Musicman-NET TOPSPECIAL REPORT & INTERVIEW 映画『ROCKERS【完全版】』公開記念座談会


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地引:レック(フリクション)と会ったのはそこで?


s-ken:そうこうしてるうちに、財団のYAMAHAが解散になっちゃってね。で、いきなり職が無くなっちゃったんだけど、一方でロッキンfから原稿の依頼なんかが来てね。レックはどうもそれを読んだみたい。当時は76丁目にあるオンボロアパートの4Fに住んでいたんだけど、郵便物が来ると下まで階段を降りて行かなきゃならないのね。ある朝、6時くらいにブザーが鳴るのよ。「えっ〜?」と思って下に降りたら、ソコにレックが立っているわけ。何も聞いていなかったから、しかもまったく知らないヤツだったから驚いたよ。で、アパートを紹介してあげてね。


山浦:レックもバンドをやりに来たわけ?


s-ken:そうは言ってなかった。ニューヨークで演っている連中が話題にしているルーツ・ミュージック、イギー・ポップだったりルー・リードだったりに反応してたみたいね。今までレックが演ってきた音楽に近いと感じてたんだろうね。そこで何かが起こるとなれば「行かなきゃいけない」っていう思いがあったのかもしれない。


地引:ニューヨークでは頻繁に会ってたの?


s-ken:1、2度。CBGBで会ったかな? よく覚えてないよ。


山浦:1年くらいで帰ってくるわけだけど、その時の心境はどうだったのかな?とりあえず僕への電話の第一声は「バンドやろうぜ!」だったと思うけど(笑)。さっきも話したけど僕はバンドをやっていたものだから、そのことを言うと「行く〜!」って切り返されてね。で、そのままバンドは乗っ取られちゃうんだけど(笑)。だけどその時のバンドはコピーばかりを演っていて、s-kenにそのことを話すと1週間後に20曲くらいの詞と曲を書いてきてね。バンド名もs-kenになってて(笑)。で、その1ケ月後には屋根裏の舞台に立っていましたね。


s-ken:覚えてないな(笑)。そのライブは「詩の世界」っていう雑誌が主宰でね。フリクションもその時は一緒だったね。


地引:リザードもその同じ日に北区公会堂で演ってるんだよね。


lizard モモヨ:俺達は東京で長くアマチュア・バンドを演っている面々、特に高円寺なんかで新しいことを始めているバンドを集めて、それを聴かせたくてライブをやったんだよね。で、その時に取り巻きの女の子たちが屋根裏のイベントのことを話題にしていた。だけどレックは言ってなかったんだよね。彼らは両方のイベントに出てたんだけど。レックとはニューヨークからも手紙を貰ったりしてたんで、この頃からs-kenやレックなんかと実際の交流が始まるんだよね。


s-ken:僕や山浦君なんかは、もちろん精神的には「唄うぞ!」っていう気持ちではいたんだけど、年が上ってこともあって、役割としてはやるべきことをやろうっていう考えが先行していたと思う。ニューヨークなんかでも普段からCBGBを始め、3つか4つのライブハウスでサーキットをやっていてね。ニューヨークのシーンって言ったってさ、あれだけのことが2・3人のオーナー達がやる気になればできるじゃん! っていう気持ちがあったんだと思うよ。あれくらいのことだったら、僕らでもできるんじゃないかっていう、オーガナイザーみたいな心境が半分はあったんだよね。シンプルな話、東京ロッカーズってのは、ニューヨークにレックが訪ねてきてくれたことが初めの一歩というか、象徴だったような気がする。東京に帰ってきてからは頻繁にレックに会うようになって、レックを通してモモヨも知るようになるし、レックの存在感と身の回りの人たちが創り上げていった感がある。元々、レックやモモヨはパンクやニューウェーブ以前のルーツ的な音楽をニューヨークやロンドンの連中と同じように吸収していたわけですよ。僕自身は当時、オーガナイザーとしては機能してたはずですけど、東京ロッカーズそのもの自体は、そのような下地があった連中によって作られて、一時代が形成されたんだろうと思います。レックやモモヨはピストルズ自身、ジャム自身、デヴィッド・バーン自身のような、根の深い音楽をやってきたわけです。その後、ボルシーとかの若い連中は直接ピストルズに影響を受けて出てきたりしますけれども、だから、この映画はそのような解釈で観てもらって良いと思います。僕は自分が出ていることに関しては、音楽性や創造性は未完成のまま気持ちだけが突っ走っていて、その後は封印したいと思っていたけど、東京ロッカーズに関わったことは良かったなと思っています。



モモヨ:確かに東京ロッカーズがこれだけ広がって活動ができたのは、s-kenスタジオを拠点にして、s-kenと山浦さんが昼間に媒体周りとかしていたからだよね。紅蜥蜴の名前を変えろって言ったのもs-kenだったしね。


山浦:ははは(笑)。そうなんだ。


モモヨ:s-kenと水上はる子さんのところに遊びに行って、「あなた達、グループで活動してるんだったら、何か名前を付けなきゃダメよ!」って言われて「東京ロッカーズ」っていうネーミングになるんだけど、その時に「この際、紅蜥蜴って名前も変えなさい!」とも言われて、s-kenも「そうだそうだ!」ってノリになって「リザード」になるんだよね。s-kenは「東京ロッカーズ」って曲も作ってたよね。


s-ken:僕は出身が半分ミュージシャン、半分が編集者っていう身分だったんで、こういうムーブメントがあったらいいなぁという機能的なところまで突っ込んで考えてたよね。


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-2008.10.6 掲載


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