2004.9.14更新
2004.910作成
野暮な但し書き:
このページでは他者が作成したいくつかの絵画の画面イメージを 批評を目的として引用しています。 これは完全に合法な行為であり著作権の侵害にはあたりません。こういった批評目的の引用では著作権者からの許諾は不要であることが著作権法によって保証されています。
社団法人著作権情報センターの次の文言も参考になります。
自分の著作物に、引用の目的上正当な範囲内で他人の著作物を引用して利用することができる。ただし法の認める「引用」というのは、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものであって、また引用される部分が「従」で自ら作成する著作物が「主」であるというような、内容的な主従関係がなければならない。さらにかぎ括弧を付けるなどして引用部分を明示し、かつ著作者名、題名などを明らかにする出所の明示をしなければならない。
(著作物が自由に使える場合は?のページより引用)
このページでは『幻身』中島修一・画、荒地出版、1995年刊(ISBN4-7521-0089-4)の中の絵の批評を行います。特に言及がない絵はこの本から引用しています。
以下、引用するのはとても印象に残る素晴らしい絵ですが、いわゆるアートとしての批評はできません。批評のための絵の知識も芸術的センスも持ち合わせておりませんので、それは無理なのです。絵画芸術とは無縁の素人の戯言でしかありませんが、それでよろしければ、この続きをお読み下さい。
このページでは「中島修一氏の絵は何を描いたものか」を私流に解説します。つまり中島修一氏の絵を見て私が勝手に解釈しただけのものです。ですから中島修一氏本人や他の方の解釈とは一致しないかもしれません(実際、一致していません)。
まず最初に下の絵は何を描いたものか、これを解説いたします。
図1:『幻身』から「幻視球」、中島修一・画
この上の絵は画家の中島修一氏が体外離脱体験(OBE)中に見た光景を描いたものだそうです。
私は最初に図1を見たときに連想したのは下図のようなミステリーサークル(
crop circle )です。下図にリングをあと1,2本付け足せば、かなりそっくりに見えると思います。実際、中島氏の描いた絵とよく似たミステリーサークルは存在します(例:後述の図33など)。
Crop circle の例
bhttp://www.busty-taylor.com/cropper/98busty2.htm より引用
閑話休題。
日本やチベットの密教を専門に研究している宗教学者の正木晃氏は図1について次のように述べています。
---{
宇宙の夕焼けの中に土星の輪がついたような巨大な球形のものがあって、それが数段重なった絵があるでしょう。初めは一体何だかわからなくて、UFO
かなと思ったんですよ。ところが最近、『金剛頂経』を読んでいて、はたと気がついたんです。金剛界大曼荼羅というのは、宇宙の中心にある須弥山のはるか上空に、複雑な形をとった巨大な球体として浮かんでいると書かれています。
一般に曼荼羅というのは、仏たちが住む宮殿の姿を下から見上げたか、上から見下ろした図として描かれているんです。つまり、すべて平面形でしか表現されていない[下図]。
図2:(伝真言院曼荼羅、国宝、東寺)
たまに立体曼荼羅と称するものがありますが、これは人間が地上でつくっている建築物から類推した形以外の何物でもない。ところが、彼はそれを斜め下から見上げた。つまり中島君の描いた夕焼けの中に浮かんでいる巨大な球形の構築物は、須弥山のはるか上空に浮いている金剛界大曼荼羅だったんじゃないかと、そう気づいたのです。おそらくチベットでもどこでも、曼荼羅がああいう形で描かれたことはない。しかし、彼がそれを描いたということは、やっぱりあれをほんとうにヴィジョンとして見たんだろうとおもいますね。
そして……話は飛ぶんですが、いままで巨大な UFO としていろんな人が認識してきたものというのは、実はすくなとも密教的なタームでいえば、金剛界大曼荼羅だったんじゃないかという気が、ちょっと最近はしています(笑い)。
---}『幻身』 52ページ
