前の記事: カンボジア出張記(3) << | >>
新聞の評価
久しぶりに若干穏やかな週末を過ごしつつ、こんな記事を見かけてしまった件について。
日本語が「ヒラリー」と呼び捨てでも「ヒラリー・クリントン上院議員」と訳し「新聞のうわさくらいあてにならないものはないでしょう。こういう人たち(日本の記者?)が作っている話ですから」はあえて訳さないでくれるプロなのに。あのまんまきっちり外国語にしてたら、どうなります?
(「発信箱:ブッシズムとアソイズム」毎日jp)
それこそ「あ、そう」だと思うけど。
いや麻生総理に対する評価は外国でも国によって・メディアによっていろいろあるだろうと思うけど、日本に詳しければ詳しいほど記者クラブと再販制度に守られた「大衆紙」レベルの日本の新聞をジャーナリズムの仲間には入れないんじゃないかね。ちなみに「国境なき記者団」(Reporters without Borders)の日本に関する年間レポート(2008)は冒頭から「ニュースの自由な流通を妨害し続けている記者クラブ制度については改革が必要だが、2007年中にまったく進歩はなかった」と評価している。 世界ランキングだと29位まで上がったんだけどこれはジャーナリストへの襲撃が減ったり実行犯が逮捕されていることが原因で、つまり国家と政府の功績。日本のマスメディアはニュースの敵だと、まあそういう認識も世界の側にはある。
もう一つすごいなあと思うのは、例の元厚生事務次官襲撃事件でWikipedia絡みの大誤報事件を引き起こしたばかりなのにこんなこと書くんだという話で(参考・「毎日新聞"Wikipediaに犯行予告"と誤報 時刻表示を勘違いか、実は犯行後」(ITmedia News))、正直ほかの日本の新聞もあてにならないことを実証しちゃったメディアと一緒にされたくないんじゃないかと思うんだけど。
ちなみにこの件、問題の核心は当の記事を書いてしまった記者の個人的資質ではないと思う。Wikipediaの時刻表示がデフォルトでは世界協定時であることを知らないとか気づかないとか見落とすとか、あるいは時差計算を間違えるとか、まあそういうのはミスであって人間ならやってしまう可能性のあることだろう。間抜けやなあとは思うがそれ以上のことではない。問題はそのミスが完全に見落とされたまま紙面にまで露出してしまったことで、つまりチェック体制の欠如。毎日新聞はWaiWai事件の際に以下のように問題を総括している。
(「再発防止へ体制強化 深刻な失態 教訓にします」(毎日jp))
つまり品質管理の仕組みはきちんとあったが英語のウェブサイトにおいてはその機能が不十分だったと主張したわけだが、今回の事件で英語ではなく日本語の・ウェブサイトでなく紙面に関してもまともな品質管理が出来ていないことを露呈したわけで、じゃあ正直どこなら管理できてんだと、そういう話だろう。
率直に言うと私の中での毎日新聞の信頼度はいまのところだいたい朝鮮新報と同じくらいである。内容の管理という面ではあちらの方がきちんとしていることを考えると(いやまあその基準についてはともかくとして)先様に失礼な評価だという気もするのだけれど。
Trackback(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 新聞の評価
素朴な疑問なのですが、
何故、マスコミは、報道内容を間違った(単純ミスのような、報道の自由の根幹に関わらないミス)場合に、謝罪会見をしないのでしょうか?
また、新聞だと、印刷・配布した後、記事に間違いがあったことが分かった場合、何故、回収して、正しい内容のものを再配布しないのでしょうか(出版社の場合、やってますが)。特に、戸別配達の新聞の場合、購読者は特定できるのですが。。。。。。
あと、Wikiの件ですが、TVの新聞紙面紹介で大々的に報道したTVもあるようですが、マスコミを名乗るのなら、新聞記事の裏付けを取ってから放送すべきだと思うのですが。TV局もまた、チェック体制(品質管理体制)がとれていない、ということだと思います。
TVの新聞記事紹介(に名を借りた、手抜き報道)が報道の名で許されるのなら、新聞紙上で(時々)話題になる、「無断引用」が何故問題になるのかが、よく分からないのですが。