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つむぎ唄:春よ、来い 赤ひげ診療譚/3 栄村診療所閉鎖の危機 /長野

 ◇「それなら僕が行こう」

 「ここら辺で一区切りをつけたい」

 07年10月、高橋彦芳村長(80)=当時=は、村から去ることを告げる医師(62)を前に、20年間の労をいたわりながらも、今後のことに頭を巡らせていた。医師は信州に何の地縁・血縁もなく、働き盛りの時期を村にささげてくれた。「そんな彼に『もっといてほしい』なんて言えない」。どうすればいいんだ……。やむなく承諾し、新たな医師探しを決意する。

 診療所は、JR飯山線森宮野原駅のそば、役場や商店が建ち並ぶ中心部にある。2人に1人が65歳以上という「超高齢化」した村民を支えてきた。しかし、医師探しという難問が早々に解決するあてはなかった。

 県国民健康保険団体連合会(長野市)の県医師紹介センターを通じて「長野か新潟で働いてみたい」という北海道の40代医師が村を訪れた。しかし、家族の意向や子供の教育問題などがネックとなり、色よい返事はもらえなかった。

 齢(よわい)80を迎え、高橋村長は任期満了となる08年3月の引退を決めていた。「このまま無医村にして、引き継ぐわけにいかない」。5期20年最大のピンチとも言えた。

  ◇  ◇  ◇

 栄村に魅了されたアマチュアカメラマンがいる。東京在住の前沢淑子さん(61)だ。

 「抜けるような青空と白い雲が織りなす風景、軒先や縁側に大切に干してる収穫物の輝きに魅せられた」

 93年に初めて訪ねて以来、度々撮影するために通うようになった。96年には村の写真集を出版したほどだ。

 仕事柄(当時、東京民医連事務局勤務)、村の医療や福祉政策に一家言あり、高橋村長に都内で講演を依頼したこともあった。

 07年6月、前沢さんは村長から栄村が無医村になる可能性を聞いていた。

 「最後の仕事としてどうしても医師を連れていきたいんだ」

 老政治家の熱意にほだされ、薬剤師の資格を持つ彼女は、かつての大学同級生らにも助けを求めた。しかし、全国的に医師不足は深刻。「万策尽きた状態」で相談を持ちかけたのが市川俊夫医師だった。彼の父が栄村出身だと知っていたからだ。

 「良い案がないか、誰か紹介してもらえないかを聞こうと思った」。07年10月15日、前沢さんは品川の「ゆたか診療所」を訪ねた。

 話を聞き終えた市川医師はゆっくりと口を開いた。

 「そうだなあ、それなら僕が行こうか」

 それは、予想外の返事だった。=つづく

毎日新聞 2008年12月4日 地方版

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