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【疑惑の濁流】「日本人工作員だと思った」 拉致? 別人? 男性はなぜ平壌に…亡命工作員証言(上) (2/4ページ)
《特定失踪者問題調査会によると、神戸製鋼の優秀な技術者だった萩本さんは昭和50年4月4日夜、兵庫県高砂市の自宅から自転車で夜勤に向かったまま行方不明になった。自宅を新築して半年、3人目の子供が生まれたばかり。幸せな家庭を築くなかで、失跡する理由は見あたらなかったという》
金氏は証言を続けた。
「75年8月に平壌曲芸(サーカス)劇場に行ったときです。私たち(金氏と担当指導員)は劇場に入るとき、入り口で車を降りて玄関まで歩いていきました。他の工作員たちは玄関まで車に乗っていくが、特別に私たちは入り口から歩いていきました。そのとき指導員が、『日本から入ってきた工作員が今日ここに来るから、接触しないように用心しろ』と指示しました。それで私たちは歩いて入っていくと、少ししてニッサンが1台入ってくるのを見ました。私たちはあそこにいたとき、ニッサンに乗ったことはないです。ソ連製ボルガに乗っていました。連絡部の工作チームごとに割り当てられた車がありますから。ニッサン1台が入ってくるのを見て、『あれだな。日本人工作員だ』と思いました。後ろからその人が1人で降りてきました。指導員は前の運転手の横の席に座っていました。後ろから降りたのが、その人です。かなり若く見えました」
《このサーカス劇場には、大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫元死刑囚の教育係をさせられていた拉致被害者の田口八重子さん=拉致当時(22)=も行ったことがあるという。金元死刑囚の著書「忘れられない女(ひと)」(文春文庫)に、その描写が載っている》
「工作員養成機関にも出入り」…調査会は「拉致濃厚」に“格上げ”
金氏は男性について、「目が細い印象」と語り、年齢は当時40歳だった金氏より「5、6歳下のようだった」と話した。萩本さんの年齢は、金氏よりも4歳下。身長は当時168センチだった金より「4〜5センチ小さかった」と証言。萩本さんの身長は約165センチだった。身体的には“合致”する点が見いだせた。