2008年12月04日
太田述正コラム#2952(2008.12.4)
<皆さんとディスカッション(続x326)>
<hjp>
--ショパンのノクターン--
紹介していただいたラマニノフの演奏には聞き入ってしまいました。
軽い目のクラシックファンとして、長年それなりに愛聴してきたのは、ルービンシュタインでしたが(1985:録音RCA)、東正横綱から西に変わってもらいます。
貴重な情報提供に感謝しています。
因みに三人の演奏家への感想は、ディー・リー 病気?オナニスト? ルービンシュタイン 流麗 華美 ラフマニノフ 秘めた叙情といったところです。
<太田>
・・・現在、中国に関する最大の不安要素となっているのは、品質問題と知的財産の盗用だ・・・
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20081203/179048/
という記事を読むにつけ、ランランとユンディー・リーの二人に共通するのは「品質」へのこだわりの欠如・・弾き流してしまうこと・・と知的財産を創造する域に達していないこと・・独創性の欠如・・であることが思い起こされます。
・・・日本人は細い点を重視し、あらゆる細いことを完璧にこなしている。・・・日本に来て目のあたりにしたものは、<中国人との>『格差』です。それは、ハード面での格差ではなく、人の素質においての格差です・・・
http://j.peopledaily.com.cn/94473/6541912.html
と、日本人の「品質」へのこだわりについては、支那人自身が甲を脱いでいます。
しいて日本人の欠点を指摘すれば、「品質」に対する過度のこだわりがもたらす、ちまちました知的財産は創造できているけれど、「品質」へのこだわりを突き抜けた全く新しい知的財産の創造は苦手である、といったところでしょうか。
<コバ>
コラム#2854「米国はどうして覇権国になれたのか(その1)」を読みました。
CNNがJALを取材したレポートがYouTubeに投稿されて米国で注目を受けているようです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081203-00000002-jct-bus_all
米国の高給CEOと日本の質素なCEOという視点から作られていたために注目を浴びたようですが、米国と日本は文化が全く違うんだなあと実感します。
切った張ったで賭博師たちの頂点に立てば超高給CEOになれる米国と、上から下まで乾いた雑巾絞りをやってる日本、どちらも世知辛いように思えます。
<太田>
本件に関しては、賭博師云々といった文化の違いを持ち出すまでもなく、日本における社員の給与差の小ささについては、日本人の(能力的、選好関数的な)均質性(標準偏差の小ささ)によって説明できそうです。
<植田信>(http://8706.teacup.com/uedam/bbs?OF=20&BD=17&CH=5)
・・・太田述正氏の『実名告発・防衛省』を、予定よりも早く読むことにしました。
私としては、皆がすっかり関心を失った頃(出版から半年から1年後あたり)に読もうと思っていたのですが、そうもいきませんでした。
今朝、届いたので、さっそく拝見しました。
まだところどころ残っていますが、感想は、太田氏は、出るべくして出てきた人だった、との思いを強くしました。
戦後の吉田体制のなかで、防衛庁(省)・自衛隊関係者が腐敗しないでいられるなら、それこそ人間の精神衛生にとって最強の反例になるだろう、というのが私の持論でした。
で、予想通り、腐敗しました。
その腐敗の様子を『実名告発・防衛省』が、太田自身氏の体験談を軸に、見事に描写しています。
その一方、もしも、こういう腐敗が必然の体制の中で、健全な精神を保つ日本人がいたとしたら、いかなる人か。どういう条件であれば、それは可能か、と考えると、まさにこれしかない、というのが太田氏の生まれてからのキャリアでした。
「1956年、小学1年生だった私は生まれ故郷の三重県四日市市を離れ、商社マンだった父の赴任に伴いエジプトのカイロにいた。・・
59年に帰国、東京での生活が始まるのだが、少年時代エジプトのカイロで過ごしたことが、防衛庁への入庁につながっていると思わずにはいられない。・・とりわけ大きかったのが56年にスエズ戦争を体験したことだろう。・・
一体、私を突き動かしているのは何なのだろうか。それは、小さな時に世界を知ってしまった私が、帰国した日本になじめず、孤独感にさいなまされるようになった頃までさかのぼる。
苦しみ続けた私は、防衛庁に入って、ようやく自分がなぜ日本になじめなかったかがわかった。日本が外交・安全保障の基本を外国に丸投げした異常な国だからだと。爾来私は、自分の孤独感を克服するためにも、この日本の異常な姿を正さなければならないと決意し、現代に至っているのだ。」p.234, P235
つまり、太田氏には、戦後の日本が異常な国であると感じることができる「海外体験」がありました。
しかも小学校の時代に。
さて、そこで、太田氏が告発する戦後の日本の国家安全保障問題の異様さを見て私が思ったことは、そもそも戦後の日本人は、「国家主権」なるものを、根っから知らないのではないか、ということです。
だからこそ、異様さを異様さと感じることもできない、と。
それを象徴するのが「思いやり予算」です。
太田氏がここを見事に突きます。
「〈思いやり予算〉のきっかけは、財政難と円高に苦しむ米軍が米軍基地従業員を整理縮小しようとしたのに対し、55年体制という自社癒着構造の下、当時防衛庁長官だった金丸信が、基地従業員の雇用確保のために負担を決断したことだ。日本は、特定の職場の雇用確保のために主権を売り渡した、ということになる。」前掲p.191
要するに、金丸信氏は、「主権」なるものを知らなかった、ということです。
したがって、この人の罪は、その地位を利用して私財を蓄財したことではなく、「国家主権」を理解できなかったことです。
<太田>
コラム#2932で、植田さんが、
「必要なのは、自然理性による、国民の生命と財産の安全保障をするための警察であり、国軍です。・・・ 」
と仰っているのに対し、私が、
「断じて違います。「国民の生命と財産」を守るのは警察であり、軍隊ではありません。」
と申し上げた点に間接的にお答えになっている、と受け止めました。
