神氏も、自分自身がお調子者であることを知っているのだろう。それくらいの自己認識ができなければ航空自衛隊のトップまで上り詰めることはできない。自らの性質をコントロールし、武器として生かして「あいつは面白い男だ」「なにか大きなことをやってくれそうだ」「田母神に期待しよう」という雰囲気を盛り上げたのだろう。陽気な男は好かれやすい。
「空軍」のトップということで、ドイツ第三帝国空軍「ルフトバッフェ」の総帥、ヘルマン・ゲーリングをつい連想してしまう。ゲーリングは知能指数が高く陽気でエネルギッシュな男で、「ふとっちょ」「ヘルマンおじさん」などと呼ばれてドイツ国民になかなか人気があった。だが航空行政と軍事指導では無能で、ルフトバッフェを強化するより混乱させ足を引っ張ることのほうが多かった。
念のために言っておくと、ゲーリングを連想したのは田母神氏をナチ呼ばわりするためではなく、「お調子者の空軍トップ」という点が似ていると感じただけである。私は彼らのイデオロギーではなく能力(無能さ)をなによりも重視する。

自分がお調子者であることを知り、それをコントロールしてきた田母神氏は立派である。私には真似できない自制心の持ち主だ。だが、彼が「将」となり航空幕僚長まで上り詰めたとき、つい気が緩んだのではないか。大きな肩書が付くとどうしても人は自分を立派だと思い正当化したくなる。「調子に乗って失敗してはいけない」という自制心よりも「調子よくやっている人(国)を騙すのは悪いことだ」という自己正当化と「敵」への批判に傾く。
そういう心理状態で日本の近現代史について考える。「日本は立派だった、正しかった。悲惨な戦争になったのはコミンテルンの陰謀のせいだ」という「正しい歴史認識」は田母神氏にとって心地よく思えただろう。あとはアパ「論文」まで一直線だ。

もしも私が田母神氏と日本の近現代史について話をするとしたら、「大日本帝国の発展は順調だった(調子に乗っていた)」という点では一致するだろう。世界史にまれなスピードで近代化し国力を高め、一等国を自称し国際連盟の常任理事国にまでなった。ノリノリのイケイケである。
だが日中戦争・太平洋戦争・敗戦という破局への評価が違う。田母神氏は「せっかく調子よかったのに騙されて(コミンテルンの陰謀)ひどい目にあった、日本は悪くない(自分も悪くない)」と主張し、私は「調子に乗りすぎて大失敗した、同じことは繰り返すまい(迷惑をかけてすみません)」と言う。

世間では田母神「論文」事件について語るとき彼の歴史観を問題にすることが多い。右派は「これこそ正しい歴史認識だ、田母神氏は立派だ」とほめたたえ、現実的な保守派と左派は「偏っている、事実認識から間違っている」と批判する。
だが私は田母神氏の歴史観そのものは「論文」問題の中でいちばん論じる価値がないと思っている。かの「論文」は田母神氏自身が認めている通りの安直なものだ。右寄りの本から都合のいい二次資料をツギハギしただけの代物で、まともに擁護したり批判するに値しない。

それよりも「田母神タイプの人物に国防の責任をゆだねていいのか」「お調子者がトップになると防衛力は強まるのか弱まるのか」を論じてほしい。歴史認識問題は形而上学だが、国防は鉄と炎を制御する現実の問題だ。
私にとって田母神問題とは歴史認識問題ではなく、なによりも「ゲーリングの尻尾」問題なのである。

ちなみに、ゲーリングが愛用していたルガーP08のカスタムモデルが日本でモデルガン化されている。



("I Love Western Arms"さんより)


実は私も約20年前から持っていたりする。
ときどき手にとって眺めては「金ピカで悪趣味だなあ」「ルフトバッフェがどれほど優秀な飛行機とパイロットをそろえても、こういう銃を喜ぶようなお調子者がトップにいたら負けるわけだ」と思う。

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田母神元幕僚長とキャプテンハーロック
政治・外交 / 2008年12月02日
「田母神元幕僚長の核武装論」の続き。

