私は貝になりたい
    1959・東宝
私は貝になりたい

監督:脚本:
    橋本 忍
原作:加藤哲太郎
撮影:中井朝一
美術:村木与四郎
音楽:佐藤 勝

出演:フランキー堺
    新珠三千代
    水野久美
    加東大介
    藤田 進
    笠 智衆
    中丸忠雄
    藤木 悠
    藤原釜足
    稲葉義男
    小池朝雄
    南原宏治


床屋の豊松

出兵兵士を万歳で送る豊松

豊松に赤紙が・・・

捕虜を殺す

豊松に死刑判決

13階段を登る

私は貝になりたい
物語

高知の漁港町で床屋を開業している清水豊松(フランキー堺)は、妻の房江(新珠三千代)と一人息子の健一との三人暮らしだ。
太平洋戦争に突入して日本は苦しい戦況にあった。今日も出征する地元の酒田(藤木悠)を豊松は万歳三唱で見送った。

その豊松にもとうとう赤紙(召集令状)が・・・。「・・・とうとう来たでよ・・・おめでとう」 配達人の竹内(加東大介)が神妙な面持ちで赤紙を届けに来たのだ。
壮行会が開かれる。親類縁者、隣組が宴会で豊松の出征を祝う。豊松はヨサコイ節を歌う。妻の房江とその妹の敏子(水野久美)は甲斐甲斐しく訪問客をもてなす。
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B29爆撃機による空襲が日本全土を襲っていた。そんなある日、日本の撃墜を受けたB29機が一機、大北山山中に墜落したとの報があった。
搭乗員はパラシュートで脱出した模様だ。
報告を受けた矢野軍司令官(藤田進)は、「搭乗員を逮捕、適当に処分せよ!」 ただちに命令を下した。

パラシュートで降下した米兵のうち一人は既に死亡。二人は山中の木に縛り付けられていた。だが、負傷しており虫の息だった。
「ただ今より、突撃訓練を実施する!」 足立少尉(藤原釜足)が号令を発した。「第三分隊より2名選抜せよ」
「立石!一番たるんでる奴にやらせろ!」 木村軍曹(稲葉義男)の指図で立石上等兵(小池朝雄)は目を光らせた。直立不動で並ぶ二等兵たちの顔がこわばる。
「清水、滝田、前へ出ろ!」 豊松と滝田は列から前へ出た。
「貴様ら、そろいも揃ってグズだ!今日は、大尉殿、少尉殿、軍曹殿の前で立派な帝国軍人となったところを見せろ!」 立石は檄を飛ばした。

日高大尉(南原宏治)が、豊松と滝田に向かった。 「お前達の家を焼き、妻や子供を殺したのはあいつ達だぞ!憎いとは思わんか!」
「・・・憎いであります・・・」 「行け!」
二人は銃剣を構えて突進したが、二人とも米兵の手前で止まってしまった。すかさず立石が二人にビンタをくれた。
日高が叫ぶ。「貴様等!上官の命令を何と心得る!上官の命令は、天皇陛下の命令だぞ!」
豊松と滝田は歯を食いしばって突進した。そして米兵捕虜を突き刺した。
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日本は敗戦し、豊松は再び高知の床屋で平和な毎日を送っていた。客の酒田との会話の中で、A級戦犯の東京裁判の話が出る。
酒田 「勝ち目のない戦争に俺たちを引っ張り込んだ軍の上層部はアメリカ軍の裁判に掛けられても仕方ねえさ」
豊松 「・・・俺たちは二等兵でよかったなぁ・・・」
だが、その豊松の床屋に進駐軍と共に警察がやって来て豊松に手錠を掛けたのである。

裁判で、アメリカ人の裁判長に豊松は訴えた。
「上官の命令は、天皇陛下の命令です。絶対服従しなければ・・・」
日系の通訳は事務的な冷えた口調で裁判長の言葉を伝えた。
「上官の命令といえども不当と思えば拒否できた筈ではないか?」
「・・・そんなことしたら銃殺だよ・・・」
「軍法会議に掛けることもできた筈である。被告がそれをしなかったのは、捕虜を殺す意志があったからではないか」
「・・・どこの話をしてるんですか、あのねぇ、日本の二等兵は・・・牛や馬と同じなんです、牛や馬と・・・」
豊松の気持ちは容易には伝わっていないようであった。

判決。裁判長の判決を通訳が事務的に言い渡した。
矢野軍司令官に対しては、「捕虜を殺せと命令したことにより、絞首刑」
足立少尉に対しては、「・・・終身刑」
木村軍曹、立石上等兵に対しては、それぞれ重労働、二十年、十五年であった。
日高大尉は敗戦時に自決していた。
清水豊松に対しては、「あなたは捕虜を殺した、有罪、絞首刑!」
瞬間、豊松は我が耳を疑った。「俺が・・・どうして俺が!・・・」

豊松は死刑囚の独房に入った。独房で自殺する者が出てきて、独房だが、二人部屋なのである。既に大西三郎(中丸忠雄)という囚人が入っていた。
豊松はその夜、眠ることができなかった。
木曜日の朝になると、房のあちこちからお経を唱える声が聞こえてくる。死刑囚は木曜日の朝呼ばれ、金曜日の深夜、刑が執行されるのだという。
大西は戦争でただ一人生き残った妹から送られた『聖書』を読んでいた。
そしてその朝、大西にお迎えが来た。
「一晩だけでしたが、何かのご縁でしょう・・・」 大西はうずくまる豊松に言い、他の房に声を掛けた。「お世話になりました・・・」 房からは「さようなら・・・」
と力ない声が返った。

