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[紹介記事] 『解放前後史の再認識』の植民地経済に対する認識誤り | 伝統 437|共感1
79791| JAPANnumlk01 | 2007.11.09 06:45:20
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歴史批評75号(季刊):2006夏号
歴史批評編集委員会 | 歴史批評社 | 2006.06.01 | 445p | ISSN : 12273627



『解放前後史の再認識』の植民地経済に対する認識誤り/許粹烈 pp. 149~212 (64 pages)

目次
 1. 端書き 2. 人口 3. 統計データの検討 4. 国内総生産(GDP) 5. 1人当り国内総生産と近代的経済成長 6. 民族別分配 7. 結語

キーワード
収奪論, 植民地近代化論, 日帝時代生活水準, 1人当り GDP, 民族別分配

参照:http://www.dbpia.co.kr/view/ar_view.asp?arid=702220
http://book.naver.com/bookdb/book_detail.php?bid=2487882


“植民地近代化論は当時の現実無視した虚像”

ホ・スヨル教授,分配差別など‘統計誤り’ついて,反論
ホン・ソンニュル教授も“新右翼歴史観は過去退行”批判

新右翼歴史観に対する歴史学者らの批判が次から次へ姿を表わしている。(<ハンギョレ> 5月20日参照)関連して注目するほどの文が季刊「歴史批評」と「明日を開く歴史」にのせられた。

許粹烈忠南大教授が「歴史批評」で‘『解放前後史の再認識』の植民地経済に対する認識誤り’という論文を書いた。 ホ教授は『開発ない開発』(イチョウ)(<ハンギョレ> 2005年3月25日参照)を出した経済史学者だ。経済実証史学の方法論を借りて,植民地近代化論の‘虚像’を批判してきた。ホ教授は植民地近代化論の牙城のソウル大落星臺研究所出身だ。

『開発ない開発』出版以後落星臺研究所はホ教授に対する批判に精魂を込めたのに,今回の論文はこれに対する反批判の性格だ。 “落星臺研究所が主張する植民地近代化は彼らの想像だけで通じることで,当時の現実とかけ離れたことを実証を通じて明らかにするのに目的” があると書いた。 落星臺研究所の方法を借りて,落星臺研究所を批判したのだ。

落星臺研究所が前に出す代表的武器は日帝時代朝鮮:人らの物質的生活水準が向上したことを証明するという1人当り国内総生産と民間消費支出などの数値だ。 ホ教授は今回の論文で落星臺研究所が提示した各種統計の粗末さと不正確性を微細で執拗に食い込んだ。彼の文はすべて統計とグラフでぎっしり埋まる。これを通じて“(落星臺研究所が出した)推定計算の結果とここで導き出された結論が当時の現実とどれくらい違うものであったか”を明らかにする。

ホ教授が話す‘当時の現実’というのは日本人と朝鮮:人の間に根本的に‘分配の差別’があったという点だ。成長の恩恵は日本人の持分であったし,その上に朝鮮:人のため‘成長の破片’さえ日帝末期と朝鮮戦争などを経ながら消えたとのことがホ教授の論旨だ。 植民地近代化から韓国経済成長の根元を探そうとする試みに対する根本的反論であるわけだ。ホ教授は“日帝時代を‘文明化の時代’で見る彼らの研究結果は日本の朝鮮支配に正当性を付与する格好”になったのに,実際には“日帝時代は朝鮮:人に何の希望も与えない‘野蛮の時代’であった”と指摘した。

ホ教授は落星臺研究所に向かって“彼らが命題を先にかけて可能ならばそれに適合するようにデータを加工しているのではないかと思う疑問に感じる”として“日帝時代朝鮮:人らの経済的境遇が向上したという幻想を捨てて朝鮮:人を中心にする植民地時代経済理由区本来の姿に戻らなければならないだろう”と忠告した。

季刊「明日を開く歴史」においては、進歩歴史学界の研究成果を再点検し,新右翼歴史観を遠回しに言って批判した。ホン・ソンニュル誠信女子大教授は“最近保守学界の韓国現代史再照明作業は李承晩,朴正煕の業績を浮上させる方向でなされているのに,これは解放直後すべての問題を左右政治集団の正当性問題,最高指導者の評価問題で焦点を集中した過去反共主義的歴史認識を退行的に再現すること”と批判した。

キム・得中.国史編纂委方理由駆使は新右翼歴史観に登場する脱近代論に対して“脱近代主義問題認識は新右翼勢力の政治性の前で単に美辞麗句で使われているだけ”とし“民族主義批判のために(脱近代論の)理論的枠組みを借りてきたが,実際にはその間繰り返した右翼的こだまに終わっている”と指摘した。

