利用者だけでなく、環境についてもストレングス視点で捉えることが、ソーシャルワークの独自性を示すことが、私が読んだ殆ど全てのアメリカの「ソーシャルワーク」の教科書の特徴であった。利用者の意欲、好み、能力、抱負がストレングスであるが、これらは、家族成員、団体、地域社会でも有しているとする。
ソーシャルワークが利用者のストレングスへの関心を高めてきたのは1990年代に入ってからである。それは伝統的なソーシャルワークから決別することであり、不利な状況におかれている利用者が問題に打ち勝っていくよう支援するこであり、その際に、ソーシャルワーカーが利用者を否定的に認知すれば、利用者の肯定的な変化は期待薄である。また、利用者を診断的な範疇や問題をもった者として見た時点で、ソーシャルワーカーと利用者の間で距離を作ることになるという反省からである。
利用者がどうして問題をかかえるようになったかよりも、ストレングスの観点から、以下のようなことを尋ねることになる。「何を望むのか」「何が必要なのか」「どのようにして得たいと考えるか」「自らの状況(問題と可能性)をどのように見るのか」「どのような価値が最高になるよう望んでいるのか」「精一杯生きるためにどのようにがんばってこられたのか」といった問いかけをすることである。
こうした対等なパートナーシップのもとで、ソーシャルワーカーが利用者を捉えると、自然と解決の糸口が表れてくるという。具体的には、利用者がストレングスである能力を発揮したり、意欲を引き出すことができたりできるとする。このことが、利用者のエンパワーメントそのものであるとしている。
このように、ストレングス視点をもつことができれば、エンパワメントにつながることが分かった。ただ、どの教科書のも明示的には書かれていなかったが、整理が完全にできていないことがある。
それは、ストレングス視点をもった場合に、利用者のアドボケートができるという仮説の検証である。私のドクターの学生が、ケアマネジャーの調査を行ったが、その結果、利用者へのアドボケートに関心が高かったり、実際にアドボケートを行っていると意識しているケアマネジャーは、ストレングス視点を有しているという結果がでた。このことは、利用者とのパートナーシップでは説明がつかないことである。これは、利用者がストレングスを発揮することで、援助者はそのストレングスを可能にするために、アドボケートに向かわせるのではないかと推測している。
このようなストレングスの効用は大きく、最近のソーシャルワークが最も誇れる知見ではないにかと思っている。こうした視点をきっちりと教科書に注入したいものである。
ソーシャルワークが利用者のストレングスへの関心を高めてきたのは1990年代に入ってからである。それは伝統的なソーシャルワークから決別することであり、不利な状況におかれている利用者が問題に打ち勝っていくよう支援するこであり、その際に、ソーシャルワーカーが利用者を否定的に認知すれば、利用者の肯定的な変化は期待薄である。また、利用者を診断的な範疇や問題をもった者として見た時点で、ソーシャルワーカーと利用者の間で距離を作ることになるという反省からである。
利用者がどうして問題をかかえるようになったかよりも、ストレングスの観点から、以下のようなことを尋ねることになる。「何を望むのか」「何が必要なのか」「どのようにして得たいと考えるか」「自らの状況(問題と可能性)をどのように見るのか」「どのような価値が最高になるよう望んでいるのか」「精一杯生きるためにどのようにがんばってこられたのか」といった問いかけをすることである。
こうした対等なパートナーシップのもとで、ソーシャルワーカーが利用者を捉えると、自然と解決の糸口が表れてくるという。具体的には、利用者がストレングスである能力を発揮したり、意欲を引き出すことができたりできるとする。このことが、利用者のエンパワーメントそのものであるとしている。
このように、ストレングス視点をもつことができれば、エンパワメントにつながることが分かった。ただ、どの教科書のも明示的には書かれていなかったが、整理が完全にできていないことがある。
それは、ストレングス視点をもった場合に、利用者のアドボケートができるという仮説の検証である。私のドクターの学生が、ケアマネジャーの調査を行ったが、その結果、利用者へのアドボケートに関心が高かったり、実際にアドボケートを行っていると意識しているケアマネジャーは、ストレングス視点を有しているという結果がでた。このことは、利用者とのパートナーシップでは説明がつかないことである。これは、利用者がストレングスを発揮することで、援助者はそのストレングスを可能にするために、アドボケートに向かわせるのではないかと推測している。
このようなストレングスの効用は大きく、最近のソーシャルワークが最も誇れる知見ではないにかと思っている。こうした視点をきっちりと教科書に注入したいものである。
ウェルの掲示板なんかを見てる感じでは、バイスティックの7原則とか言ってる人に限って全くそのような態度ではない場合が多々あるのですが、SWは日常生活でもその技術を使うものなのか、仕事として係わる利用者だけに限定して使うものなのかどっちなんでしょう?