さて…。空に無数に浮かぶ UFO のイメージや巨大な円や球形の物体が浮かんでいるイメージを夢や非日常的な意識状態で見る人が少なからずいます。それなりに強烈な印象をもたらすようです。以前、彼方の山の上空に覆い被さるように巨大な円形の物体(色は図1と同じ)が浮かんでいるシーンとか、五鈷杵によく似た物体が飛んでいるシーンをそういった意識のおりに見たことがあります。
アダムスキー型 UFO
(参考:http://homepage3.nifty.com/hirorin/ufofakescontactee.htm)
そんなわけで図1には興味深い印象があってこのページを作ってみた次第です。素人の解釈が半分、残り半分がかなり強引なこじつけからなっている怪しげな批評ですので、その心構えでお読み下さい。
仏典と UFO の関連で昔、法華経(見宝塔品)の多宝塔を葉巻型 UFO (下図参照)だと解釈したオカルト雑誌があったという話を聞いて思わず笑ったことがあります。旧約の記述の一部を
UFO と解釈した例はデニケンなど沢山ありますが、大乗仏典まで守備範囲を広げるとはなかなか勉強熱心だと感心しました。菩薩や仏のオカルト的解釈なども、期待したいところです(笑)。
葉巻型 UFO
引用元:http://www5a.biglobe.ne.jp/~UFO/box/ufobox/apollophoto777.htm
多宝塔を葉巻型 UFO だとするのは、いくらなんでもこじつけ過ぎですが、UFO
をマンダラだとするのは学術的にも安全で無難な解釈だと言えます。ミステリーサークル全般も、ある種のマンダラ的表現と見なせば(それがいたずらだったにせよ)、元々図1や図2と共通性の下地があると言えるのかもしれません。
先の引用によれば密教の専門研究者である正木晃氏は図1の「幻視球」の絵は金剛界大曼荼羅を描いたものだと考えているわけです。
専門家の判断に異を唱えるつもりはありませんが私は違った見方をしています。「幻視球」の絵は金剛界大曼荼羅などではなく、後述の「あるもの」を図案(ロゴ)化したものだと私は判断しています。私がそう判断した根拠を以下で順々に説明します。
はじめに下図(図3)をご覧下さい。
図3:『幻身』から "MESSAGE FROM HIGAN" 中島修一・画
注目して頂きたいのは絵の右側の箇所です。そこには後光のさしているかのような数体の人物らしき像とそのそばにある黒っぽい塔(山道の先)、が描かれています。
わかりやすく比較するために二つの絵の注目箇所だけを切り出したものを2枚、下に並べてみます(図4)。左側が図1から、右側が図3からそれぞれ切り出したものです。
図4:比較図(部分を拡大)
この図4の左右の比較を行うことで左図の垂直に立った2つの蛍光灯のような輪は右図の大小2つの後光を図案化したものであることがわかります。
具体的に一致している箇所を挙げてみますと、
(a) 左図の2つの垂直の輪の大きさの比率が右図の大小2つの後光のそれとほぼ一致。
(b) 左図の2つの垂直の輪の配置が右図の大小2つの後光のそれとほぼ一致。
(c) 一番上の尖った形状も左右の図で一致。
(d) 全体の色も左右の図で一致。
(e) 小さな方の輪が大きな方の輪の手前側に位置している点が一致。
などとなります。
さらに右図の右下の黒っぽい塔の形が左図の縦横の輪を除いた形とほぼ一致してることにも注目してください。具体的な共通点は
(1) 球体の段数が上下に4個
(2) その球体の重なりの上に先の尖った塔のような形
(3) それぞれの球体の大きさの比率
などがあります。また図1の球体下部の形状が図4右側の黒い塔とよく似ています(上下関係は逆ですが)。つまり、
(A) 左図の奇妙な球と輪の複合的構造物
(B) 右図の中央の人物らしき像
(C) 右図の右下の塔
は一見すると別々のものを描いたように見えますが、実は同じ「あるもの」の異なった側面を図案化して描いたイメージ、もしくは結局は同じことなのですが、「ある2つのものの間で意味を連結させ、イメージを重ね合わせたもの」なのです。それが何を意味しているのかはこのページ全体を読んで頂ければ明らかとなるはずです。
『幻身』の中の絵は1つのオブジェクトに複数の象徴的な意味がこめられていたり、イメージを重ね合わせていたり、図案化したりしていますので全体を総合的につかんでいただく必要があります。
