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あ..良い資料だ..勉強になったんですが..壬辰の乱当時に何人の朝鮮人たちが日本にあったんですか |
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今では資料一式ハングル化されてるので、そちらを当たってくださいな。 |
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私が読んだ限りでは鄭章植教授の「使行録に見る朝鮮通信使の日本観」が一番詳しくて。 |
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5万 10万位に見えますね.. |
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実はイエズス会に拾われて基督教徒になった人も少なくなく(しかも読み書き算盤を習って中産階級に食い込んだ入りする)、それゆえに帰国を諦めた人や逆に決死の覚悟で朝鮮伝教を試みた助祭がいたりと結構ドラマティックな展開が… |
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壬辰の乱当時連行された朝鮮農民の感覚を思えば..廃墟になった朝鮮..農地が消失した朝鮮で生活するより ..農地が完全に保存した日本で生活したかったのではないか?? |
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その辺りは結構複雑な事情があった様で…日本人の私の口から説明しても納得の行かない部分も多いと思いますので韓国人学者の鄭章植教授の著作に直接当たる事をお勧めします。 |
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情報ありがとうございます.. |
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どうせ親日家認定されて処刑されるか、飢饉の真っ最中の土地に放り込まれて飢え死にさせられるだけだ←これを見ると脱北した朝鮮_人の意識と似てるなと思います。 |
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当時の状況から見て「実際対日協力した犯罪者が保身の為に流したデマ」とも考えられるのですが、いかんせん「私だけは潔癖です。帰国させてください」と名乗り出た実例というのが残ってないみたいで。 |
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あと「飢饉の真っ最中の土地に放り出した」件については「悪意」からやった事ではなく「故郷の土地に帰ってきたんだからそれだけで彼らも満足したはずで、後どうなろうが政府は知ったことじゃない」というレベルの意識しかなかったせいかもという考証がなされてました。 |
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マジっすか!?さすがだな。 |
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朝鮮系イエズス会信徒…少なからぬ数が日本の基督教弾圧の巻き添えとなり、そのうち6~7人が「福者認定」されてるのですが、そのうち一人が「朝鮮民族たるもの、異邦に30年も留まればもう朝鮮半島を故郷として思い出す事などない」と発言してましてね。これをどう考えるかがまた厄介なのですよ。 |
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在日がパンチョっパリと言われる意味が分かりますね。しかし、なら何故、百済人が日本と混ざったからそれは韓国人だと主張するのでしょう? |
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この「30年ルール」、他の史料にも残されてないか探してるんですが中々見つからなくて。 |
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日本人は「自分たちほど善良な民族は居ない」と、自分で心から信じ込むほど、悪辣な民族なのです。 |
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「へへへっ、あんたも金儲け好きだろう?」の一言で善良な朝鮮ゆっけ人を悪の道へ次々と… |
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実は安龍福が英雄として評価される契機となったのは、こうした朝鮮王朝の惨状に対する18世紀英祖・正祖代の猛反省なのですが、そうした歴史も描写もまとめて「タブー」で葬ってしまったのが今の韓国史なのですよね。 |
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そうやって「安龍福は竹島の事知ってたから英雄」という安直なデマゴーグに至るプロセスは「骨を断たせて空を切る」戦略としか表現しようがなくて。 |
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ポイントは朝鮮_人自体は「骨を断たせて空を切る」ようなものと自覚があるのかだ。彼らと話してみて感じることは理論の一貫性がないことだ。 |
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「逃げ切れないのに挑発して自滅」…何が彼らの一部をそれに駆り立てるのかは、残りの韓国人にも説明不可能と判ってます。 |
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50点. |
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ううむ・・・結局韓国人にとって「日本人の本当の悪辣さ」は雲の上の概念なのか・・・ |
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「ここまで徹底して我が物顔で利用してきた鬱陵島が朝鮮領である事を素直に認め、しかも表面上は全然悔しがってる様に見せない」辺りが日本人の悪辣さの骨子なのだけど「(本来の鬱陵島の日本側呼称だった)竹島の名前をリャンコ島に与えた」辺りに例え裏に微かなな感傷の残滓を感じる事も不可能でない次第。ただし、その裏に例え本当に「微かなな感傷の残滓」があったにせよ「ここぞ日本のアキレス腱。これを奪う事で日本人の自尊心をちに墜とせる」と考えるのは期待過剰というもので。 |
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