2007年11月06日
美容食品
健康と美を優しく語るブログである優健美館は今まで健康について多く語ってきました。今回は美について語ってみたいと思います。
【特報 追う】「秋田おなご」はなぜキレイ?
11月6日7時50分配信 産経新聞
11月6日7時50分配信 産経新聞
秋田といえば、やはり秋田美人。「秋田のおなご 何して綺麗(きれい)だと 聞くだけ野暮(やぼ)だんす 小野小町の生まれ在所 お前はん知らねのげ−」と秋田音頭にまで歌われる。古くは小野小町の出生伝説、現代では女優の加藤夏希さんや演歌歌手の藤あや子さん…、道行く女性もきれいでおしゃれだ。県立博物館(秋田市)で秋田の美人像を追う企画展「秋田美・人」が開かれている。「聞くだけ野暮」かもしれないが、秋田美人に興味をそそられ、足を踏み入れた。(宮原啓彰)
思わず、顔がほころんでしまった。壁には花柳界から、農作業や力仕事に精を出す秋田女性まで、さまざまな秋田美人の写真が展示され、秋田おばこ(18歳前後の秋田女性)をモデルにした竹久夢二らの絵画なども所狭しと並んでいた。
見とれているうちに気付いた。彼女らの大半がノーメイクの野良着姿にもかかわらず、どこか気品漂う美しさを持っているのだ。
「秋田には、10人中2、3番目の美人が多い。都会で見かけるような1番の美人はいない。1番になるには素材美に加え、洗練された人工美も必要だからです」
秋田美人研究の第一人者で「秋田美人の謎」(中公文庫)などの著作がある同館の新野直吉名誉館長は、秋田美人の秘密は「素材美」にあると教えてくれた。
◆◇◆
そもそも、なぜ「秋田美人」なのか。その昔、関ケ原の戦いで西軍に肩入れしたとして秋田に転封された水戸の佐竹氏が、領内の美人をすべて引き連れた上、秋田の美しくない女性を水戸に送りつけた−、というのはまったくの作り話らしい。
「秋田美人」の呼称は明治の終わり、秋田を訪れた文人たちが夜の街、川反(かわばた)の花柳界の女性を表現したのが始まりという。
最たる特徴は「肌の白さときめ細かさ」だ。
これを裏付ける調査結果がある。秋田県湯沢市の開業医、杉本元祐氏=故人=が、昭和41年に4000人の女子学生を対象に肌の白色度を調査したところ、日本人の平均が約23%なのに対し、秋田女性は約30%。特に美人が多いとされる県南地域はさらに割合が多かったという。ちなみに白色人種で約40%というから、かなりの色白だ。
また、大手化粧品会社の平成12〜15年の調査でも、秋田県はメラニンによる肌の色ムラの少なさで全国1位に輝いた。
◆◇◆
なぜ、美肌になるのか。新野名誉館長は「秋田の年間日照時間は全国最少。紫外線が少ないため色白の美肌が生まれたとの説や、県南地域の川に流れ込む玉川温泉の酸性の水が関連している説などもある。いずれにせよ地理的、風土的要因が関係しているのでは」とみている。
そういう新野名誉館長自身は秋田美人誕生について一つの仮説を立てている。白系ロシア人など環日本海の異国人との長い交流が秋田美人を生んだとする壮大な仮説だ。
その根拠として、秋田県民が、白色人種に多いB型の血液型の割合が日本で最多であること、腎臓に関与するウイルスの型も白色人種特有の型を持つ割合が突出して多いことなどを挙げた。
さらに、7〜10世紀、現在の中国東北部からロシア沿海州にあった渤海の民が、現在の秋田県にあたる出羽国に来航し、交流を重ねていたという史実を指摘する。
ただ「混血により色白になったという話は、歴史学的には承認できない」というのも新野名誉館長の弁。「秋田の風土と歴史的刺激が、長い時間をかけ秋田美人を生んだのでは」と結ぶ。
◆◇◆
ところで、現代の秋田美人に危機が訪れているという話も耳にした。
県内のあるミスコンテスト関係者は「年々、美人が少なくなっている」とこぼす。「秋田美人の集まる場所?仙台か東京さ行った方がいいべ」とは、酔客を川反へ運ぶタクシー運転手。
実は長引く不況と、女性たちの都会へのあこがれも手伝い、若い女性が県外に流出し秋田女性の絶対数が不足しているのだ。
「秋田の地理と風土、そして歴史のたまもの」として生まれた「秋田美人」。今度はその地理的、社会的制約ゆえに、消えていくのだろうか。
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■規制緩和にらみブランド売り込み
化粧品メーカー各社が、化粧品ブランドと同じブランドのサプリメント(健康補助食品)を相次ぎ市場投入し、“飲む美容”商品の事業化に力を入れている。一方、医薬品メーカーも、スキンケア関連商品を強化しており、美容市場をめぐる化粧品メーカー、医薬品メーカーの競争が激しさを増しそうだ。
≪サプリメント≫
美白や肌のハリなど女性のスキンケアでは、化粧品によって皮膚から美白などの成分を取り込む手法と、サプリメントや医薬部外品などを飲んで、体の中から改善していく手法がとられている。日常的にサプリメントを使用する人が増えていることから、化粧品メーカー各社は、スキンケアの“相乗効果”を期待できる商品として、化粧品と同じブランドのサプリメントの商品化を進めている。
化粧品最大手の資生堂は、化粧品専門店向け専用ブランド「ベネフィーク」を中心にサプリメントを展開。今年3月に投入した「ベネフィーク ホワイトプラス」は、美白に効果があるとされる「ブドウ種子ポリフェノール」を配合した。