なお、私がここで図1が体外離脱時に見た情景そのものではなく、既に(無自覚のままに)図案化の操作が行われたものだというのはつぎのような根拠にもとづきます。
(i) 一般に体外離脱体験中に見る情景には本人が無自覚なまま作りだしたイメージやシンボルが混入することがあります(というより本人の生成したイメージやシンボルを全く含まない場合は皆無といってよいでしょう)。体外離脱体験でみる異世界の生の情景は、図1のようなシンプルな図形をそのままの形で見ることはまれです。むしろ過剰なほど装飾的だったり、日常の情景と同様に細部まで自然で緻密に見える場合が多いようです。中には歯車などの比較的単純な幾何学模様を見ることもありますが、それを単独で見ることは少なく、たいていはそれらが組合わさって複雑な背景の一部として(しかも動いている状態で)見るようです。
(ii) 中島修一氏はプロのデザイナーとしてロゴ作成などのの経験が豊富です。
(iii) 中島修一氏は図1の浮かぶ球体をほぼそのままの形で音楽イベントなどのポスター用図案(下図がその一例です) www.godbless.jp より(見やすくするための色調補正済)
として用いています。つまり図1はそのままロゴとして使えるレベルまで抽象化され、完成されているとも言えるわけです。
さて、結論を急がず具体的に順々にみていきましょう。
図4の左の図の垂直の輪は右図の後光を図案化したものだったとして、左図の上下2つの横(水平)方向の輪は何を意味するのでしょうか。その説明をする前にこの塔のようなものの意味を探るために中島修一氏の別の絵(シリーズもののスケッチ)を見てみます。シリーズものの場合、その中にストーリーが自然な形で含まれますのでその意味が一枚構成の絵よりの場合よりも明確になります。
後に別の側面からもこれらのスケッチを見ていきますのでじっくりと見てください。下に5枚の図(図5〜図9)を引用しました。これらのスケッチについてはそこに含まれる異なったモチーフを逐一、解説するため全体を引用しています。
これは「転生情景」と題されたシリーズもののスケッチです。
図5の左側は死者(杖をついています)が険しい山道をたどって問題の塔を目指している情景です。図5の杖をついている人物が死者であることは別のスケッチでしめされています。そのスケッチの絵は今回の解説においては本質的な意味を持たないためここでは引用を省略しています。
なぜ死者が塔の中に入らねばならぬのか、この理由は後ほど説明いたします。図5の中央の雲のようなものの意味もあとで明らかになります。
図5の右側ではやっと塔に辿り着き、その塔の中には入っていこうとしている場面の情景です。頭にカサをかぶった人物は冥界の作業者のようです。
図5:『幻身』38ページ、中島修一・画
ここでこの図5に描かれた山道とその先の塔が図3でも同じモチーフで描かれていたことに注意してください。
この塔の中にもミニチュアサイズの塔(図6の上の絵の中央)があるようです。奥にはカプセルのようなものがあります。このカプセルが何を意味するのかは後述します。また、このミニチュアサイズの塔には別の意味も含まれていますがそれらは後述します。
図6:『幻身』39ページ、中島修一・画
塔の中の天上の凹みが入り口の形状と同じなっているのは面白いです。この塔の通路自体が入り口であり出口になっています。
カプセルの中に入った死者は積み木(この積み木が何を意味するのかも後述します)のように分解し、
図7:『幻身』40,41ページ、中島修一・画
冥界の作業者がそれをカゴにつめて山の上から下界にばらまいています。下の図8の左側の星雲は別の意味も持っています(これも後述します)。
ついでですから、図7の右上にある次の文章、
---{
あの音が聞こえ、
小刻みな振動が始まる。
やがて、
あの感覚がおとずれた……。
---} 『幻身』 39ページ
について簡単に説明します。
これは体外離脱(幽体離脱)時に特有の感覚でしょう。この音や振動は他人には勿論、聞こえません。はじめてこれを経験すると誰でもかなりの恐怖を覚えます。
