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教科書検定の透明性を高めるための改善案がまとまった。検定が終わった後に、経過が大まかにではあるが公表されることになる。
子どもたちが学校で使う教科書は、民間が作ったものを政府が中身や表現を点検し、必要に応じて修正させる。それが教科書検定制度である。
研究者らの間から文部科学省職員として採用される教科書調査官が意見書を作り、有識者による検定調査審議会にかける。その結論をもとに教科書会社に修正を求める仕組みだ。
驚くのは、その密室性である。審議会が非公開なことは言うに及ばず、意見書の中身や審議の概要も明らかにされない。それどころか、担当した調査官や審議委員の名前すら秘密である。「静かな環境で議論していただく」というのが、文科省の言い分だ。
今回、扉を少し開こうとするのは、安倍内閣時代の高校日本史の検定で、沖縄の集団自決が日本軍に強いられたという趣旨の記述を削らせ、その後事実上修正した一件がきっかけだ。
改善案では、調査官の名前や担当教科を公開し、検定終了後に調査官の意見書や審議概要、出席した審議委員名も明らかにする。審議の過程で議論が明らかになれば外部からの働きかけも懸念される中では、これが限界というのが文科省の言い分なのだろう。
これまでと比べれば、前進ではある。どんな人のどんな意見がもとになって修正意見がついたのかということを、事後にだが知ることはできる。公開を意識すれば検定の議論がより真剣、慎重になるだろうし、国民が次の検定を見守る参考にもなる。
だからと言って、これで十分だとは言えない。集団自決検定と同じような事態になったとしても、その事実を知らされるのはこれまで通り結論が出た後なのだ。仮に検定過程で意見書が明らかになっていれば、沖縄戦の専門家らから指摘があったはずだ。
加えて、審議会を非公開とし、議事録を作らないことについては従来通りだという。教科書作りの指針となる学習指導要領を審議する中央教育審議会が原則公開されていることと比べると、その差は歴然である。
そもそも調査官の意見を、検定後にしか知りようがないのも気がかりだ。意見書の内容がその後の審議の基調になるとすればなおさらだ。
もちろん歴史教科書にとどまらない。どの教科でも子どもたちが学ぶ大切な素材である。教科書の中身がどう決まっていくのか。不合理な点や偏ったところはないのか。多くの目にさらされて悪いことはないはずだ。透明化へ向けたさらなる改革が欠かせない。
検定はどうあるべきか。そもそも検定自体がどこまで必要なのか。そんな本質的な議論も必要だろう。
道路特定財源の一般財源化に絡んで、「地域活力基盤創造交付金」という長い名前の新しい交付金が誕生することになりそうだ。
一般財源化の具体像を検討していた自民党のプロジェクトチームが、1兆円程度の新交付金の創設を提案した。
麻生首相は、約3兆3千億円の国の道路特定財源のうち、少なくとも1兆円を「地方が自由に使える」資金に振り向けると明言していた。だが、党内の道路族議員や国土交通省などの反発を食らい、新交付金にすり替わってしまった。
ポイントは、使途を「道路を中心に関連する」公共事業などに絞ったことにある。なんのことはない、いまの道路特定財源から地方に道路予算として回している約7千億円の臨時交付金の名前を変え、規模を膨らませただけではないか。おまけに、どの道路をつくるかについて、国交省が口をはさむ構図も変わりそうにない。
新交付金導入のかわりに、関係のない一般財源からあらたに地方交付税を積み増す。「自由に使える1兆円」という首相発言とのつじつまを合わせようというわけだ。そのぶん、他の政策の予算が削られることになる。これではまったく本末転倒ではないか。
そもそも一般財源化の方針は、この春のガソリン税の暫定税率や道路予算のずさんな使い方をめぐる国会攻防を経て、福田前首相が決断したものだ。来年度から全額、何にでも使える一般財源にすると閣議決定した。
前首相は「生活者財源」として、高齢者医療や少子化対策などに使う考えを示していた。麻生首相になって、疲弊する地方への支援にあてる方向が打ち出された。
だが自民党は、使途の縛りをなくせば人件費や借金返済に使われ、経済対策にならないと攻勢に出て、ひっくり返してしまった。結局、経済危機を口実に骨抜きにし、特定財源の仕組みを温存したということだ。
自治体の側も情けない。「道路予算の確保」の大合唱で、一部の首長らの言動は、一般財源化にブレーキをかけるかのようだった。公共事業で地域経済にてこ入れしたい気持ちは分からなくもないが、「自由に使える」という首相のお題目に反旗を翻すようでは自治の名が泣く。
苦しい財政の中で、税金を何に使うか。政府も自治体も知恵を絞らねばならない。地域の事情や住民の要望を勘案し、やはり道路の優先順位が高いというなら、道路を造ればいい。安心して子どもを産み、育てるための医療や保育の充実が先なら、そちらに振り向ける。それが自治ではないか。
危機の時だからこそ、自治体の首長や議員は政策力を磨き、厳しく優先順位を問わねばならないはずだ。