「ファンデーションが2段階明るくなったというユーザーの声もある」(宮栄太郎・ヘルスケア事業部マーケティンググループリーダー)など、好評なことから、資生堂は年間130億円規模のの美容健康食品事業を早期に300億円に育成する方針だ。
カネボウ化粧品でも、50歳以上をターゲットにした「エビータ・ローヤルサプリ」などが好調だ。サプリメント関連事業を2010年までの成長分野と位置づけており、ビタミンC、E、コエンザイムQ10、αリポ酸といった、肌の天敵である酸化を防ぐ成分を含んだ製品の拡充を進める。
ノエビアは、日本酒やしょうゆのコウジ菌による美白効果をうたう「ホワイトネス」シリーズにサプリメントを追加した。
こうした化粧品各社の動きに対し、医薬品からのアプローチしているのがエスエス製薬。シミ、そばかすに効果のある「Lシステイン」を配合した大衆薬「ハイチオールC」シリーズを展開してきたが、昨年から「ハイチオールC プルミエール」で薬用クリームを投入。「明確に効果を表現できる医薬品であるハイチオールCブランドを前面に出し、女性がキレイになることをサポート」(福岡奈美カテゴリーマネジメント部係長)していく。
≪同じ棚の美白≫
化粧品メーカー、医薬品メーカーが、美容分野を強化している背景には、2009年度の薬事法改正がある。化粧品、医薬品、医薬部外品などで販売する店舗やコーナーが異なっているが、改正後は区別がない状態になるとみられ、店舗によっては「美白コーナー」で化粧品、サプリメント、医薬品が混在して販売されるケースも予想されている。
このため各社は、規制緩和後のビジネス展開をにらみ、今の段階から自社のブランドの認知度を高め、拡販に結びつけていく考えだ。
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巷には綺麗になりたい、秋田美人のようになりたいという女性が多いようで各企業は切磋琢磨して美容商品を販売しています。
左の画像は販売予定のもので、左は、ヒアルロン酸、コラーゲン、パントテン酸が入ったものです。
左はコラーゲン10%が入ったものです。これらは知人の会社が現在試験的につくり上げているものです。
ネットでの販売はせずに、現在大手サロンや販売店との交渉を進めている段階です。
これらの商品は女性の美容の為に開発したものですが今まで以上に伸びていく分野だと思います。
今までのような外側からのケアだけでなく食べて内側から肌のケアができる美容商品というのは画期的ではないでしょうか。
今までのような外側からのケアだけでなく食べて内側から肌のケアができる美容商品というのは画期的ではないでしょうか。
このような商品が大手から販売されていないのかと調べたところ資生堂が販売していました。
この資生堂の商品の説明文には |
内側からプルンと弾む実感。 ヒアルロン酸、コラーゲンなど美容のための成分が バランスよく贅沢に配合されたゼリーです。 ●美容に大切な成分を効率よく摂りたいかた ●内側から満ちあふれる弾むような美しさを実感したいかた |
とあります。
販売予定のものと似た商品でありライバル商品と言っても過言ではありませんね。
ゼリー状の美容食品は美容飲料のようにあまりかさばらず持ち運びが出来て楽であることから今後共に伸びる商品ではないかと思います。
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この記事へのコメント
1. Posted by shinok30
2007年11月06日 19:03
>そういう新野名誉館長自身は秋田美人誕生について一つの仮説を立ててい
>る。白系ロシア人など環日本海の異国人との長い交流が秋田美人を生んだ
>とする壮大な仮説だ。
元記事は完全に『白系ロシア人』と「ロシアの白人」を混同していますね
『白系ロシア人』とはロシア革命に反対して国外脱出した人々の総称ですから人種的な集団ではありませんし,
「長い交流」も何も1917年の「ロシア革命」以前には存在しません
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E7%B3%BB%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E4%BA%BA
>る。白系ロシア人など環日本海の異国人との長い交流が秋田美人を生んだ
>とする壮大な仮説だ。
元記事は完全に『白系ロシア人』と「ロシアの白人」を混同していますね
『白系ロシア人』とはロシア革命に反対して国外脱出した人々の総称ですから人種的な集団ではありませんし,
「長い交流」も何も1917年の「ロシア革命」以前には存在しません
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E7%B3%BB%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E4%BA%BA
2. Posted by shinok30
2007年11月06日 19:06
>その根拠として、秋田県民が、シベリア・極東地方の白色人種に多いB型