そう。軍隊が守るのは国民の生命・財産ではなく、国の主権なのです。
ただ、それは形式論であり、実質論ではありません。
実質論として私が1982年防衛白書で打ち出したのが、日本の軍隊たる自衛隊が守るのは自由民主主義という価値である、ということです。(私自身のホンネは、守るのは自由民主主義的価値と適合性のある日本文明である、というものでしたが、官庁文書たる白書にそこまで書くわけにはいかなかったということです。)
なお私は、戦時中の日本で「国体」を守るとか、「天皇制」を守る、と言われていたことも、これと基本的に同じことだったと理解しています。
つまり、軍隊が守るべきものは何か、という点においても、日本の戦前と戦後は断絶していない、と考えているわけです。
昭和天皇ご自身が、既に戦前において、自らを英国の国王と同じ立場の存在であると明確に認識され、そのように自らを律しておられたことや、敗戦後、美濃部達吉等の日本の憲法学者で明治憲法を改正する必要があると考えた人はほとんどいなかったこと(典拠省略)を思い出して下さい。
仮に明治憲法の軍に関する規定だけを日本国憲法第9条で置き換えていたとしても、2008年末において、日本の姿は、現在の日本の姿とほとんど変わっていなかったであろう、と私は信じているのす。
<植田信>(http://8706.teacup.com/uedam/bbs?OF=10&BD=17&CH=5)
≫「私が関心があるのは、どうして雅子様がこうなっちゃったかです。事前に徹底的に調べただろうから、遺伝的要因は考えにくい。となると、雅子様の養育環境に問題があった可能性が大です。」≪(コラム#2946。太田)
これは、その通りだと私は思っています。
雅子さんの、いわゆる「病気」は、私が思うには、太田氏の「たった一人の闘い」と同じです。
海外体験者が、日本<の>国内・・・システムとの闘いです。
雅子さんの場合は、病気が戦闘の方法であり、自分を守ることです。太い田氏の場合は、防衛庁の自主退職がそれでした。
皇太子妃職を退職できないので、病気になるしかない、と。
太田氏には、意外と、共闘戦線を張る人がいます。
田母神氏。防衛庁・自衛隊の部外者から見れば、どちらも戦後の日本の<システム>・・・と闘っている同士です。
それから、雅子さん<もそうで>す。
雅子さんの病気は、<今後とも>・・・続くでしょう。
とはいえ、ニュース報道を見る限り、愛子さんが元気にすくすくと育っているようで、喜ばしいことです。
<太田>
はっは。確かにそうかもしれませんね。
<hjp>
”たかじん・・委員会”で太田氏を知り購読者となって一年がたちますが、有料、無料を問わず購読者の推移はどののようになっているのでしょうか?
一時期は、その数を目にしましたが最近はみかけません。
太田さんを支持、もしくは、失礼な物言いながら興味を抱いてメルマガを購読されてる方はどれほど増えたのか?、気になってしかたありません。
視聴率の高い番組に出演、また、いくつかの著書も出版されて、世間への認知も高まってるところ、戦後の呆けた腑抜けのごとき体制のチェンジを目指されている革命家の裾野は、どれほど拡がっているのかと、心配しています。
自由と日本の郷土、風景を愛する一個人として、太田氏を応援してやみません。
お体と相談されながら過激に活躍されることを、期待しております。
<太田>
詳細は、今週末にご報告させていただくつもりですが、ブログ訪問者を合わせ、毎日太田コラムを読んでおられる方が約4,000人という状況が、「たかじん」出演以降続いています。
前にも申し上げたと思いますが、5,000人の「壁」を突破するのが一日も早いことを願っています。
<皆さんとディスカッション(続x326)>
<hjp>
--ショパンのノクターン--
紹介していただいたラマニノフの演奏には聞き入ってしまいました。
軽い目のクラシックファンとして、長年それなりに愛聴してきたのは、ルービンシュタインでしたが(1985:録音RCA)、東正横綱から西に変わってもらいます。
貴重な情報提供に感謝しています。
因みに三人の演奏家への感想は、ディー・リー 病気?オナニスト? ルービンシュタイン 流麗 華美 ラフマニノフ 秘めた叙情といったところです。
<太田>
・・・現在、中国に関する最大の不安要素となっているのは、品質問題と知的財産の盗用だ・・・
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20081203/179048/
という記事を読むにつけ、ランランとユンディー・リーの二人に共通するのは「品質」へのこだわりの欠如・・弾き流してしまうこと・・と知的財産を創造する域に達していないこと・・独創性の欠如・・であることが思い起こされます。
・・・日本人は細い点を重視し、あらゆる細いことを完璧にこなしている。・・・日本に来て目のあたりにしたものは、<中国人との>『格差』です。それは、ハード面での格差ではなく、人の素質においての格差です・・・
http://j.peopledaily.com.cn/94473/6541912.html
と、日本人の「品質」へのこだわりについては、支那人自身が甲を脱いでいます。
しいて日本人の欠点を指摘すれば、「品質」に対する過度のこだわりがもたらす、ちまちました知的財産は創造できているけれど、「品質」へのこだわりを突き抜けた全く新しい知的財産の創造は苦手である、といったところでしょうか。
<コバ>
コラム#2854「米国はどうして覇権国になれたのか(その1)」を読みました。
CNNがJALを取材したレポートがYouTubeに投稿されて米国で注目を受けているようです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081203-00000002-jct-bus_all
米国の高給CEOと日本の質素なCEOという視点から作られていたために注目を浴びたようですが、米国と日本は文化が全く違うんだなあと実感します。
切った張ったで賭博師たちの頂点に立てば超高給CEOになれる米国と、上から下まで乾いた雑巾絞りをやってる日本、どちらも世知辛いように思えます。
<太田>
本件に関しては、賭博師云々といった文化の違いを持ち出すまでもなく、日本における社員の給与差の小ささについては、日本人の(能力的、選好関数的な)均質性(標準偏差の小ささ)によって説明できそうです。