金縛りの感覚と恐ろしさを桁違いに強烈にしたもの…と言えばある程度、類推できるかと思います。このとき、妙な具合に嵌り込むと(想像上の)悪霊の類が見えたり、叫び声が聞こえたりします。この意識状態ではイメージ操作能力が日常のそれより格段にアップしてますから、自分で作り出したイメージを外部の実在だと感じることもよくあります。不安や恐怖が恐ろしげなイメージを作り出し、それに怯えるという悪循環です。
ちょうど、マイクとスピーカーを近づけたときのキーンという嫌な音が発生するように、不安と恐怖で意識せず恐ろしげなイメージを作り出し、それにまた怯える…というループに嵌るわけです。この振動の段階を何とか超えると体外離脱ができる場合があります。
話題を図8に戻します。
図8の右の絵とは若干違いますが、ある特定の山道を歩いていたという妙に遠くなつかしい過去の記憶が私にもあります。かつては夢の中でもその同じ山道のシーンが何度も何度も繰り返して出てきました。夢の中でもああ、またこの道だ、と思いながら歩いてゆくわけです。地図が描けるほど具体的でありながら、現実にはどこにもそんな場所はないのが面白いところです。
図8:『幻身』42,43ページ、中島修一・画
さて、図8ののばらまかれた積み木状のものが精子に変化して卵子に向かっているのが図9です。
図9:『幻身』44ページ、中島修一・画
この図9の卵子の中にもこの塔が描かれていること(図10)に注目してください。図10の塔にも2つの大きな垂直方向の輪が描かれています。さらに図10には塔に向かう山道に対応するかのような蛇行した道まで描かれています。図10の道の蛇行のかたちと図5の山道の蛇行のかたち、そして図3の右側にある山道の蛇行のかたちはほぼ同一になっています。
図10:『幻身』44ページの部分を拡大、中島修一・画
この図10の塔が図3の別の箇所にも描かれています。下図にその部分だけを切り出しました。色が薄く山と重なっているためにわかりづらいのですが注意してみると図10の塔が描かれていることがわかる筈です。斜め方向に2本描かれています。垂直方向の輪も薄いですがわかります。
図11:図3の中央上部を切り出して拡大
次にこの塔が図案化されて各所に描かれていますのでそれらを図12〜図14で引用してみます。
図12:『幻身』23ページ、中島修一・画
下の図13は結跏趺坐した姿勢と体内のチャクラを図案化したものです。太陽のような部分が頭、その下の三角形の箇所が胴体と組んだ両手、その下の水平方向の矢印のような部分が組んだ両足でしょう。中心部分を蛇のようなものがいますが、これはクンダリニーのイメージでしょう。図4の右の後光のさした人物像らしき中心にもこの蛇のようなものが描かれているのがわかります。
その蛇の下の3つの輪はまさにチャクラ(輪)です。サハスラーラが太陽のように描かれています。あとで図13が別の意味を持っている(イメージが重ね合わさせている)ことを解説しますのでこの図はよく見ておいてください。
図13:『幻身』目次の前のページ、中島修一・画
図14は図13のバリエーションです。中央下部にリングがあることに注目してください。
図14:『幻身』から "MIROKU"の上の部分 、中島修一・画
既におわかりかと思いますが、図1の水平方向の2つの輪はチャクラ(輪)だったのです。つまり、図1は金剛界大曼荼羅ではなく、自身の微細体(幻身)を塔と見立てて、その中のチャクラを図案化して描いたもの(微細身の塔とチャクラのイメージを重ね合わせたもの)だったのです。
以上の説明でその一端がおわかりかと思いますが、中島修一氏の絵について感心するのは絵の中に描かれたオブジェクトに幾つもの重層的な意味やイメージの結合が実に無理なく自然な形で込められていることです。
たとえば、図10の場合、こんな密教の法具のイメージ(図15、図16)も織り込まれているようです。
図15:十字羯磨(密教法具)。通販カタログサイトより。
図16:五鈷鈴(密教法具)。通販カタログサイトより。
図11のうっすらと描かれた塔のようなものは場合の図17のようなイメージが図案化して織り込まれているとも考えられます。
図17:五鈷杵(密教法具)。通販カタログサイトより。
ここで一旦、別の話題に移ります。
下の図18は何を描いたものでしょうか?
