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【疑惑の濁流】「万景峰号は日本人拉致もできる」…故金日成主席が指示 亡命工作員証言(下) (1/4ページ)

2008.11.9 17:03
このニュースのトピックス疑惑の濁流
拉致被害者家族の支援組織「救う会」の西岡力会長代行のインタビューに答える金東赫氏(映像教育研究会の提供映像から)拉致被害者家族の支援組織「救う会」の西岡力会長代行のインタビューに答える金東赫氏(映像教育研究会の提供映像から)

 昭和50年4月に忽然と姿を消した兵庫県高砂市の萩本喜彦さん=失跡当時(35)=を「平壌で目撃した」と証言した朝鮮労働党連絡部の元幹部工作員、金東赫(キム・ドンヒョク、仮名)氏は、ソウルで面会した拉致被害者の支援組織「救う会」の西岡力会長代行に、「日本人拉致被害者は80人程度いるだろう」と語った。その数字が正確かどうかは別にして、金氏はある“根拠”に基づいて、推測したのである。「金日成の秘密教示」。日本人拉致について故金日成主席が語った言葉とは…。

手柄の数々、エリート工作員…「故金日成主席が拉致を指示」

 金氏は、1936年4月28日、ソウル市生まれ。朝鮮戦争が起きた翌年の51年3月に敗走する朝鮮人民軍に拉致されて北朝鮮に渡った。3カ月間の特殊訓練を受け、対南工作部隊に入隊。鉄条網、地雷をくぐって南に入るルート工作にも携わった。

 国連軍の反撃を受けて後退できないでいた中国軍(中国の義勇軍)の敗残兵を救出する作戦に参加。全員帰還させる手柄を立てたという。

 その後、粛正を受けて追放され、機械工場の労働者となったが、67年に再び朝鮮労働党連絡部の工作員に選抜され、10年間に7回も韓国に侵入したという。

 韓国に亡命したのは76年9月。亡命を決意した理由はこうだ。

 「粛正されたつらい記憶があり、その上、73年に金日成が後継として金正日を擁立する過程を見守りながら、『これは共産主義の原理に合っていない』と幻滅しました。金正日が対南(韓国)工作分野を掌握するための事前布石として連絡部対南事業に対する集中検閲を断行し幹部を全員更迭しました。部署を自分の直属体系に替える様子を見て『到底だめだ』と感じたのです」

 《73年に朝鮮労働党中央委員会書記に就任した金正日総書記は、工作機関の大規模検閲を行い、75年11月に「50年代以降、70年代までの対南工作は一言で言って0点だ」と結論づけた》

 この大検閲の前に、日本人拉致について触れた故金日成主席の「秘密教示」があったと金氏は証言する。

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拉致被害者家族の支援組織「救う会」の西岡力会長代行のインタビューに答える金東赫氏(映像教育研究会の提供映像から)
拉致被害者家族の支援組織「救う会」の西岡力会長代行のインタビューに答える金東赫氏(映像教育研究会の提供映像から)
拉致被害者家族の支援組織「救う会」の西岡力会長代行のインタビューに答える金東赫氏(映像教育研究会の提供映像から)
拉致被害者家族の支援組織「救う会」の西岡力会長代行のインタビューに答える金東赫氏(映像教育研究会の提供映像から)
拉致被害者家族の支援組織「救う会」の西岡力会長代行のインタビューに答える金東赫氏(映像教育研究会の提供映像から)
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