アン・スチャン記者

記事登録: 2006-06-09午後09:19:34

http://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/130915.html

‘解放前後史の再認識’出版3ケ月…進歩学者ら論駁相次いで

入力:2006年05月29日18:09:42
 
ニューライト系列の歴史認識を入れた‘解放前後史の再認識’(以下再認識)に対する進歩陣営の‘読書感想文’が洪水が溢れ出るようにあふれている。保守・進歩を自任する言論らの騒がしい攻防の中に去る2月世の中に姿を表わした‘再認識’に対する学界の物静かな議論が本格始まったのだ。先週から次から次へ出版されている‘チャンジァックァ批評’ ‘歴史批評’等の季刊誌と隔月刊誌‘緑色評論’と月刊‘インムルグァササン’等は皆学者らの‘再認識’に対する分析文を掲載した。歴史大衆化に先に立っている歴史専門雑誌‘明日を開く歴史’は最初から特集を通じて‘再認識’を批判的に考察した。 編集者

歴史批評2006年夏号にのせられた許粹烈忠南大教授(韓国経済史)の文‘解放前後史の再認識の植民地経済に対する認識誤り’は‘再認識’ の一部門を構成する植民地近代化論(日帝の植民地化のおかげで朝鮮が近代化されたという論理)が‘統計操作’から始まった誤った主張であることを反駁した。

この文がその間‘再認識’編集委員ら(イ・ヨンフン、パク指向、キム・イルヨン、キム・チョル)の保守的な政治指向性を聞いて‘再認識’を攻撃した進歩陣営の対応で一歩進んだと評価される理由だ。

ホ教授は日帝時代朝鮮:人らの人生が良くなったという議論に同意できない理由を落星臺経済研究所(所長イ・ヨンフン ソウル大教授)が提供した人口統計の信頼性不足で探した。

GDP,穀物消費量などに対して概して同意がなされる状況で人口増加率は個人生活の質改善の尺度の1人当りGDPおよび消費増加率を左右する重要変化の要素となる。 ホ教授によれば‘再認識’に引用された1910〜1925年間人口統計がわずか2週間ぶりに‘すり替え’なった。初めに提示された人口曲線では朝鮮:人らの人生が改善されたという論理を展開することができないが、換えた人口曲線を使えば1人当りGDPと消費が着実に増加して,生活の質が改善されたという論理が成立するというのだ。これは‘再認識’の主要筆者として参加した落星臺経済研究所所属学者らの学問的道徳性を正面問題提起したことなので注目される。

日帝が作った統計を主に活用した落星臺研究所所属学者らと別にホ教授は海外研究者らの統計などを引用,日帝時代ずっと1人当りGDPの増加は微小だったと主張した。



ホ教授はまた日本人と朝鮮:人間の所得格差および階層別賃金格差の増大などを指摘し、“植民地下で朝鮮:人らの生活は決して良くならなかったし,植民地近代化というものは彼らの想像の世界だけで通じること”と批判した。

パク労資ノルウェー,オスロ国立大教授(韓国学)はインムルグァササン6月号で‘再認識’が歴史学の基本に忠実でない歴史叙述だと批判した。 “‘再認識’という省察的意味の単語を題名に上げたのにこの本が歴史研究に対する省察はほとんど含んでいない”ということだ。

パク教授は“歴史学者が死亡者(解放前後史の認識・以下‘認識’)をまた呼び出す時,その目的は苦痛受ける衆生から苦痛を減らしてあげて楽しみを抱かせること”だが、“しかし、イ・ヨンフン教授の文は‘歴史は苦痛の過程に対する勝利者としての無限の冷笑’ ‘勝利者の凱旋歌’に近い”と指摘した。

パク教授はパク指向ソウル大教授(西洋史)の‘朝鮮労働組合全国評議会’(全平)に対する評価もまた“敗北者を眺める勝利者態度の典型”といった。彼は“‘再認識’を初めて接した時‘自由民主主義’を標ぼうするこの本の共著者などが手続き的な民主主義次元で‘全平’を批判的に解剖することを期待した”が“しかし、これは主に巨視的な国際政治,国家的次元の改革,経済政策などに焦点を合わせる共著者などには格別な関心事とならなかった”と指摘した。

崔ウォンシク仁荷大教授(国文学)は細部論文らに対しては肯定的に評価したが編者らの代表性不足を批判した。崔教授はチャンジァックァ批評2006年夏号に寄稿した‘また訪ねてきた討論の時代’という文で“‘再認識’を読んだ初めての感想はかなり忠実な選集という安堵感だった”として“卵粉分限噂に頼らずにテキストに直接耳を傾けることが一番だ”と評価した。彼が‘再認識’の文の中で二万箱教授の‘1950年代韓国農村の社会構造’と日本人研究者が寄稿した‘上海の日本軍慰安所と朝鮮:人’等を‘再認識’を読んだ成果に選んだ。