>の血液型の割合が日本で最多であること、腎臓に関与するウイルスの型も
>白色人種特有の型を持つ割合が突出して多いことなどを挙げた。
ロシア極東地域まで白人が移住してきたのはごく最近のことで,
原住民であるオホーツク文化人や北東シベリア人は平坦な顔のいわゆる「北方モンゴロイド」ですよ
「北方モンゴロイド」の起源地はシベリアだという説も有力ですしね
>の血液型の割合が日本で最多であること、腎臓に関与するウイルスの型も
>白色人種特有の型を持つ割合が突出して多いことなどを挙げた。
ロシア極東地域まで白人が移住してきたのはごく最近のことで,
原住民であるオホーツク文化人や北東シベリア人は平坦な顔のいわゆる「北方モンゴロイド」ですよ
「北方モンゴロイド」の起源地はシベリアだという説も有力ですしね
3. Posted by shinok30
2007年11月06日 19:09
>平たい顔の形態学
>石田 肇 [Ishida Hajime] 札幌医科大学医学部解剖学第2講座
>
>なぜ,顔の平坦さを話題にしているかというと,オホーツク文化人の頭蓋骨を調べると,
>平たい顔がかれらの大きな特徴の一つであることが分かってきたからである。このオホー
>ツク文化とは,千年以上も前に,北海道の北海岸やサハリンに栄えた文化である。その人
>骨は北海道のアイヌもしくはその祖先の人々とは形態が異なり,全身の骨格にシベリアに
>住む北方モンゴロイドと呼ばれる人々の特徴が認められている。人骨の形態からいっても,
>オホーツク文化をもたらした人類集団が北から来たことは間違いなく,私は研究を進めて
>いくうちに,アムール川流域,そして,シベリア地域全体へと興味を広げることになった。
(SHINKA 第4巻 第2号 (1994年6月6日 発行)
>石田 肇 [Ishida Hajime] 札幌医科大学医学部解剖学第2講座
>
>なぜ,顔の平坦さを話題にしているかというと,オホーツク文化人の頭蓋骨を調べると,
>平たい顔がかれらの大きな特徴の一つであることが分かってきたからである。このオホー
>ツク文化とは,千年以上も前に,北海道の北海岸やサハリンに栄えた文化である。その人
>骨は北海道のアイヌもしくはその祖先の人々とは形態が異なり,全身の骨格にシベリアに
>住む北方モンゴロイドと呼ばれる人々の特徴が認められている。人骨の形態からいっても,
>オホーツク文化をもたらした人類集団が北から来たことは間違いなく,私は研究を進めて
>いくうちに,アムール川流域,そして,シベリア地域全体へと興味を広げることになった。
(SHINKA 第4巻 第2号 (1994年6月6日 発行)
4. Posted by shinok30
2007年11月06日 19:11
>さらに山口(一九七四、一九八一)はIto(1965)の報告したモヨロ貝塚人の計測値と
>ソ連の人類学者デベッツが一九五一年に報告したシベリア集団の頭蓋計測値を多変量解析
>により比較し、オホーツク文化の担い手は北東シベリアの人々、とくにアムール川下流域
>のウリチなどの民族集団に近いという結果を出した。筆者のひとり石田も大岬頭蓋の計測
>値の分析を行ない、オホーツク文化人はナナイ、ウリチなどのアムール川下流域の人々に
>近いことを報告している(Ishida, 1988)。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2002Okhotsk/03/3200.html
>ソ連の人類学者デベッツが一九五一年に報告したシベリア集団の頭蓋計測値を多変量解析
>により比較し、オホーツク文化の担い手は北東シベリアの人々、とくにアムール川下流域
>のウリチなどの民族集団に近いという結果を出した。筆者のひとり石田も大岬頭蓋の計測
>値の分析を行ない、オホーツク文化人はナナイ、ウリチなどのアムール川下流域の人々に
>近いことを報告している(Ishida, 1988)。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2002Okhotsk/03/3200.html
5. Posted by shinok30
2007年11月06日 19:13
>約2万年前から1万年前の氷河期、北東アジアにいた人々の一部がシベリアに進出しました。
>極寒(ごくかん)の気候を生き抜くために、彼らの顔つきや体型は急速に変化していきまし
>た。つまり、のっぺりとした顔、一重まぶた、薄い眉、胴長短足といった特徴を持つように
>なったのです。いわゆる寒冷適応を受けた北方アジア人【北東アジア北部人】の誕生です。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=12082&pgh=7
>極寒(ごくかん)の気候を生き抜くために、彼らの顔つきや体型は急速に変化していきまし
>た。つまり、のっぺりとした顔、一重まぶた、薄い眉、胴長短足といった特徴を持つように
>なったのです。いわゆる寒冷適応を受けた北方アジア人【北東アジア北部人】の誕生です。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=12082&pgh=7