図18:『幻身』から "SPIRITUAL DEPARTURE" 、中島修一・画
以前、何かの雑誌で正木晃氏がこの絵は「世界の中心の中心」を描いたものだ、と中島氏の発言を紹介している文章を読んだ記憶があります。正木晃氏はこの図18の絵についてこうも述べています。
---{
ちなみに、幾重にも重なった明滅する同心円状の図形は、密教を専門領域とする私の認識では金剛界大曼荼羅であると思われる。
---} 『幻身』 35ページ
率直にいって、私には図1と図18が同じものを描いているとはどうしても思えません。図1と図18では同心円が含まれるという以外には何一つ共通部分が見られないからです。
さらに言えば本来の金剛界大曼荼羅である図2と図1、図18の間に本質的な共通要素らしきものを私には見いだすことができません。
図1や図18が金剛界大曼荼羅ならば下図の
照明器具のカタログサイト(NEC)より。
照明器具もまた金剛界大曼荼羅でしょう。この照明をデザインした人は無意識の内に金剛界大曼荼羅のイメージを反映させたにちがいありません。その証拠に、無明の闇を貫いて白く強い清浄な光を放っています(笑)。
閑話休題。
私はこの絵は(象徴的な意味ではまさに世界の中心の中心ですが)金剛界大曼荼羅ではなく別のあるもの(結構意外ですが見慣れた、ごく身近なあるもの)を描いたものだと見ています。例によって順々に説明いたします。
下の図19をご覧ください。この図19は上の図18と同じものを描いたものであることがわかりますでしょうか?
図19:『幻身』から "MIROKU 1999" 、中島修一・画
図18と図19で共通する箇所を挙げてみます。
(1) 同心円状の立体的な構築物があり、円周にそって切れ目があること。この切れ目には必然性があります(後述)。
(2) 中心から人の姿が出ており、手を伸ばしていること。
(3) 同心円状の構築物から出ている光の色が共通
図18の同心円上の構築物の断面には複雑な幾何学模様が見えますが、図19ではそれがビルになっています。下の図20図をご覧ください。図18の構築物の断面の模様によく似た模様がビルの間に描かれています。
図20:『幻身』から "LIVE BETWEEN"の部分 、中島修一・画
この模様は電子装置の中のプリント基板の配線パターンです。図20の線の端についた輪の部分はプリント基板に搭載する電子部品のリードを通して半田付けしたり、電気接続を別の層へ中継する箇所です(図21参照)。
図21:プリント基板の配線
比較するために図18の断面部分を下の図22に切り出してみました。図21とよくにています。輪の部分もあります。なお、図21のような蛇行したパターンや四角い渦巻きは現実のプリント基板でも見られます(主に高周波回路で使われます)。
図22:『幻身』から "SPIRITUAL DEPARTURE"の部分 、中島修一・画
実は中島修一氏はビルが主要なモチーフの1つになっています。下の図23もまた図18と同じものを描いています。
図23:『幻身』から "NEW RISE" 、中島修一・画
右側にビル、左側に山が描かれ、中心に丸い部分があり、そこから人の姿が出ています。図23には説明文として
---{
人類の巨大テクノロジーのモニュメント、CITY マテリアルワールドの権化であるビルディングの悲しくまばゆいイルミネーションに照らされ行き場を失った魂が、出口を求めて疲労する。
---} 『幻身』 "NEW RISE" 説明文
とあります。ここから、図18の構築物の断面には複雑な幾何学模様は「巨大テクノロジーのモニュメント、マテリアルワールドの権化」を象徴的に描いたものであることがわかります。図18のビルが中心にある源泉の影響を受けて、切れ目のある同心円になりかけている途上と見ることができます。このようにビルはプリント基板と同様、テクノロジーの象徴として扱われています。