<植田信>(http://8706.teacup.com/uedam/bbs?OF=20&BD=17&CH=5)
・・・太田述正氏の『実名告発・防衛省』を、予定よりも早く読むことにしました。
私としては、皆がすっかり関心を失った頃(出版から半年から1年後あたり)に読もうと思っていたのですが、そうもいきませんでした。
今朝、届いたので、さっそく拝見しました。
まだところどころ残っていますが、感想は、太田氏は、出るべくして出てきた人だった、との思いを強くしました。
戦後の吉田体制のなかで、防衛庁(省)・自衛隊関係者が腐敗しないでいられるなら、それこそ人間の精神衛生にとって最強の反例になるだろう、というのが私の持論でした。
で、予想通り、腐敗しました。
その腐敗の様子を『実名告発・防衛省』が、太田自身氏の体験談を軸に、見事に描写しています。
その一方、もしも、こういう腐敗が必然の体制の中で、健全な精神を保つ日本人がいたとしたら、いかなる人か。どういう条件であれば、それは可能か、と考えると、まさにこれしかない、というのが太田氏の生まれてからのキャリアでした。
「1956年、小学1年生だった私は生まれ故郷の三重県四日市市を離れ、商社マンだった父の赴任に伴いエジプトのカイロにいた。・・
59年に帰国、東京での生活が始まるのだが、少年時代エジプトのカイロで過ごしたことが、防衛庁への入庁につながっていると思わずにはいられない。・・とりわけ大きかったのが56年にスエズ戦争を体験したことだろう。・・
一体、私を突き動かしているのは何なのだろうか。それは、小さな時に世界を知ってしまった私が、帰国した日本になじめず、孤独感にさいなまされるようになった頃までさかのぼる。
苦しみ続けた私は、防衛庁に入って、ようやく自分がなぜ日本になじめなかったかがわかった。日本が外交・安全保障の基本を外国に丸投げした異常な国だからだと。爾来私は、自分の孤独感を克服するためにも、この日本の異常な姿を正さなければならないと決意し、現代に至っているのだ。」p.234, P235
つまり、太田氏には、戦後の日本が異常な国であると感じることができる「海外体験」がありました。
しかも小学校の時代に。
さて、そこで、太田氏が告発する戦後の日本の国家安全保障問題の異様さを見て私が思ったことは、そもそも戦後の日本人は、「国家主権」なるものを、根っから知らないのではないか、ということです。
だからこそ、異様さを異様さと感じることもできない、と。
それを象徴するのが「思いやり予算」です。
太田氏がここを見事に突きます。
「〈思いやり予算〉のきっかけは、財政難と円高に苦しむ米軍が米軍基地従業員を整理縮小しようとしたのに対し、55年体制という自社癒着構造の下、当時防衛庁長官だった金丸信が、基地従業員の雇用確保のために負担を決断したことだ。日本は、特定の職場の雇用確保のために主権を売り渡した、ということになる。」前掲p.191
要するに、金丸信氏は、「主権」なるものを知らなかった、ということです。
したがって、この人の罪は、その地位を利用して私財を蓄財したことではなく、「国家主権」を理解できなかったことです。
<太田>
コラム#2932で、植田さんが、
「必要なのは、自然理性による、国民の生命と財産の安全保障をするための警察であり、国軍です。・・・ 」
と仰っているのに対し、私が、
「断じて違います。「国民の生命と財産」を守るのは警察であり、軍隊ではありません。」
と申し上げた点に間接的にお答えになっている、と受け止めました。
そう。軍隊が守るのは国民の生命・財産ではなく、国の主権なのです。
ただ、それは形式論であり、実質論ではありません。
実質論として私が1982年防衛白書で打ち出したのが、日本の軍隊たる自衛隊が守るのは自由民主主義という価値である、ということです。(私自身のホンネは、守るのは自由民主主義的価値と適合性のある日本文明である、というものでしたが、官庁文書たる白書にそこまで書くわけにはいかなかったということです。)
なお私は、戦時中の日本で「国体」を守るとか、「天皇制」を守る、と言われていたことも、これと基本的に同じことだったと理解しています。
つまり、軍隊が守るべきものは何か、という点においても、日本の戦前と戦後は断絶していない、と考えているわけです。
昭和天皇ご自身が、既に戦前において、自らを英国の国王と同じ立場の存在であると明確に認識され、そのように自らを律しておられたことや、敗戦後、美濃部達吉等の日本の憲法学者で明治憲法を改正する必要があると考えた人はほとんどいなかったこと(典拠省略)を思い出して下さい。
仮に明治憲法の軍に関する規定だけを日本国憲法第9条で置き換えていたとしても、2008年末において、日本の姿は、現在の日本の姿とほとんど変わっていなかったであろう、と私は信じているのす。
<植田信>(http://8706.teacup.com/uedam/bbs?OF=10&BD=17&CH=5)
≫「私が関心があるのは、どうして雅子様がこうなっちゃったかです。事前に徹底的に調べただろうから、遺伝的要因は考えにくい。となると、雅子様の養育環境に問題があった可能性が大です。」≪(コラム#2946。太田)
これは、その通りだと私は思っています。
雅子さんの、いわゆる「病気」は、私が思うには、太田氏の「たった一人の闘い」と同じです。
海外体験者が、日本<の>国内・・・システムとの闘いです。
雅子さんの場合は、病気が戦闘の方法であり、自分を守ることです。太い田氏の場合は、防衛庁の自主退職がそれでした。
皇太子妃職を退職できないので、病気になるしかない、と。
太田氏には、意外と、共闘戦線を張る人がいます。
田母神氏。防衛庁・自衛隊の部外者から見れば、どちらも戦後の日本の<システム>・・・と闘っている同士です。
それから、雅子さん<もそうで>す。
雅子さんの病気は、<今後とも>・・・続くでしょう。
とはいえ、ニュース報道を見る限り、愛子さんが元気にすくすくと育っているようで、喜ばしいことです。
<太田>
はっは。確かにそうかもしれませんね。
<hjp>
”たかじん・・委員会”で太田氏を知り購読者となって一年がたちますが、有料、無料を問わず購読者の推移はどののようになっているのでしょうか?