「田母神 核武装」でブログ検索すると、右側の人たちは「よく言った、核武装は当然」と歓迎し、左側の人たちは「核武装なんてとんでもない」と怒っているようだ。私のように「是非を論じる以前に田母神氏は愚かすぎて話にならない」と呆れているのは少数派らしい。

私は「プロの仕事」とは素人の夢を具体的な形にすることだと思っている。流行りのビジネス用語でいえば「ソリューションの提供」だ。
逆に、素人さんが「プロならこれくらい簡単だろう」と期待することであっても、それが困難あるいは不可能なときはちゃんと説明するのがプロの仕事である。安請け合いして素人を騙すのは詐欺師のやりかただ。

WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)のテレビ中継に黒柳徹子がゲストとして呼ばれたらどうなるか。彼女は野球のことを何も知らないので頓珍漢なことばかり言うだろう。プロのアナウンサーと解説者なら、内心では「とんでもないゲストだ」と呆れながらも怒ったり迎合したりせず、うまくあやして徹子さんに野球知識を教え野球ファンになってもらえるよう努力するはずだ。
日本チームが8対0で負けていて9回裏の攻撃になったとする。黒柳徹子は「9人全員がホームランを打てば逆転できますね、原監督はホームランのサインを出すんでしょう?」と訊くかもしれない。そんなとき真面目な解説者なら「9連続ホームランは確率が低すぎて作戦として成り立ちません。打線をつなげる、ランナーを貯める、相手ピッチャーを揺さぶって勝機をつかむのが指揮官の仕事です」と説明するだろう。ユーモアのある解説者なら「9連続ホームランですか、すごい発想ですね。私たちにはとても思いつきませんよ」とジョークとして対応する。
「もちろん9連続ホームランを狙いますよ、勝ちたいですからね」と素で同意する解説者がいたら視聴者はびっくりする。「この人は正気なのか」「酒でも飲んでるんじゃないか」「そんな作戦で勝てるはずがない」と呆れるはずだ。

「敗戦まぎわの日本に原爆があり、広島・長崎の報復としてアメリカに落とすかどうか選択できる」という仮定は「9連続ホームラン」と同じくらい、いやそれ以上に現実味がない。単なるフィクション、気楽なジョークとして面白がるのがせいぜいで、軍事のプロが真面目に答えるような話ではありえない。
ところが元航空幕僚長の田母神氏は「9連続ホームラン」レベルの与太話にうなずいてみせたのである。これが呆れずにいられるだろうか。

「大日本帝国が昭和20年までに原爆を完成させる」という前提から逆算したら、歴史はどうなるだろう。
現実のアメリカと同程度の苦労、仮に「国力の10%」で日本が原爆を作れたとしたら、それは日本の国力がアメリカ並みということだ。そうであれば真珠湾以前の日米交渉はまったく違うものになる。アメリカは日本の意思を尊重せざるを得ず、ハルノートなど出せるはずもなく、太平洋戦争自体が起きなかった。
日本はやっぱり貧乏国で、国力の50%をつぎ込んでようやく日本版マンハッタン計画を遂行したとする。その場合は中国や南太平洋の戦場に回せるリソース(兵器・物資)が大幅に減ってしまい、昭和20年より前に日本は負けていただろう。
どちらの仮定にしても、あるいはその中間にしても、「昭和20年、日本の原爆」という仮定には無理があり、歴史への影響が大きすぎる。まじめな研究よりもファンタジーとして読まれる仮想戦記(あまりに荒唐無稽なものは火葬戦記と呼ばれる)のほうがふさわしい。

田母神氏は制服を脱いだとはいえ航空幕僚長まで務めた軍事のプロのはずだ。プロが真面目に核武装の必要性を訴えるとき、「9連続ホームラン」レベルの与太が入り込む隙があってはならない。「1945年当時の司令官だったとして、米国に対して原子爆弾を使う能力があった場合、どうするか」という質問をされたとき田母神氏は「私は真面目な話をしている。核武装は現実に可能であり日本に必要なんです。ふざけた質問をされるのは心外だ」と怒ってもよかった。
ところが彼は、「それは、その状況になってみなければ分かりませんが、まぁ、『やられれば、やる』のではないかと思います」と素で肯定した。トンデモを鵜呑みにしたのである。その瞬間「田母神氏終了のお知らせ」のチャイムが鳴り響いた。歴史認識が偏っていても、政治的配慮ができなくても、軍事のプロとしての識見があれば最低限の敬意を持つことができる。だが、核武装を訴えつつ与太話にうなずいてみせるようなタワケモノは軽蔑するほかない。迂闊にもほどがあり、愚かさにも限度があるというものだ。