ですが図18の本質的な意味はもちろんビルやテクノロジーではありません。中島修一氏の絵は先の塔とチャクラのように重層的な意味が込められています。先の塔とチャクラの絵にはまだ別のイメージも込められています。そしてそれはこの図18にもあからさまに描かれています。それは第一には渦や螺旋、同心円で表現される「世界の中心」からの誕生です。
「世界の中央」は渦や螺旋とダブらせる形で女性器のイメージでも表現されています。
図7の右上の部分を下(図24)に切り出しました。このイメージは女性器そのものです。桃のような割れ目や床の部分の二重の段(楕円)に注目してください。
頭が先にでているのも理由があります。誕生のシーンを象徴的に描いたものと見ることができます。このシーンの前まで服を着ていたのにこのシーンで初めて裸になっているのも理由があったわけです。このカプセルが棺桶ならば裸になる理由はないのですから。
図24:『幻身』40ページから部分、中島修一・画
更に図8には女性器と星雲をダブらせて描かれています。図9では受精のシーンが描かれています。
こうして見ると図18,図19の中心とは女性器なのです。図18には落書きによく見られるシンボライズされた女性器の表現(下図参照)が描かれているのです。ですから同心円の切れ目は必然だったのです。
図18の同心円の切れ目の意味。reverie 画(笑)
図19の中心にある池から裸の人間が出ているのは羊水の中の赤ん坊とその出産のイメージです。
中島修一氏の絵では、先の塔とチャクラはさらに再生のための重要なシンボルである女性器のイメージとつながっています。
図25(下図)をご覧下さい。図の中央の大きな茶色の三角形は塔です。塔の近くに山道があります。塔の中にチャクラが描かれています。そしてそれだけではありません。この図は全体が女性器でもあるのです。両手の横のヒダにも注目してください。塔の右側斜面で男女が性交しています。
図25:『幻身』から "BIRTH TO YOMI"、中島修一・画
さらに図13を見返してください。太陽のようなものは図9の卵子であり、蛇のようなものは精子でもあったのです。
さらに同様の絵が13ページにもあります(ここではその絵の引用はしません)。
塔とチャクラと女性器のイメージが融合したものは他にもあります。その顕著な例が下の絵(部分)です。
塔の上にある楕円形の輪は女性器です。さらにこの楕円形は卵子でもあり、その卵子に頂上の精子が向かっている情景にもなっています。
図26:『幻身』から。部分を拡大、中島修一・画
私が、中島修一氏の絵をあまりにも性的な方向にねじ曲げて解釈している、とお感じかもしれません。ですが次の中島修一氏の絵(図27)をご覧ください。この絵は、中有の時の見えない存在(図27の人魂のようなもの=プドガラ)が両親の性交中の場面に惹かれて受精の瞬間に母胎に入り込む様子が描かれています。そしてこれは、図18と同じモチーフでもあります。図18の人の姿が透明なのはそういう理由だと考えられます。
図27:『幻身』84ページ。中島修一・画
さらに下図をご覧下さい。小さな卵子とそれを目指す精子が3組、大きな渦の周囲に描かれています。さらに卵子はそれ自体が小さな渦として描かれています。このように『幻身』のメインテーマは性なのです。性は通常考えられているより深い次元で生と死(つまり輪廻)と直結しているのでこのような表現がなされるのは不思議ではありません。
『幻身』から。中島修一・画(図33と似た構図)
ここで、先の図5〜図9にあった積み木が何なのか説明します。積み木は細胞の意味(図18、図23の透明な人の姿の中の模様も細胞の顕微鏡写真のイメージの反映だと推測できます)があったのです。図5〜図9は死から再生に向かって順に描かれていますが、さらに別の意味が込められいます。実は受精後の誕生のシーンまで折り返して描かれているのです。
具体的に説明しましょう。
(1) 図5左:死者の魂が塔を目指して山道を登っています。
(2) 図5右:塔に辿り着き、中に入ります。ここで死は終了です。
----- ここで時間経過が逆に折り返します
(3) 図9:受精します。
(4) 図8左:受精卵が分裂して細胞がどんどん増えてきます。