一時期は、その数を目にしましたが最近はみかけません。
太田さんを支持、もしくは、失礼な物言いながら興味を抱いてメルマガを購読されてる方はどれほど増えたのか?、気になってしかたありません。
視聴率の高い番組に出演、また、いくつかの著書も出版されて、世間への認知も高まってるところ、戦後の呆けた腑抜けのごとき体制のチェンジを目指されている革命家の裾野は、どれほど拡がっているのかと、心配しています。
自由と日本の郷土、風景を愛する一個人として、太田氏を応援してやみません。
お体と相談されながら過激に活躍されることを、期待しております。
<太田>
詳細は、今週末にご報告させていただくつもりですが、ブログ訪問者を合わせ、毎日太田コラムを読んでおられる方が約4,000人という状況が、「たかじん」出演以降続いています。
前にも申し上げたと思いますが、5,000人の「壁」を突破するのが一日も早いことを願っています。
防衛省15:53
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太田述正コラム#2858(2008.10.18)
<アイルランドの奇跡(続)>(2008.12.4公開)
1 始めに
以前(コラム#632で)アイルランドが一人あたりGDPで旧宗主国である英国を追い抜くという奇跡を起こした原因について「機会があれば、もっと掘り下げた分析をしてみたい」と記したところです。
コラム#2611でほんの少し敷衍した「分析」を行ったところですが、私が注目しているリューヴェン・ブレナーによる分析(約2年前の2006年9月末に書かれたもの)を見つけたので、それをご紹介することで約束を果たすことにしました。
2 奇跡の分析
(1)ブレナーによる分析
どうしてアイルランドは西欧の最貧国の一つから最富国へと変身できたのか?
国際的企業の本社を1,000も誘致できたのはどうしてか?・・・
かつて<カナダの>モントリオールにあった金融センターはどうしたのか? それは約40万人の人々とともにトロントに移動した。キューバの頭脳は今どこにいるのか? フロリダだ。そしてこのため、かつて繁栄していたキューバはひどい貧困に陥ってしまった。メキシコの人的資本はどこに存在しているのか? 10%あるいはそれ以上が米国にやってきている。ロシアの何十万人にものぼる科学者、技術者、技能工達はどこに行ったのか? イスラエルだ。欧州で高い能力を持った人々はどこに流れて行っているのか? アイルランドだ。約10年の間に40万人以上、アイルランドの人口の10%に相当する人々が流入した。
<ではどうしてアイルランドに人々がやってきたのだろうか?>
1993年までに、アイルランド政府は、国債関係経費を除いた政府歳出を対GDP比で1985年の55%から41%まで圧縮した。こうして<歳出を切り詰めることで>政府は、法人税率を12.5%まで下げ<ることができ>た。当時の欧州諸国における最低法人税率は30%で、米国は35%だった。そして2004年からは、アイルランドは研究開発費の20%を戻し税(tax credit)の形で還元する政策をとっている。
本当の奇跡は、これらの政策転換に伴い、アイルランドが世界中から資本とやる気のある若い人々を惹き付けたことによって起きた。今や、アイルランドの人口は欧米の中で最も若者が多くなった。
1995年から2000年までの間に、25万人の人々がアイルランドに移住した。(このうち約半分がアイルランド人を祖先に持つ人々だった。)当時のアイルランドの人口はわずか360万人だった。
アイルランドはその後、英国、スウェーデンと同様、2004年にEUに加盟した10カ国からその労働市場に無制限の移入を認めた。それ以来、アイルランド人を祖先に持つ人々のアイルランドへの移民は減った。その代わり、今や13万人以上のポーランド人がアイルランドに住んでいる。そして、最近の資料によれば、平均して毎月東欧から1万人が到着している。・・・
アイルランドの人口増加は、低技能及び高技能の移民の流入によるものが大部分だ。大量の資本の流入とあいまって、この開放政策は、米国において現在戦わされている移民論議において予測されているところの負の効果を何らもたらしてはいない。アイルランドの失業率は現在約4.5%だが、1993年にはそれは15%内外もあった。それにアイルランドは当時に比べてはるかに豊かにもなった。