ここまでは田母神氏の核武装論が真剣なものだとして批判したけれど、彼が悪ふざけとして、ジョークとして核武装論を言ったのだとしたらどうだろう。彼の真意を知る由もないが、マスコミの報道も右翼系ブロガーの反応も「マジ」である。仮に田母神氏が「軍事的合理性から考えてプロが核武装論を言うはずないだろ、ジョークだよジョーク」というつもりだったとしても、素人さんを煽って騒ぎを起こすのは悪質だ。やはり田母神氏は軍事のプロとして完全に終了である。これからは右側の「愛国者」たちを喜ばせることばかりを言い、プロとしての誇りを捨てて(もともとなかったのかもしれない)憂国芸人として生きていくほかないだろう。


前の記事で「『誇れる国を守る』ではなく『国を守ることを誇りとす』」という名言を紹介した。
その言葉を体現するヒーローがいる。宇宙海賊キャプテンハーロックだ。




宇宙の海は おれの海
おれのはてしない 憧れさ
地球の歌は おれの歌
おれの捨てきれぬ ふるさとさ
友よ
明日のない 星と知っても
やはり 守って戦うのだ
命を捨てて おれは生きる

宇宙の闇は おれの闇
おれのはてしない 戦場さ
ドクロの旗は おれの旗
おれの死に場所の 目印さ
友よ
明日のない 星となっても
君は 地球を愛していた
この星捨てて 行きはしない

宇宙の風は おれの風
おれのはてしない さすらいさ
空行く船は おれの船
おれのとらわれぬ 魂さ
友よ
明日のない 星と知るから
たったひとりで 戦うのだ
命を捨てて おれは生きる
命を捨てて おれは生きる
(JASRAC無断引用)


ハーロックは地球政府の腐敗も地球人の堕落もすべて承知の上で、なお誇り高く戦い続ける。先に逝った友のため、生まれた星のため。無法者、海賊とそしられても、戦いの意味が理解されなくても嘆いたりしない。「明日のない 星と知っても やはり 守って戦う」のである。「この星捨てて 行きはしない」。
「命を捨てて おれは生きる」というのも深い。簡単に命を投げ出すのではない。誇りは自分の内にあり、誰かに与えられるものではない。ハーロックは金も名誉も求めず、地球を守るためしぶとく戦う。命を捨てて「おれは生きる」のだ。
もしも台場正が「地球人はアルカディア号に感謝せずキャプテンの悪口ばかり言っている。こんなことでは嫌になる、戦う気が起きない」などと「アルカディア号認識問題」で愚痴をこぼしたら、ハーロックは「そんなことを言う奴はアルカディア号に乗る資格はない、船を降りろ」と叱るはずだ。
自衛隊員のかたがたには、田母神氏と応援団の与太話を聞くよりもキャプテンハーロックを見てほしい。歌詞の「ドクロの旗」は「日の丸」に置き換えて。

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田母神元幕僚長の核武装論
政治・外交 / 2008年12月01日
田母神俊雄という人物について、「名誉ある航空自衛隊で幕僚長になった人物なのだから」とできるだけ罵倒しないようにこらえてきたけれどもう限界だ。いくらなんでもひどすぎる。
なんという愚かさ、なんという無能。こんな男がトップになってしまう自衛隊には大いに問題がある。徹底的な見直しと幹部の再教育が必要だろう。

J-CASTニュース : 核攻撃「やられれば、やる」 田母神氏持論を改めて主張
「非核3原則」に否定的、改憲も主張
さらに、核問題や憲法改正についても言及。記者から

「1945年当時の司令官だったとして、米国に対して原子爆弾を使う能力があった場合、どうするか」
と聞かれると、

「それは、その状況になってみなければ分かりませんが、まぁ、『やられれば、やる』のではないかと思います」
と、核使用を肯定するともとれる発言をしたほか、日本が核攻撃を受けた際の対応については

