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enjoy Korea ホーム > 伝統
【参考資料】「倭乱の被虜人達は何故帰って来なかったのか」 | 伝統 788|共感1
1640800| JAPANochimusha | 2007.10.09 04:17:27
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本投稿は以下の関連スレです。
覚書】「東アジア史におけるカソリック伝教史について」
日(http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1890245)
韓(http://bbs.enjoyjapan.naver.com/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1890245

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【堕武者の迷子辻】「朝鮮ハーボイルドの世界への飽くなき挑戦」シリーズ
日(
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1907367
韓(
http://bbs.enjoyjapan.naver.com/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1907367)

 「倭乱の被虜人達は何故帰って来なかったのか」 


*以下は「使行録に見る朝鮮通信使の日本観(鄭章植)」からの引用ですが、朝鮮王朝側史料の研究を中心とする韓国人学者の文献でありながら、現在日本でしか出版されてない状況の様です。

1607年 国交を回復した朝鮮王朝より回答兼刷還使(第1回)が来日。

  1. 対馬の宗氏経由で既に1599年よりこの頃までに4000人~5000人規模の被虜人本国送還が実現していたが、「国の国たる所以は民にあり、被虜の男婦を全部送還するまでは非を改めたといっても信じ難い」とさらなる強く要請があり、将軍家からも本田正純経由で被虜人刷還の厳命が下った。

  2. とはいえ、以下の様な側面も決して忘れる事が出来ない。

    当時の東アジアの国際外交は主に禅僧の横のネットワークによって支えられていたが、仁祖の「彼らは信用ならない」の一言で一人の随伴も許さなかった。従って日本国内で独自調査を行なう機能自体が最初からなく、また随員にもそれを行なう意図は全くなかったとしか考えられない。

    この時点では発見された被虜人が帰還を拒む例は皆無に近く、そういう時期に真剣な調査が行なわれなかった事が何より悔やまれる。

    *日本では以下の様な事が実しやかに語られているが、実際の所は果たしてどうか。「陶工の多くが日本にそのまま留まったと考えられているが、これは当時日本で一国ほどの価値があるとされた茶器や陶器を作り出す陶工を大名が藩の庇護の下、士分を与えるなど手厚い待遇をしていたのに比べ、李氏朝鮮では儒教思想によって職人に対する根源的な差別があったことが原因と推測される」。いずれにせよ彼らの証言を記した史料は今の所発見されていない。

1617年 朝鮮王朝より回答兼刷還使(第2回)到来。

  1. 再び刷還を求めるが、集まってくるのは両班階層の者か貧困者ばかりで、それさえも祖国の窮乏を聞いて逃走する者が多かった。

    * 使臣は「丁寧開説、反復懇願、解惑者亦小(どんなに丁寧に説明しても、繰り返し懇意に諭しても、疑惑を解いてくれた者が少なく)」憎らしさのあまりみんな斬って捨ててしまいたくなったと書き残している。この一文だけで当時に面談の雰囲気が察せられる。

  2. 特に両班を深く憎悪する者、戦時の対日協力者(例によって「湖南=全羅道」出身者が犯人扱いされている)の抵抗は激しく「帰途しても殺されたり、奴隷にされるだけだ」という噂を流したりしたと推測されている。実際そういう側面もなかったとは言えない。

  3. その不安を打ち消す為の公式布告文も発布されたが「今の日本より良い生活が待っている予感」を感じさせる部分が一箇所たりともなく、また実際、本土は飢饉の最中で、刷還者も多くが餓死者の出ている地域に一粒の米さえ与えられず放逐されただけだったというから「うかうかと口車に乗せられて帰国しない方が正解だった」と後世の人間が考えるのは止め様がない。

ちなみに当時殉死した朝鮮系基督教徒の言葉として以下の様なものが残されている。

「私は既に20年以上この日本で日本の米を食べてきましたから、すでに身体は全部将軍様のものです。だからそれを将軍様がどうされようと勝手ですが、魂だけは最初から天主様のものですから、死んでも然るべき所へ帰っていくだけです」

あくまで特殊例だが、この一言の中にこそ当時の彼らの心境を物語る何かが隠されている気がする。


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ochimusha|08-07 13:03
最後の考え方を適当すると「在日」なんて既に存在しない事に…
kotokotoro|07-24 23:02
【参考資料】「佐賀の夜桜猫化け騒動」と実史の関係
- 【参考資料】「倭乱の被虜人達は何故帰って来なかったのか」 [2]
【参考資料】「朝鮮半島伝教史とその諸外国への影響」 [1]