改正国籍法が国会で可決成立した。
これでネットの空騒ぎも沈静化するだろうとほっとしている。
だが、煽ったり煽られたりした人たちがどれだけ正気を取り戻すのか、反省してくれるのかあてにできない。憂鬱だ。
騒ぎが始まったときから、国籍法改正反対運動の意味がわからなかった。今でもわからない。
私は法律の素人だけれど、「素人が常識的に考えて」(反対派の人たちが好む言い方)特別に問題のない、いや、憲法を守り人権を擁護するために必要な法律だと感じる。憲法とか人権という言葉にアレルギーを起こす人たちもいるが、与党政治家を国賊よばわりして何のお咎めも受けずにすむのはそれこそ憲法と人権のおかげである。
今度の改正は、最高裁判決が出ているので改正案以外に変えようがない(DNA義務付けが無理なんて法律のプロならわかることです。)という事情、専門家からは長年にわたって問題点として指摘された点を、諸外国でとっくの昔に実施し、国際的な人権規範で認められた最低水準にあわせるだけという内容の穏当さ、生後認知された非嫡出子に国籍を与えるに過ぎないという影響力の小ささ(法務省は年間700人程度といっているらしい。過去分がどのくらい届出るかわからないが、まあそんなもんでしょ)、改正案の審議の段階から報道されているという内容のわかりやすさ(報道されていないなんてウソですよ。)、いわれのない差別の解消の必要性という大義名分、・・・もっともモめる要素のない法案だった。
それが、衆議院の可決直前になって、デタラメな情報がネット上に飛び交って、議員も巻き込んでの大騒動。法案の趣旨は完全に没却され、あたかも偽装認知防止法を議論しているかのようだった。
改正国籍法成立雑感 - いしけりあそび
「いしけりあそび」さんは入国管理事案の経験豊かな弁護士だ。実務の現場から「国籍法改正反対運動」のバカらしさを伝えてくれてとても勉強になった。
そもそも反対派が問題にする「偽装認知」なる概念自体が私にとって「?」である。これまで認知拒否トラブルについて聞いたことはあるが「偽装認知」なる言葉は初耳だ。「認知」というのは身に覚えのある男にとってさえ大事である。まして偽装のために認知を利用させるなどというのはよほど自暴自棄でないとできない。戸籍を売り渡すのと同じレベルのヤケクソである。言っちゃ悪いが、偽装認知を軽く見ている人たちは「身に覚えのある」経験をしたことがないんじゃないか、だからリアリティが持てず妄想にとらわれるんじゃないかと疑ってしまう。
「偽装認知が人身売買に利用され日本人男性が戸籍を売り渡して何十万という不良外国人(の子供)が日本国籍を取得し治安を悪化させ生活保護を食いつぶして日本滅亡!!!!!」 …という反対派の想定するシナリオははっきり言って妄想である。多少誇張してはいるが、「国籍法 改悪」で
検索すると大差ない主張をしているブログがたくさん見つかる。それどころか国会でおかしな質問をする「愛国者」「リベラル派」議員までいる。まったくあきれてしまう。
念のため言っておくと、私は経団連や一部の政治家が主張する「移民の大量受け入れ」には反対である。だが、今回の国籍法改正と移民受け入れの是非は別の問題だ。国籍法改正阻止を移民受け入れ反対の砦のように思っている人もいるが、迷惑な話である。移民大量受け入れを懸念するのは国籍法改正反対運動のような妄想やレイシズムとはまったく違う。
厄介なのは「DNA鑑定を義務付けるべき」という主張だ。
それはギャグで言ってるんですか、正気ですか、という感じなのだが、反対派は真剣らしい。まったく勘弁してほしい。
私の理解するところでは、日本の戸籍制度で実の親と認められる条件は「婚姻」「出産」「認知」である。DNAという概念は組み込まれず、場合によっては排他的に扱われる。
いい例が「代理出産」だ。向井・高田夫妻に対する最高裁判決で明らかにされたように、「出産した女性(代理母)が母親とされる」のであって、卵子の提供者である向井亜紀氏は実母と認められなかった。この場合も、夫である高田延彦氏が非嫡出子(婚外子)として認知すれば高田氏の実子と認められる。仮に高田氏が無精子症で第三者の精子を利用していたとしても、である。
私は「代理出産」とはDNA信仰によって生まれた「寄生出産」でしかないと考えている。DNAにこだわらず婚姻・出産・認知を基本とする日本の戸籍制度は正しい。仮に遺伝関係を基盤に実子認定するとしたら、制度の土台から組み替えることになりかえって社会的混乱がおきる。「代理出産」賛成派にとっては「DNA支配の勝利」ということで歓迎されるだろうけれど。
私は基本的な信条として「日常生活ではDNAを気にしない」ことにしている。
DNAにこだわりだすときりがないが、こだわってもろくなことがない。両親に学歴がないからといって「自分も頭が悪いに違いない」と思い込んで勉強しない子供がいたら叱らなければいけない。逆に両親が賢いから自分も利口なのだとうぬぼれて宿題をサボる子供もやはり叱る必要がある。DNAに違いがあろうとなかろうと同じことである。人種・民族差別や障害者(色弱など)差別についてはいうまでもない。
医療とか限界的なスポーツなどでは、わずかな遺伝的違いが大きな意味を持つこともあるだろう。DNA診断で自分の体質に合う薬を見つけるのは結構なことだ。とはいえ、DNAを重視するあまり「優生学」まで突っ走ると人権侵害になる。
まして、戸籍とか国籍といった社会制度(法律)の問題でお手軽にDNA鑑定を持ち出すのはよろしくない。実際にトラブルが起き、通常のやりかたでは解決できないとき関係者すべての同意によってDNA鑑定を行うのに反対はしない。だが「トラブルを未然に防ぐためDNA鑑定を義務化する」のはDNA信仰の行き過ぎであり乱用である。
私にとってはあくまでも「人間 > DNA」である。実際に生きている人間をDNA概念の下に置くような考え方は危険だ。気軽に「DNA鑑定の義務付け」を言う人たちは自分自身を、いやすべての人間をDNAの奴隷におとしめる危険への警戒心が足りない。
参考記事
e-politics - 国籍法改正
反対派の疑問・批判に対してひとつひとつ答えている
○○○!知恵袋 国籍法は改悪なんでしょうか? - いしけりあそび
どうしてもDNA鑑定が気になるけど、冷静に、法的な思考をする準備はあるよ、という方へ。 - いしけりあそび
自由帳で数学とか物理とか | 【国籍法】DNA鑑定の義務を改正案に書けない3つの理由
想定される偽装認知? - モトケンブログ
田中康夫氏が示した視点? - モトケンブログ
国籍法改正案でデマを流布する人々 - 白砂青松のブログ
la_causette: 想像力の方向と読解力