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無慚愧の若ノ鵬…ポール牧さん草葉の陰で泣いている

高須基仁「人たらしの極意」

 誰も真相を語らないので、再び書く。

 15歳になったばかりの“ソスラン”が、ロシア・北オセチア共和国から中学を卒業して日本にやってきたのは2003年の秋口であった…。

 東京・歌舞伎町にある日本料理店「土佐屋」の奥座敷に、まだ身長185センチだったが、“ソスラン”は、はにかみながら低い障子戸に首をすくめて入ってきた。北の湖理事長に“ソスラン”を初めて紹介する夜だ。

 当時、お笑い芸人の故ポール牧は、格闘技の世界に「ロシア軍団」と名付けて9名ほどのアスリートをプロデュースしていた。

 K−1のルスラン・カヤエフ、ヒーローズのアラン・カヤエフ、大相撲では露鵬、白露山の兄弟力士が続々と活躍をその後はじめた。

 “ソスラン”は、ロシア側のエージェント、ゾーリック氏に伴われ、着席した。そして北の湖理事長による、まさに初の「面接」がはじまった。

 なれない“畳”に、ひざをくずしてモジモジとしながらも、“ソスラン”は、北の湖理事長の質問にポツリポツリと答えていた。

 そして北の湖理事長の推薦で、まもなく間垣部屋に入門し、しこ名を「若ノ鵬」とした。当然、名付け親はポール牧だ。

 その翌年、ポールは自死した…。

 若ノ鵬はめぐまれた体を最大限に利用し、かけあがるようにして、たった2年で一気に関取になった。そして、大麻取締法違反容疑で今年8月18日、警視庁に逮捕された。1カ月前に20歳になったばかりだった。

 このたった5年の間に、何があったのか!?

 だって、私の知る来日当時の“ソスラン”は「無邪気」そのままだったからだ。

 今回の禁止薬物に手を出す姿は、「無慚愧」そのものだ。“慚”は自ら罪を作らず“愧”は、罪を他人に教えて、これをさせないことだ。さらに言えば、“慚”は人に恥じ、“愧”は天に恥じる“志”のことだ!!

 だから慚愧の志のない者は人間の姿はしていてもケダモノと同じ…。“邪気”がなく、ハニカミながらも、前途洋々であったはずなのに、無くした“慚愧”のまま土俵に上がり続けた。

 ポール牧という「日本の相撲道」の基本を語り続けた“師”を失い、根本の魂を求めず、未の未の金銭への執着に拘泥していきながら、法も掟も無視する、ウソつきたい放題の問題力士の道に迷い込んだ。

 私に言わせれば、今回の一連のドタバタ迷走の“ウソつき合戦”の根底には、若ノ鵬と宮田眞弁護士の「慚愧の念」の決定的な欠落に問題があるのだ。つまり、「大麻」では法的にクロ、という現実を直視していない。

 いずれにしろ若ノ鵬の「クビ」そして「国外強制退去」は免れない。私は若ノ鵬の虚言の中に登場した「X」なる人物と間違えられたが、草葉の陰で故ポール牧が泣いている!!(出版プロデューサー)

 ■高須基仁の“百花繚乱”独り言(http://plaza.rakuten.co.jp/takasumotoji)

ZAKZAK 2008/12/04

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