Musicman-NET TOP > SPECIAL REPORT & INTERVIEW > 映画『ROCKERS【完全版】』公開記念座談会 |
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●この映画、日の目を見るのはたぶん25年ぶりくらいのことだと思うのですが、まったく知らない若い世代の人たちに向けて、当時の時代背景であったり、東京ロッカーズが生まれた経緯などについて、今回お集りいただいた皆さんにお聞かせいただければと思います。 山浦:この映画が撮影されたのは、78年の大晦日前後だったと思うんだけど、なぜあの場にこれらのバンドが集まり、なぜ彼らを監督である津島秀明が撮ろうと思ったのかを、まずは掘り下げるべきだと思うんだけど。何かが同時代的にシンクロした瞬間であったのは間違いないよね。 モモヨ:s-kenや山浦さんはレコード会社関係の出身だったよね。ドゥービーやイーグルスとか洋楽の担当をやっていたと思うんだけど、それが、なんで自らバンドを組みだしたりしたの? 山浦:確かに僕は70年代の洋楽の担当をしていたんだけど、当時は洋楽が全世界で商業的な成功を収めていて、特にフラワー・ムーブメント以降のアメリカとイギリスの音楽は、ツェッペリンやプログレに代表されるようにロックの黄金期を築いていったわけですよ。ところが、当初はノリノリでやっていた僕なんかも、70年後半を迎えるにあたって、その成熟しきったロック・ビジネスに疑問を持ち始めるわけです。ロックが金とドラッグと女に染まって、成熟しつくされた印象ね。それで、もうこれで終わりにしようかと思ったバンドがイーグルスなんですよ。「ホテル・カリフォルニア」という曲がある種、その終焉を意味しているように思えて。あの曲自体はヒットしたんだけれども詞の内容はかなり退廃しているのね。僕らはその辺の状況をリアルタイムに受け取っていて、「なんかシラけちゃったな」という気持ちになったんだよね。今の言葉でいうと、リセット感覚のようなムードになったわけ。で、その勢いで会社を辞めてしまった。かといって何かをやりたかったわけでもないんだけど、バンドでも組んでみようかな? と。だけど、商業的な方向にはさっぱり向くつもりはなくて、そんなタイミングの時にニューヨークやロンドンあたりで面白い動きがあることを知るんだよね。「コレだ〜!」って思ってね。だけど僕らのバンドにはボーカルがいなかった。そこへ旧友のs-kenが何やらニューヨークから凄い勢いで帰って来たんですね(笑)。 モモヨ:俺は山浦さん達より若い世代なんだけど、当時もみんなのことは知っていて、レコード会社の人たちがなんでバンドを組み始めたのかな? ってトコに凄く興味があったんだよね。 s-ken:僕は71年にソニーからデビューしているんですよ。で、その後はYAMAHAの財団に籍を置いて、作曲をしながら雑誌編集の仕事を両建てでやっていたのね。かなり珍しいスタンスだったと思うんだけど、ある時、煮詰まった時期があってね。それで「特派員」ってことでアメリカに行かせてくれないかって会社に頼んで、実際に行かせてもらったのが74年のことです。なんで僕が雑誌編集なのかっていうのは自分でも不思議に思ってたけど、そこで細野晴臣や山浦君にも会うしね。結構、関係は広がったと思うよ。で、アメリカに行ったわけだけど、イーストとウェスト両方に行こうと思っててね。まずはロスに行って、状況は一緒だということに気づくのね。 山浦:ニューヨークに行って何があったのか? ってトコが聞きたいね。 s-ken:まず、その前にロスで観たボブ・マーリーに一番のショックを受けたのね。75年のロキシー・シアターでした。商業的な部分とメッセージ性と音楽のクオリティを全部背負い込んでさ、「あぁ、こんなのがあるんだ」ってね。客席では僕の周りにいるのが、マイク・ラブやリンダ・ロンシュタットとかのミュージシャンばかりでね。その彼らが直に衝撃を受けているのが分かったのね。声すら出ないっていう(笑)。なので僕はパンク以前に、まずはウェスト・コーストのレゲエだったんだよね。その後、イーストに移るんだけど、予想通り、何も面白いものがなくてね。だけど、たまたまレコード屋で雑誌の記事を見てね、42丁目をバックにマーベルスっていうグループが立ってる写真で「ニューヨーク・ロッカーズ」云々って内容だったんだけど、これは何かあるなって予感がしてね。その直後にCBGBやマクシス・カンザスシティを知るんですよ。それで実際に行ったら「エッ?」って感じで。まだ、アメリカのメイジャーやジャーナリストは見向きもしてなかったですね。僕はビートルズの世代ですから、彼らがどんな環境から生まれてきたのか? っていうのを知っているわけです。まさにそれが目の前で展開してるって感じでした。CBGBはボワリー地区っていう割と怖い場所にあったんだけど、その扉を開けた時の熱気といったら、今までに経験したこともない異常なモノだったんですよ。で、ステージと客席の距離がね、垣根をまったく感じさせない雰囲気でね。結局、毎日のように入り浸っていました。
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