(5) 図7左:細胞群が機能分化し、体を作り上げていきます。
(6) 図7右:体が完成し、子宮から女性器でようとしています。
(7) 図6上:誕生し母胎から離れます。図5と違って杖をついていないことに注目してください。
これだけではありません。塔やチャクラにはさらに別のイメージが結合されています。そのためにここで別の絵の説明を始めます。
下の絵(図28)をご覧ください。これは正木晃氏によれば大日如来(=華厳経の毘盧遮那仏)を描いたものとされていますが、私は別の解釈も可能だと考えています。
図28:『幻身』から"BO-GA"。中島修一・画
この図28とよく似た構図の絵に図23があります。これも共通点を挙げてみます。
(1) 図の片側に山、反対側にビルの配置が共通。
(2) 図23では中心の太陽のようなものから沢山の枝のようなものが放射状に出ているのに対し、図28では中心の人の姿から沢山の手が放射状に出ている。
(3) 図23と図28の中心には塔のようなものが描かれている。
(4) どちらの図でも左下に渦が描かれている。右巻きである点も共通。
また、図3も図28と共通しています。
図23の左側の半透明な人の姿(精子、魂)が中央の卵子(女性器、渦、世界の中心、螺旋、ソース)に入り込んだ時の情景を描いたのが、図28に相当するのだと私は推測しています。
図28の中心の人物の両手の間、胸の位置にあるのは何でしょうか。
わかりやすくするために、図28から対応する部分を切り出して拡大したものを下図(図29)に示します。また図28の右下にこの図29と同じものがあります。それも図30に拡大して示します。図29,図30を比較すると上部の円の上の煙らしきものの揺らぎまで共通していることがわかります。また図30はうっすらと中身が透けて見え、よく見るとそれが図29の中身と一致していることもわかります。
図29:図28の部分の拡大図30:図28の右下の拡大
これは死と再生のシンボルとしての密教の火舎(香炉)のようです。図31に中島修一氏の別の絵から火舎の部分を切り出して明度を上げて示します。図31は図29とよく一致しています。図29には火舎の足も描かれています。図29の黄色のかまぼこのような断面の中にあるのは線香もしくはその煙だと推測できます。
図31:『幻身』から "ECTO SLEEP" の部分を拡大(明度調整)、中島修一・画
図32:密教法具の火舎(香炉)。
この死と再生のシンボルは中島修一氏の絵の至る所に描かれています。たとえばその一例を図33(の右)に示します。SATORI,
CHAOS, COSMOS の文字と共に3体の火舎が描かれています。中央で絵を張り合わせたらしく
SATORI の"TO" の部分がわかりづらくなっています。ここでは図33(右側拡大図)の黄色の火舎は図29と完全に一致することに注目してください。
図33:『幻身』から "METAMO DRIFT" (左図)とその中央部分を拡大、中島修一・画
図33の左の絵は世界を生成し、輪廻を司る渦の中央にこの火舎が位置しているわけです。
他にも図34〜図36のように各所で用いられています。どの絵のどこの部分から切り出したのかはご興味があれば探してみてください。中島修一氏の絵は細部まで丹念に調べるだけの価値があります。
図34:『幻身』から部分拡大。中島修一・画
図35:『幻身』から部分拡大。中島修一・画
図36:『幻身』から部分拡大(21ページ)。中島修一・画
さて図5、図6を振り返って見てください。すでにおわかりのように図5、図6の塔は火舎でもあったのです。図6の上の絵にあったミニチュアの塔も火舎です。その証拠に両側から香の煙りが出ているのがわかります。さらに図7の積み木は細胞と述べましたが、香であり、骨でもあります。香を燃やすと灰になることが、体を焼いて骨だけになるイメージと重ねています。それゆえに図8では骨を山から撒いていたのです。
ですから図5は死者の体を焼いて残った骨を撒くイメージを、火舎で香を焚き、灰を撒くイメージに置き換えているわけです。図7左上の絵は香から出てくる煙が描かれていますし、骨をかき集めるシーンがその下に描かれています。