「ほんのちょっとしか準備できてませんね」
とした上で、日本の核武装について

「私は議論されていいと思う。議論するだけで、核抑止力は高まると思う」
「核を、はじめから『持ちません』と言ってしまえば、核抑止力は低下する。持つ意思を示しただけで、核抑止力は向上する」
とも延べ、いわゆる「非核3原則」に否定的な見解を示した。


ああ、くだらない!
「非核三原則」云々はこの際どうでもいい。私は核武装には反対だけど、民間人が勇ましい核武装論をぶつことは言論の自由である。
私が呆れたのは、田母神氏が空想的な質問に対していわゆる「マジレス」をして核武装論の主張につなげていることだ。
質問自体が引っかけなのに気付かないとはなんと迂闊な人だろう。
「1945年当時の司令官だったとして、米国に対して原子爆弾を使う能力があった場合、どうするか」
こんな仮定にはまったく意味がない。
「1945年当時の司令官だったとして」は戦史研究で普通に行われる仮定だから問題ないけれど、「米国に対して原子爆弾を使う能力があった場合」という仮定はまったくのナンセンスだ。マンハッタン計画の規模、技術、予算を少しでも知っていれば戦争中の日本に原爆を作る可能性などこれっぽっちもなかったことは明らかだ。「沖縄水上特攻に出撃したのが大和じゃなくて宇宙戦艦ヤマトだったら」というのと同じくらい空想的で、まともに答える意味のない質問である。

マンハッタン計画 - Wikipedia

「米国に対して原子爆弾を使う能力」は「原爆一個が手元にある状態」とは大違いなのである。「レーシングカーを買う」のと「レースチームを運用してレースに優勝する」よりもかけはなれている。「米国に対して原子爆弾を使う」ためには政治的・軍事的に有効な使い方をする運用能力、敵地・敵軍の頭上に原爆を運ぶ投射能力が必要だ。もちろん1945年の日本にはどちらもまったくなかった。
アメリカは日本の暗号をとっくに解読していたから、使用する前に破壊される可能性が高い。研究所・工場・基地が爆撃されてそれでおしまいである。ミッドウェイの惨敗、山本司令長官暗殺の次が「虎の子の原爆喪失」になるだけだろう。
仮に原爆を守り通したとして、一発の核をサイパンに落とそうとサンフランシスコに落とそうと敗戦が避けられるはずがない。アメリカ人を激怒させ、ロスアラモスの施設が全力稼動し、日本に核の雨が降る。まったく無駄なことだ。
そもそもサイパンやサンフランシスコに原爆を運ぶ能力がない。遠距離爆撃機は試作段階で、45年はおろか46年になっても実践投入できたかどうかおぼつかない。仮にキ91富嶽が完成しても敵地上空に無傷でたどり着ける可能性は十にひとつだ。もちろんドイツのV2のような弾道ミサイルなどあるはずもない。
使わずに脅しの手段とするつもりだろうか。それなら北朝鮮がやっていることと同じだ。石油もボーキサイトも食料も輸入できない(輸送船はほとんど潜水艦に沈められる)日本がどれだけ粘れば有利な条件で講和できるのか。しょせん空しい悪あがきでしかない。

田母神氏が賢い軍人であれば、「1945年当時の司令官だったとして、米国に対して原子爆弾を使う能力があった場合、どうするか」という質問に対して「空想的すぎる質問なので答えられない」とかわしただろう。あるいは「大日本帝国に原爆を作って運用するほどの実力があれば、無理して真珠湾を奇襲したりミッドウェイでボロ負けしたりしません」とユーモアにすることもできる。
「それは、その状況になってみなければ分かりませんが、まぁ、『やられれば、やる』のではないかと思います」という答えは下の下である。それは、「核の使用を肯定したから」ではなく(それは核武装論者なら当然のことだ)、空想と現実の区別がついていないからだ。
引っ掛けの空想的仮定に「マジレス」したことで、田母神氏の核武装論の現実離れした空疎さがはっきりした。私は核武装論には反対だから「それ見たことか」と思うだけだが、真剣に核武装が必要だと考えている人たちこそ田母神氏の浮かれた考えに厳しく釘を刺したほうがいい。
…とはいうものの、田母神「論文」を歓迎し全力で擁護する「愛国者」「保守」「右翼」の人たちにそんな期待をするだけ無駄だろう。辻元清美に諭されるところまで現実感覚を失った「愛国者」の方々にはぜひ冷静さを取り戻してほしいと願う。