だが崔教授は“(‘再認識’の)編者らが果たしてこの本の筆者らを代表できるのか疑問”とし“論文を分けて選んだ編者らの実際的見識が立派なのに比べて,それを総括する編者らの見解は非常に一面的”と指摘した。

イ・スンニョル嶺南大教授(英文学)は緑色評論5・6月号に使った‘解放の文明史のために’で‘再認識’の根底に敷かれた‘近代主義’を省察することを提案した。イ教授は“開発と近代化だけなされるならば植民地でも,独裁でも,それが何でもいくらでも自身の魂を売り払う心がけをしている人が多いようだ”として “‘再認識’もその延長線上に置かれている”と指摘した。また‘再認識’編集委員キム・チョル延世大教授のイ・テジュン小説‘農軍’読解に対して“帝国の観点で民族の機能に対して理論的に観察する作業に没頭するキム・チョルはまさに強者の観点のために弱者を正しく読むのに困難を経験する”と批判した。

<ソン・チェミン記者jeje17@kyunghyang.com>

http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=200605291809421&code=960100

‘解放前後史再認識’ 2ラウンド論争

‘再認識’論争はもう第2ラウンドに入り込むのか。去る2月,左派修正主義史観を反論するために使われた‘解放前後史の再認識’(冊貰上)が出版された直後火がついた‘再認識論争’が印象の批判的な性格を脱皮できないものであったが,最近専攻者などによって提起されている反論と擁護論は‘再認識’というテキストにもう少し精巧なメスを突きつけている。

◆“民族イデオロギーに捕われるなと?”

許粹烈忠南大教授(韓国経済史)が季刊‘歴史批評’夏号に寄稿した‘解放前後史の再認識の植民地経済に対する認識誤り’は ‘再認識’の主要筆陣のイ・ヨンフン ソウル大経済学科教授を主軸にした落星臺経済研究所の‘植民地近代化論’に対する反論だ。ホ教授は“近代化の波と同時に激しい抑圧と差別があった‘野蛮の時代’が日帝時代”と主張し,その根拠として‘再認識’にのせられた具体的な統計数値を一つ一つ反論した。

ホ教授は“自分たちの主張は客観的なもので残りは皆民族というイデオロギーに捕われた主観的なことだと追い詰める”として‘再認識’筆者らの脱民族主義的態度を批判した。

一方イ・ヨンフン教授は‘時代精神’夏号寄稿文‘日帝の朝鮮支配と朝鮮社会の構造的変化’で“植民地時期の歴史を野蛮にだけ見るならば必死のあがきで近代を学習して近代人に変身していく朝鮮の人たちの姿を見られない”として“当時になされた文明史的転換とその歴史的意義を客観的に教えなければならない”と話した。

◆“現行教科書限界克服することができる”

イ・ミョンヒ公州大歴史教育学科教授は最近第49回全国歴史学大会発表文‘韓国およそ・現代史テキストとして解放前後史の再認識に対する検討’を通じて“‘再認識’が大韓民国に対する否定的叙述など現在の歴史教科書が持った限界を補完する役割になる”と分析した。イ教授は‘再認識’が“日帝の支配政策や独立運動だけでなく色々な層上の人生を照明しており,韓半島に住んだ住民たちの人生が支配と被支配,抑圧と抵抗の二分法に区分されない非常に重層的な性格であったということを見せる”と話した。

また‘再認識’が▲大韓民国の正統性を擁護している点▲世界化と情報化を指向して未来を展望できる点▲事実を当代の立場で接近して相対化を追求する点で‘新しい歴史教育テキスト’で高い点数を与えることができると話した。

◆“‘再認識’は進歩勢力危機を反映すること”

しかし‘再認識’に対する反撃はずっと続いている。 イ・スンニョル嶺南大教授は‘緑色評論’ 5-6月号寄稿文‘解放の文明史のために’で“(再認識は)民族問題と階級論理に対して批判的な立場を取りながらも,自由民主主義的国家体制の守護と発展という多分イデオロギー的問題意識が敷かれている”として‘再認識’筆者らが持った観点の矛盾を指摘した。崔ウォンシク仁荷大教授の‘チャンジァックァ批評’夏号寄稿文‘また訪ねてきた討論の時代’は“‘再認識’は民族解放運動と反独裁民主化運動と分断克服の統一運動を軸とする進歩派の史観に対する全面的な保守反撃”と規定した。

だが結論的に‘再認識’が左・右皆に重大な話題を投げたテキストであることは否めない雰囲気だ。崔教授は寄稿文で“生活世界の急進的変化に対する鋭敏な観察を土台に史観と理念を再調整するのに怠惰だった進歩勢力がこの反動を自ら招来した側面がなくはない”と話した。

ユ・ソクチェ記者 karma@chosun.com

入力:2006.05.29 23:20 35' /修正:2006.05.29 23:24 00'

http://www.chosun.com/culture/news/200605/200605290723.html

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numlk01|11-09 02:19
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