また図10の中の山道は香の煙でもあります。当然、最初の絵(図1)も火舎のイメージを含んでいます。須弥山と判断していた山は火舎の下の火(上の図36にまさにその火舎の下の火が描かれています)でもありますし、図1の青空の左右の雲は香の煙でもあります。図1の垂直の輪は図36の火舎の上の輪でもあります。
また図1の浮かんでいる球の下半分は滑らかな表面ではなく、全体的に段になっているのは最下端に想定されている見えない渦からこの図1の浮かぶ球体全体が生成されつつある状況を示しているようにも思えます。
さらに火舎のシンボルを上下に分離させて描いた絵もあります。図37(下図)の左右中央の円の中をご覧下さい。
図37:図23の中央部の拡大
それぞれの円の中の図柄は図38、図39(ともに図29の部分)に対応していることがわかります。
図38:図39:
また図37の大きな円周上の四カ所に「阿」「木」「偶」「人」という文字が描かれています。どうやらこれは図40の
ADECTO の当て字でもあるようです。この ADECTO は addict から連想した語でしょうか。
図40:図23の左下の拡大。
図23と図28は図の中央の火舎に人が吸い込まれるところを描いているという意味では、図5の右の絵や図3と同じ情景を描いています。
さらに図23と図28は図の中央の渦や中心から人が生まれるという意味では、図7の右の絵や図18,図19と同じ情景を描いています。
総合的に考えて、図28の中央の人の形は人間の死と再生(つまり輪廻)を司っている渦や螺旋(世界の形成力)のパワーを擬人的に描いたものように思えます。中央の火舎は燃えさかる煩悩の炎(無明のエネルギー)のシンボルでしょう。
このように専門家が仏だと解釈したものを素人の私は無明だと解釈していることになります。
最後に渦、螺旋、同心円、女性器のイメージについてもうすこし考えてみます。
下の図41、図42をご覧ください。図18は人の姿が中心から出ていました(誕生)が図41、図42では渦の中心に吸い込まれています(死)。
図41:『幻身』から題不明 、中島修一・画
図42:『幻身』から "SUPER DRAION" 、中島修一・画
図3の絵の左側にも同様のものが描かれています。そこには中央の人物の頭に世界全体が吸い込まれている情景があります。中島修一氏の描く渦や螺旋、同心円、女性器で表現されているのは世界の吸い込み口であり、湧き出し口です。この意味で性欲と性行為は輪廻の原動力なのです。だからこそ、仏教の修行で梵行が重視されてきたのです。
こういった渦巻きや螺旋のイメージは神秘体験でかなり一般的に見られるようです。たとえば福岡正信氏(図43参照)や桑田次郎氏(氏の場合はこの螺旋のイメージは描画不能だったそうです)なども著書で世界は螺旋状に構成されている趣旨の事を述べていました。
図43:『無T』福岡正信・著、355ページ、373ページ
図43の右の絵は、螺旋と物質が物理学的な意味で対応しているという意味ではなく(反宇宙、反物質の位置づけが奇妙ですし)、世界が渦、螺旋のようなイメージで生成されているという福岡正信氏の直感的洞察を図解したものだと思います。
図44: http://maxim.gsfc.nasa.gov/docs/science/science.html
世界は精神的エネルギー(無明)が渦を巻きながら展開して形作られています。その展開するありさまを体験したり、見てしまう人もいると思います。我々はその無明の作り出すマーヤの渦の中に巻き込まれた存在であり、また渦自体でもあります。その無明の展開した姿の中には光も闇も美も醜も、全てが含まれています。
恐ろしげな姿の魔だけでなく、一部の「密教的な仏」すら無明の展開した姿なのです。無明の光や美の部分を見て、金剛界大曼荼羅のような素晴らしいものと誤解してしまったのが密教の欠陥(それは人間性から言えば美点でもありますが…)だと私は考えています。