*これは以下の関連スレです、
「19世紀末~20世紀初頭の東アジア」に関するあらましメモ。
日(http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1930795)
韓(http://bbs.enjoyjapan.naver.com/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1930795)
「江戸時代の鎖国を破ったのは一体何だったのか?」
日(http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1931184)
韓(http://bbs.enjoyjapan.naver.com/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1931184)
ま、自分宛てのメモみたいなもの。
「ある明治人の朝鮮観 半井桃水と日朝関係(上垣外憲一.)

マイクロフィルムの形で残された膨大な量の新聞記事にあたって、朝鮮王朝開国から甲申政変に掛けての世論を朝鮮特派員の立場から時系列的に追跡した好著。半井桃水の代表作とされる「鶏林情話春香伝」の元稿が「京版30張本」と特定するのに成功したのもどうやらこの本らしい。
半井桃水に関する2つの疑問点
【疑問1】 朝日新聞の朝鮮特派員第一号だった半井桃水は何故、壬午軍乱(1882年)の時はソウルに掛け付けて熱心に取材したのに甲申政変(1884年)の時は釜山に留まったまま御座なりの対応しかしてないのか?
もしかして1881年頃、当時の朝鮮王朝の地方官吏が飢饉の最中に秘密裏に日本から搬送されてきた米を突っ返し、その結果自分の受け持ち地域でだけ200人くらい余計に餓死させた事についてコメントを求められたら「はいはい、辞任すればいいのね」なんて開き直ったという証言と何か関係が?
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ちなみに壬午軍乱に関しては情報公開が的確に行われた為に世論は(一時期、関連本が50冊以上出版される様な盛り上がりを見せた後で)勝手に「過剰反応の方が危険だ」という結論に到達して自然に沈静化していったのに対して、甲申政変に際しては厳重な報道管制が敷かれた(事件の年はそもそも朝鮮関連の新刊が2冊しかない)。
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それをさらに再燃させたのが明治18年(1885年)の長崎事件で、この時はさらにそれをもじった新聞連載小説「爆発奇談午睡夢(白城藩に殴り込みを掛ける本筋と無関係に中華藩との難しい交渉を終えて戻ってきた家老の恵藤が宴の席で延々と芸者を口説き続ける)」の連載を始めた「東京日日新聞(後の東京朝日新聞)」をはじめとする数多くの新聞が発行停止処分に追い込まれている。
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それで却って「朝鮮情報」に関する飢餓感が発生し、政府側も「無関係なフィクションならガス抜きに良いかも」と判断して検閲対象としなかったせいか「加藤清正一代記(明治19年2月)」「清正実記(同年7月)」「清正実記(同年12月)」「朝鮮軍記(明治20年8月)」「神功皇后三韓征伐(明治23年12月)」といった絵入冊子が大量に刊行されてそれなりの売上実績を残す。
【疑問2】 当時、朝日新聞に連載されていた「国の前途を憂い、自強の方策を為そうと心砕き続ける朝鮮国王とその尊父に絶対忠誠を誓った儒臣達が捨て身の活躍をみせる」彼の代表作『胡砂吹く風(明治24年/1891年)』は、なぜ忘れ去られなければならなかったか?
ちなみに弟子の樋口一葉はこの作品について「相変わらず文章は下手糞だけど、各登場人物が見せてくれる知勇、節操、苦節には素直に泣けました(よもきふ日記明治26年2月23日)」なんて微妙なコメントを残しているらしい。
- どうやら明治20年(1887年)に刊行された「佳人乃奇遇(正義の義挙に破れた金玉均の悲劇を題材とするフィクション)」の売上が好調なので柳の下の泥鰌を狙ったものらしい。
- 同年には福沢諭吉主宰の「時事日報」も「流石聡明なる国王には非常なる仁心と英断をもって奴婢籍を改正させられ、即ち世襲法を廃して一代限りとなし又一代の中といえども何時でも購うて良民に還るを得るをなさしめは、開闢以来の偉勲(明治20年2月20日)」なんてベタ褒め記事を掲載。
- そして明治24年(1891年)には検閲でずっと止められてた井上角五郎の甲申政変に関する詳細な記述を含む実録「漢城廼残夢」がついに出版を許される。
一応著者は本書の中で両方に自分なりの答えを用意した上で(ちなみに最初が「既にジャーナリストでなく小説家として生きていく為の準備に入っていたから」で、次は「悪辣な日帝国のせいでその後の日韓関係史が歪んでしまったから」)「その後彼が朝鮮に関する題材で二度と筆を取る事はなかった」事実を持ち出してきて「一体誰のせいなのか?」と読者に問い掛ける事で結語としています。
それから一体何があったのでしょうか…