およそ国であれ会社であれ、それが成功するかどうかは資本と高い能力を持った人々を惹き付けることができるかどうかにかかっている。アカウンタビリティーに欠ける政府の官僚機構ではなく、企業と金融市場こそがこの二つを適切な組み合わせへと導くことができる。企業と金融市場は創造性とやる気をよりよい経路へと橋渡しするのだ。
(以上、
http://article.nationalreview.com/?q=ZDNjZjMyNTJjNjRmODY2YzZlNjkzZGRiOWQ0Y2IxNjk=
(10月17日アクセス)による。)
(2)補足
・・・4年前のEUの拡大以前、アイルランド政府は企業がほとんど制限なく世界中から働き手を雇うことを認めていた。2000年から2004年の間に約150カ国から10万人以上の人々が到来した。アイルランドは自国領域内でEUの新加盟国の市民達が働くことを認めた既存EU加盟3カ国のうちの一つだった。(他の2国は英国とスウェーデンだった。)それ以来アイルランド政府は、企業が低技能職位を新加盟国の市民達で充足することを奨励してきた。約7万人のポーランド人がアイルランドでめでたく職にありつけた。外国人としては、英国人とポーランド人に続いてアフリカ人が多い。アイルランドには約5万人のアフリカ人がおり、彼らの多くは亡命希望者だ。・・・
例えば、アイルランドに最低6ヶ月滞在した外国人は、地方選挙で選挙権だけでなく被選挙権すら行使できる。この政策は1972年に採用されたものだが、移民奨励策というよりは、北アイルランド向けの政策だった。北アイルランドでは、投票権を制限する法律が事実上<多くの>カトリック教徒の政治参加を阻んでいた。これがカトリック教徒が大部分のアイルランドを不快にさせており、居住を投票権の根拠とすることで、アイルランドは北アイルランドとは異なるとの姿勢を示したというわけだ。
しかし、それが本来の意図ではなかったとはいえ、この法律は移民達に地域社会において声を上げる権利を与えた。そして何人かはこの機会を活用した。2007年には2000年にアイルランドにやってきたナイジェリア人難民・・・が、アイルランド市民ではなかったのにダブリンのベッドタウンであるポートラオイズ(Portlaoise)の市長に選出された。
2004年まで、アイルランドはその領域内で生まれたすべての子供達に市民権を付与してきた。これは米国の制度を採用したものだ。しかし、アイルランドの政策は米国の憲法上の保証よりも寛大だった。なぜなら、アイルランド政府はこうして市民権を付与された子供達の両親達に、子供達の面倒を見るためにアイルランドに法的にとどまる権利を与えていたからだ。・・・
このようなアイルランドでの取り扱いは広く知られるところとなり、これが一つの原因となって、1990年代初期には数百人であった亡命希望者数は2002年には11,000人以上へと急増した。アイルランドはその時点で、欧州諸国の中で<領域内での>生誕によって市民権を付与する唯一の国だった。しかし、この取り扱いを悪用する例が続出したため、2004年の国民投票で80%近くの国民がこの取り扱いを廃止することに賛成票を投じ<、この取り扱いは廃止され>た。・・・
(以上、
http://www.slate.com/id/2201909/
(10月17日アクセス)による。)
3 終わりに
日本の人口の10%というと、1,200万人ですが、短期間でこれだけ大量の移民を受け入れても大丈夫であった国、しかもそのおかげで高度経済成長を実現し、失業率も大幅に減らした国があったということです。
しかし、このようなヒトの面での開国を実現するためには、カネの面でも徹底した開国を実現する必要があることも分かりますね。
そのほか、アイルランドがそうしたように、かつての宗主国との安保条約に相当するNATO条約から脱退し、外交・安保面で宗主国から完全に自立する政策をとっていたことも忘れてはならないでしょう。
逆に、このような手はずを整えれば、ヒトの面の開国はできる、ということです。
<アイルランドの奇跡(続)>(2008.12.4公開)
1 始めに
以前(コラム#632で)アイルランドが一人あたりGDPで旧宗主国である英国を追い抜くという奇跡を起こした原因について「機会があれば、もっと掘り下げた分析をしてみたい」と記したところです。
コラム#2611でほんの少し敷衍した「分析」を行ったところですが、私が注目しているリューヴェン・ブレナーによる分析(約2年前の2006年9月末に書かれたもの)を見つけたので、それをご紹介することで約束を果たすことにしました。
2 奇跡の分析
(1)ブレナーによる分析
どうしてアイルランドは西欧の最貧国の一つから最富国へと変身できたのか?