刑務所の中庭の散歩時間。豊松に矢野が話し掛けるが豊松は無視した。
『この男の指示があったから、今の俺の苦境があるのだ、・・・』 
だが、矢野は警備員を説得し、豊松の独房を訪問して来た。
矢野は豊松に煙草を勧め、おもむろに話し出した。
「・・・わしの不注意から、君たちを巻き込んで・・・本当に済まないと思ってる・・・」 「・・・・・」
「実はわしも、嘆願書を出したのだ。・・・罪は司令官である自分ひとりにある・・・他の事件関係者の罪はあまりにも過酷すぎる・・・司令官一人を絞首刑にすべきで、再審により、他の者は、むしろ無罪にすべきが正当である、・・・とね」
豊松は矢野の言うことを神妙な面持ちで聞いていた。矢野は自分の責任は死で果たし、更に部下の刑は免除してくれるよう嘆願書を出したのであった。

豊松が警備員立会いのもとで矢野の散髪をしている。豊松の表情は明るい。
豊松 「また、日本に新しい軍隊ができるらしいですな」 
「あぁ、警察予備隊のことだね・・・民主的な軍隊・・・そんな絵に描いた餅みたいなものは世界中にありゃせんよ・・・なぁ、清水君、わしは、新しい憲法で一番いいのはもう二度と軍備をしない、というところだと思っていたのだがね」

その矢野の刑が執行されてからお迎えがぴたりとなくなった。人々の間ではもう刑の執行はないのではないか、と囁きあった。
更に死刑になった人間が別の場所で生きているという、面会に来た人間の話もあって、豊松は希望を持てるようになっていた。

妻の房江が遥々高知から面会に来た。既に何回目であろうか。豊松はせっせと再審の嘆願書を書き、故郷の高知では町会議員が中心となり豊松の助命嘆願書を集めてくれたのである。房江がその嘆願書を届けに来たのだ。
「ありがたいな、故郷の人は・・・。だがな、じきに講和条約の締結があるそうや、そうなりゃ戦犯も何もない、みんな釈放や、それにこの嘆願書があれば、鬼に金棒や!」
房江は目を輝かして新しい理髪台のカタログを見せた。随分とハイカラな理髪台を見て、「ええなぁ、早よう出て稼がにゃ!」 豊松の心は早くも高知に飛んでいるのだった。

ある木曜日の朝、豊松の独房の前に憲兵が立った。
独房を出て別の部屋へ連れていかれた豊松は、そこで信じ難い言葉を聞いた。
「明日、零時30分、巣鴨プリズンにおいて絞首刑を執行する!」

豊松は頭から毛布をかぶり、教誨師(笠 智衆)の言葉も聞いていなかった。教誨師が葡萄酒を勧めた。豊松は一杯飲む。死の前の酒の味は甘くはない。
「・・・なんという人生だろう・・・あっという間に35年経っちまった・・・」 豊松は立て続けに葡萄酒を呷った。
「そこですよ、人は50年、仮に100年経っても、死ぬ間際には恐らくあっという間に感ずるものですよ・・・とにかく、来世を信ずるより方法がありません・・・清水さん、あなたは来世に生まれ変われるとしたら、何になりたいですか?」

頭から黒い袋を被せられ、豊松はゆっくりと13階段を登って行く。
「・・・せめて生まれ変わることができるのなら、いいえ、お父さんは生まれ変わっても、もう、人間になんかなりたくありません・・・人間なんていやだ、牛か馬のほうがいい。・・・いや、牛や馬ならまた人間にひどい目にあわされる。・・・どうしても生まれ変わらなければならないのなら、いっそ、深い海の底の貝にでも・・・そうだ貝がいい、貝だったら深い海の底の岩にへばりついているから何の心配もありません、兵隊にとられることもない、戦争もない。房江や健一のことを心配することもない・・・どうしても生まれ変わらなければならないなら、私は貝になりたい・・・」
映画館主から

1958年度の芸術祭賞を受賞した同名のテレビ・ドラマを、その時のシナリオも書いた橋本忍が映画化した第一回監督作品。
平和な市民の生活が戦争により無惨に打ち砕かれる悲劇を描いた反戦映画の秀作。

「羅生門」「七人の侍」などの黒澤作品を始め、「切腹」「白い巨塔」「首」「日本のいちばん長い日」などの問題作、「ゼロの焦点」「砂の器」などの松本清張作品の脚本を多く手がけた日本を代表する脚本家、橋本忍が加藤哲太郎の体験に基づいた原作をドラマ化したもので、橋本忍と加藤哲太郎の両者の経緯はウィキペディア(フリー百科事典)に詳しく書かれています。
私が二十代の始めに赤坂のシナリオ研究所に通っていた頃、橋本忍の講義を受ける機会があり、「私は貝になりたい」もそこで見ることができました。

戦時中、上官の命令で捕虜を殺害した罪で、戦後の裁判において絞首刑を宣告されるという、一般市民に降って沸いたような理不尽な悲劇がドラマの中心です。
戦勝国が敗戦国の戦争責任を裁く戦後の裁判では、A級戦犯25人のうち東条英機元首相ら7人が絞首刑。
B・C級戦犯は5700人に及び、うち920人に死刑が執行されたとのことです。戦争に負けるということはそういうことなのでしょうが、アメリカの広島、長崎への原爆投下で何十万人もの人の生命を一瞬に奪った大殺戮の罪は誰が裁いたのでありましょう。この大矛盾には到底納得できるものではありません。

私事ですが、私は戦後の1947年(昭和22年)の生まれです。私の母方の叔父は南方で戦死しており、私の父は海軍でしたが南方で負傷して帰国、その傷が悪化して、私が生まれた翌月死んでいます。
戦争のために今は亡き私の母は辛酸を舐め、やっとの思いで私を育ててくれたのです。

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