前にも批判したことだが、田母神氏はあいかわらず「『自分の国はいい国だ』と言ったら、政府から『何を馬鹿なことを言っているんだ』と、クビになった。」などという与太を飛ばしている。いい加減にしてほしい。
彼がやったことは「大日本帝国の正当性を主張しない日本は間違っている、ダメな国だ、誇りがもてない」という誹謗である。「自分の国はいい国だ」と言ったのではなく「今の日本はダメだ」と言ったのだ。彼が解任されたのは「愛国的」見地からしても当然のことだった。

最後に、2ちゃんねる軍事板で見つけた名言を紹介する。
494 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 19:53:58 ID:???
「誇れる国を守る」ではなく「国を守ることを誇りとす」が自衛隊だと思ってたが
陸海空の上層部は誇れる国を守ることが主題名目なのかね

【田母神】全てはコミンテルンの陰謀ですが何か?13


「誇れる国を守る」ではなく「国を守ることを誇りとす」。
とてもいい言葉だ。自衛隊員全てに教えてほしい。田母神氏のような勘違いした「憂国の士」は自衛隊員の士気を下げ、現実感覚を失わせ、防衛力を弱体化させる「無能な働き者」である。

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田母神かあさんの家庭教育
日々思うことなど / 2008年11月28日
この人がいったい何をやりたかったのかわからない。

【田母神前空幕長インタビュー】「自国を悪く言う外国人将校に会ったことはありません」 (1/6ページ) - MSN産経ニュース

「北朝鮮と同じ」「村山談話に疑問」田母神前空幕長が記者会見で - MSN産経ニュース

田母神氏は「自衛隊の士気を高めるには日本への悪口をやめることが必要」とか主張してたのに、「論文」問題が明らかになってからというもの日本の悪口を言いまくりである。「民主主義国家とはいえない」とか「北朝鮮と同じだ」というのはそれこそ最大級の悪口だ。右のほうの人たちが好む言葉を使えばまさに「反日」「侮日」以外の何物でもない。元幕僚長のそんな言葉を聞かされて士気が高まる自衛隊員がいるのだろうか。国民の自衛隊に対する信頼が増すのか。
まったくもって謎である。これもコミンテルンの陰謀だろう。

子供たちがちゃんと勉強しないので困っている母親がいるとする。
みのもんたに相談したら「子供が父親を尊敬できるようにしなさい」「そうすればシャキッとするよ」と教えられた。
さて、母親は子供たちに何と言えばいいのか。

(A)
「あなたたちのお父さんは昔はすごい人だったのよ」
「盛り場を肩で風切って歩いてたんだから」
「あまりカッコいいから妬まれハメられて袋叩きにされちゃった」
「今は冴えないうすらハゲのおじさんだけどね」
「悪口を言われても言い返せない弱虫でみっともないったらありゃしない」
「でも昔のお父さんは本当にステキだったんだから尊敬してあげてね」


(B)
「お父さんも昔はちょっとしたワルで町の鼻つまみ者と呼ばれたこともあったの」
「調子に乗って乱暴なことをして人様に迷惑をかけたし自分も痛い目にあった」
「でも今は真面目な仕事ぶりで誰からも認められている」
「ときどき気弱に見えて歯がゆくなるけどそれは昔の自分を反省しているから」
「お父さんの過去を悪く言う人がいるけど、そんなときは『今のお父さんは優しくて真面目な人です』と答えなさい」
「過去のことを気にするより今のお父さんを誇りに思いましょう」

田母神氏とその応援団は(A)の母親が正しいと言っているようなものだ。
私には「子供たち」の現在の父親への経緯を失わせ勉強する気をなくさせる愚策としか思えないのだが。

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