国際的企業の本社を1,000も誘致できたのはどうしてか?・・・
かつて<カナダの>モントリオールにあった金融センターはどうしたのか? それは約40万人の人々とともにトロントに移動した。キューバの頭脳は今どこにいるのか? フロリダだ。そしてこのため、かつて繁栄していたキューバはひどい貧困に陥ってしまった。メキシコの人的資本はどこに存在しているのか? 10%あるいはそれ以上が米国にやってきている。ロシアの何十万人にものぼる科学者、技術者、技能工達はどこに行ったのか? イスラエルだ。欧州で高い能力を持った人々はどこに流れて行っているのか? アイルランドだ。約10年の間に40万人以上、アイルランドの人口の10%に相当する人々が流入した。
<ではどうしてアイルランドに人々がやってきたのだろうか?>
1993年までに、アイルランド政府は、国債関係経費を除いた政府歳出を対GDP比で1985年の55%から41%まで圧縮した。こうして<歳出を切り詰めることで>政府は、法人税率を12.5%まで下げ<ることができ>た。当時の欧州諸国における最低法人税率は30%で、米国は35%だった。そして2004年からは、アイルランドは研究開発費の20%を戻し税(tax credit)の形で還元する政策をとっている。
本当の奇跡は、これらの政策転換に伴い、アイルランドが世界中から資本とやる気のある若い人々を惹き付けたことによって起きた。今や、アイルランドの人口は欧米の中で最も若者が多くなった。
1995年から2000年までの間に、25万人の人々がアイルランドに移住した。(このうち約半分がアイルランド人を祖先に持つ人々だった。)当時のアイルランドの人口はわずか360万人だった。
アイルランドはその後、英国、スウェーデンと同様、2004年にEUに加盟した10カ国からその労働市場に無制限の移入を認めた。それ以来、アイルランド人を祖先に持つ人々のアイルランドへの移民は減った。その代わり、今や13万人以上のポーランド人がアイルランドに住んでいる。そして、最近の資料によれば、平均して毎月東欧から1万人が到着している。・・・
アイルランドの人口増加は、低技能及び高技能の移民の流入によるものが大部分だ。大量の資本の流入とあいまって、この開放政策は、米国において現在戦わされている移民論議において予測されているところの負の効果を何らもたらしてはいない。アイルランドの失業率は現在約4.5%だが、1993年にはそれは15%内外もあった。それにアイルランドは当時に比べてはるかに豊かにもなった。
およそ国であれ会社であれ、それが成功するかどうかは資本と高い能力を持った人々を惹き付けることができるかどうかにかかっている。アカウンタビリティーに欠ける政府の官僚機構ではなく、企業と金融市場こそがこの二つを適切な組み合わせへと導くことができる。企業と金融市場は創造性とやる気をよりよい経路へと橋渡しするのだ。
(以上、
http://article.nationalreview.com/?q=ZDNjZjMyNTJjNjRmODY2YzZlNjkzZGRiOWQ0Y2IxNjk=
(10月17日アクセス)による。)
(2)補足
・・・4年前のEUの拡大以前、アイルランド政府は企業がほとんど制限なく世界中から働き手を雇うことを認めていた。2000年から2004年の間に約150カ国から10万人以上の人々が到来した。アイルランドは自国領域内でEUの新加盟国の市民達が働くことを認めた既存EU加盟3カ国のうちの一つだった。(他の2国は英国とスウェーデンだった。)それ以来アイルランド政府は、企業が低技能職位を新加盟国の市民達で充足することを奨励してきた。約7万人のポーランド人がアイルランドでめでたく職にありつけた。外国人としては、英国人とポーランド人に続いてアフリカ人が多い。アイルランドには約5万人のアフリカ人がおり、彼らの多くは亡命希望者だ。・・・
例えば、アイルランドに最低6ヶ月滞在した外国人は、地方選挙で選挙権だけでなく被選挙権すら行使できる。この政策は1972年に採用されたものだが、移民奨励策というよりは、北アイルランド向けの政策だった。北アイルランドでは、投票権を制限する法律が事実上<多くの>カトリック教徒の政治参加を阻んでいた。これがカトリック教徒が大部分のアイルランドを不快にさせており、居住を投票権の根拠とすることで、アイルランドは北アイルランドとは異なるとの姿勢を示したというわけだ。
しかし、それが本来の意図ではなかったとはいえ、この法律は移民達に地域社会において声を上げる権利を与えた。そして何人かはこの機会を活用した。2007年には2000年にアイルランドにやってきたナイジェリア人難民・・・が、アイルランド市民ではなかったのにダブリンのベッドタウンであるポートラオイズ(Portlaoise)の市長に選出された。
2004年まで、アイルランドはその領域内で生まれたすべての子供達に市民権を付与してきた。これは米国の制度を採用したものだ。しかし、アイルランドの政策は米国の憲法上の保証よりも寛大だった。なぜなら、アイルランド政府はこうして市民権を付与された子供達の両親達に、子供達の面倒を見るためにアイルランドに法的にとどまる権利を与えていたからだ。・・・
このようなアイルランドでの取り扱いは広く知られるところとなり、これが一つの原因となって、1990年代初期には数百人であった亡命希望者数は2002年には11,000人以上へと急増した。アイルランドはその時点で、欧州諸国の中で<領域内での>生誕によって市民権を付与する唯一の国だった。しかし、この取り扱いを悪用する例が続出したため、2004年の国民投票で80%近くの国民がこの取り扱いを廃止することに賛成票を投じ<、この取り扱いは廃止され>た。・・・
(以上、
http://www.slate.com/id/2201909/
(10月17日アクセス)による。)
3 終わりに
日本の人口の10%というと、1,200万人ですが、短期間でこれだけ大量の移民を受け入れても大丈夫であった国、しかもそのおかげで高度経済成長を実現し、失業率も大幅に減らした国があったということです。
しかし、このようなヒトの面での開国を実現するためには、カネの面でも徹底した開国を実現する必要があることも分かりますね。
そのほか、アイルランドがそうしたように、かつての宗主国との安保条約に相当するNATO条約から脱退し、外交・安保面で宗主国から完全に自立する政策をとっていたことも忘れてはならないでしょう。
逆に、このような手はずを整えれば、ヒトの面の開国はできる、ということです。
防衛省08:42
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2008年12月03日
太田述正コラム#2950(2008.12.3)
<皆さんとディスカッション(続x325)>
<FUKO>
≫民主党には、天下りの全廃を含む、政官業癒着構造の粉砕までしか期待はしていません。ただし、それが日本が「独立」する前提条件である、と私は固く信じているのです。≪(コラム#。太田)
お答えありがとうございます。
ところでこんな記事が出ていたのですが、「天下りの全廃を含む、政官業癒着構造の粉砕」は大丈夫でしょうか・・・
【大連立の次は超大連立】
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081130/plc0811301917006-n1.htm
<太田>
小沢氏など、虚像こそふくれあがっているけれど、その実態は政治ゴロに毛が生えた程度の人物に過ぎません(コラム#2913(未公開)等)。彼の言うことなど、まともにとりあっちゃダメですよ。
<FUKO>
太田氏のおっしゃる「直接民主主義の青二才さ」がよく分からずにいたのですが、このような
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081130-OYT1T00554.htm?from=main4
ことを指すのでしょうか?
<太田>
多くの社会において、貧者は金持ちに反感を持っていますが、そのような社会で民主主義を導入すれば、貧者による政権が成立し、その政権は、往々にして金持ちからの収奪政策を推進することになります。
現在のタイ情勢を極度に単純化すると、空港等を占拠している人々は、かかる貧者の政権(行政府と議会)に反発する少数派たる金持ち達であり、それを特権階級(金持ちの味方)である軍上層部が間接的に支援している、という図式になります。
これは、青臭い民主主義(たる直接民主主義)の現れなのではなく、民主主義の根源的アポリア(難問)の現れなのです。
青臭い民主主義(たる直接民主主義)の例として私が頭に思い浮かべているのは、例えば、ペロポネソス戦争(コラム#908〜912)を推進したアテネ・・文字通りの直接民主制でした・・であり、国民多数の声を代弁した将校達によって5.15事件や満州事変が引き起こされた1930年代初めの日本です。
なお、タイの最新情勢については、次の2つの記事をどうぞ。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/12/01/AR2008120100482_pf.html
http://www.guardian.co.uk/world/2008/dec/02/analysis-thailand-government-judicial-coup
それでは、その他の記事です。
日本人による「旨味」の発見とその欧米への普及についてのガーディアンの記事は面白い。英国は今頃、「旨味」に注目し始めたようです。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2008/dec/03/umami-food-ingrediant-japan
昨日読んだ、アジアタイムス掲載の匿名(Spengler)論考
http://www.atimes.com/atimes/China/JL02Ad01.html
は久しぶりのヒットです。
彼によれば、「・・・3,600万人の支那人の子供達がピアノを習っているが、米国では600万人にとどまる。・・・科学的研究によれば、<クラシック>音楽を習うと6歳の子供達のIQが高くなる。・・・米国の医学大学院は、医学準備コース専攻者の次に<クラシック>音楽専攻者をたくさん入学させている・・・」というのです。
Spenglerはこれに続いて、クラシック音楽を習うことは、忍耐力、勤勉性、更には(スポーツの練習よりもはるかに)集中力を高めるだけでなく、数学や物理学の勉強とは違って、クラシック音楽演奏の妙は、楽譜に書いてある音符の長さを微妙に変えるところにあることから、創造力をも培う、と指摘しています。
ここまでは、音の強弱の妙に触れていない点はさておき、私としてもおおむね同感ですが、その先がいけません。
Spenglerは、支那人ピアニストとして活躍しているランラン(Lang Lang)のモーツアルト・ピアノ協奏曲24番の演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=oDkCGQHfPlI
を聴くと、音符の長さを微妙に変えるランランの遊び心が伝わってくるが、これはモーツアルトの曲が持つ諧謔性を見事にとらえたものである、という趣旨のことを記しています。
しかしランランは、演奏の際に曲に感情移入をし過ぎているように見えることともあいまって、私には、あたかも気まぐれにピアノを弾き流しているように聞こえました。
そこで、彼が演奏する他の曲も聴いてみることにしました。
こうしてランランによるショパンのノクターン8番の演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=fXKqUiLiTcc&feature=related
を聴いてみたところ、今指摘したランランの特徴というか欠点が、より鮮明に出ているではありませんか。
(ランランのこの2つの演奏には、五つ星がつけられていません。一般聴衆の耳は確かです!)
(ユーチューブ上で、同じ曲を弾く他のピアニストの演奏をすぐには発見できなかったところ、)更に、ショパンのノクターン2番を弾く3人のピアニストによる4つの演奏とノクターン8番を弾くランランの上記演奏とを聞き比べてみました。ちなみに、この4つの演奏には、すべて五つ星がつけられています。
それは、ショパンコンクールで史上最も若い18歳で優勝した、支那人のユンディー・リー(Yundi Li)による演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=ljD8KqrABjg&feature=related、
同じくリーによる、別の時の演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=EvxS_bJ0yOU&feature=related、
そして、
ユダヤ系ポーランド人のルービンシュタイン(Arthur Rubinstein)による演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=YGRO05WcNDk&feature=related、
ロシア人作曲家のラフマニノフ(Sergei Rachmaninoff)による演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=kj3CHx3TDzw&feature=related
の4つです。
この4つの演奏のいずれもが、ランランの演奏よりレベルが高い、と感じました。
ところで、この4つの順番は、たまたまピアニストの年の順になっていますが、私による評価の逆順です。
もっとはっきり申し上げると、リーの演奏は、ランランの演奏とは違って感情移入過多にこそ見えないものの、テンポが速過ぎる点が気になるほか、やはり、弾き流しているという印象を免れず、ラフマニノフやルービンシュタインと比べると、はっきり見劣りがします。まあ、リーはまだ若いので、これからもっとうまくなるかもしれませんがね。
というわけで、ピアニストを見る限り、支那人の「独創性」はまだまだ恐れるに足らず、といったところでしょうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
太田述正コラム#2951(2008.12.3)
<ムンバイでのテロ(続)(その1)>
→非公開
<皆さんとディスカッション(続x325)>
<FUKO>
≫民主党には、天下りの全廃を含む、政官業癒着構造の粉砕までしか期待はしていません。ただし、それが日本が「独立」する前提条件である、と私は固く信じているのです。≪(コラム#。太田)
お答えありがとうございます。
ところでこんな記事が出ていたのですが、「天下りの全廃を含む、政官業癒着構造の粉砕」は大丈夫でしょうか・・・
【大連立の次は超大連立】
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081130/plc0811301917006-n1.htm
<太田>
小沢氏など、虚像こそふくれあがっているけれど、その実態は政治ゴロに毛が生えた程度の人物に過ぎません(コラム#2913(未公開)等)。彼の言うことなど、まともにとりあっちゃダメですよ。
<FUKO>
太田氏のおっしゃる「直接民主主義の青二才さ」がよく分からずにいたのですが、このような
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081130-OYT1T00554.htm?from=main4
ことを指すのでしょうか?
<太田>
多くの社会において、貧者は金持ちに反感を持っていますが、そのような社会で民主主義を導入すれば、貧者による政権が成立し、その政権は、往々にして金持ちからの収奪政策を推進することになります。
現在のタイ情勢を極度に単純化すると、空港等を占拠している人々は、かかる貧者の政権(行政府と議会)に反発する少数派たる金持ち達であり、それを特権階級(金持ちの味方)である軍上層部が間接的に支援している、という図式になります。
これは、青臭い民主主義(たる直接民主主義)の現れなのではなく、民主主義の根源的アポリア(難問)の現れなのです。
青臭い民主主義(たる直接民主主義)の例として私が頭に思い浮かべているのは、例えば、ペロポネソス戦争(コラム#908〜912)を推進したアテネ・・文字通りの直接民主制でした・・であり、国民多数の声を代弁した将校達によって5.15事件や満州事変が引き起こされた1930年代初めの日本です。
なお、タイの最新情勢については、次の2つの記事をどうぞ。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/12/01/AR2008120100482_pf.html
http://www.guardian.co.uk/world/2008/dec/02/analysis-thailand-government-judicial-coup
それでは、その他の記事です。
日本人による「旨味」の発見とその欧米への普及についてのガーディアンの記事は面白い。英国は今頃、「旨味」に注目し始めたようです。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2008/dec/03/umami-food-ingrediant-japan
昨日読んだ、アジアタイムス掲載の匿名(Spengler)論考
http://www.atimes.com/atimes/China/JL02Ad01.html
は久しぶりのヒットです。
彼によれば、「・・・3,600万人の支那人の子供達がピアノを習っているが、米国では600万人にとどまる。・・・科学的研究によれば、<クラシック>音楽を習うと6歳の子供達のIQが高くなる。・・・米国の医学大学院は、医学準備コース専攻者の次に<クラシック>音楽専攻者をたくさん入学させている・・・」というのです。
Spenglerはこれに続いて、クラシック音楽を習うことは、忍耐力、勤勉性、更には(スポーツの練習よりもはるかに)集中力を高めるだけでなく、数学や物理学の勉強とは違って、クラシック音楽演奏の妙は、楽譜に書いてある音符の長さを微妙に変えるところにあることから、創造力をも培う、と指摘しています。
ここまでは、音の強弱の妙に触れていない点はさておき、私としてもおおむね同感ですが、その先がいけません。
Spenglerは、支那人ピアニストとして活躍しているランラン(Lang Lang)のモーツアルト・ピアノ協奏曲24番の演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=oDkCGQHfPlI
を聴くと、音符の長さを微妙に変えるランランの遊び心が伝わってくるが、これはモーツアルトの曲が持つ諧謔性を見事にとらえたものである、という趣旨のことを記しています。
しかしランランは、演奏の際に曲に感情移入をし過ぎているように見えることともあいまって、私には、あたかも気まぐれにピアノを弾き流しているように聞こえました。
そこで、彼が演奏する他の曲も聴いてみることにしました。
こうしてランランによるショパンのノクターン8番の演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=fXKqUiLiTcc&feature=related
を聴いてみたところ、今指摘したランランの特徴というか欠点が、より鮮明に出ているではありませんか。
(ランランのこの2つの演奏には、五つ星がつけられていません。一般聴衆の耳は確かです!)
(ユーチューブ上で、同じ曲を弾く他のピアニストの演奏をすぐには発見できなかったところ、)更に、ショパンのノクターン2番を弾く3人のピアニストによる4つの演奏とノクターン8番を弾くランランの上記演奏とを聞き比べてみました。ちなみに、この4つの演奏には、すべて五つ星がつけられています。
それは、ショパンコンクールで史上最も若い18歳で優勝した、支那人のユンディー・リー(Yundi Li)による演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=ljD8KqrABjg&feature=related、
同じくリーによる、別の時の演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=EvxS_bJ0yOU&feature=related、
そして、
ユダヤ系ポーランド人のルービンシュタイン(Arthur Rubinstein)による演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=YGRO05WcNDk&feature=related、
ロシア人作曲家のラフマニノフ(Sergei Rachmaninoff)による演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=kj3CHx3TDzw&feature=related
の4つです。
この4つの演奏のいずれもが、ランランの演奏よりレベルが高い、と感じました。
ところで、この4つの順番は、たまたまピアニストの年の順になっていますが、私による評価の逆順です。
もっとはっきり申し上げると、リーの演奏は、ランランの演奏とは違って感情移入過多にこそ見えないものの、テンポが速過ぎる点が気になるほか、やはり、弾き流しているという印象を免れず、ラフマニノフやルービンシュタインと比べると、はっきり見劣りがします。まあ、リーはまだ若いので、これからもっとうまくなるかもしれませんがね。
というわけで、ピアニストを見る限り、支那人の「独創性」はまだまだ恐れるに足らず、といったところでしょうか。
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太田述正コラム#2951(2008.12.3)
<ムンバイでのテロ(続)(その1)>
→非公開
防衛省15:56
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