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2008年12月3日

◎「義務付け」見直し 大なたは期待できそうにない

 政府の地方分権改革推進委員会が国の法令で自治体の仕事を縛る「義務付け」規定のう ち、ほぼ半数について廃止を含めた見直し案をまとめた。道路の構造や保育所の施設基準など、はしの上げ下ろしまで指示するような全国一律の縛りが事業の非効率さや予算の無駄につながってきた側面は否めない。国出先機関の統廃合と合わせ、地方分権改革は重要な局面に差しかかってきたが、今回の思い切った勧告案も、実現へ向けては首相の強力な指導力が大前提となっている。

 省庁側にとっては法令による義務付けは権限の源泉でもあり、すんなり手放すとは思え ない。むしろ、勧告案が出れば抵抗は一層強まるだろう。麻生太郎首相がリーダーシップを発揮し、大なたを振るってほしいと言いたいところだが、なにせ、このところの迷走ぶりでは期待できそうにない。せっかく分権改革の大きな方向性が示されても、足元がふらつく現政権の不安定さや政局の不透明さが先を見えにくくしているのは残念なことである。

 法律や政令による国の義務付けは全国一律のサービスを維持できる一方、地域の事情に 応じて柔軟にサービスを提供したい自治体にとっては足かせとなる。このため、分権委は約八千四百項目の義務付けのうち、約四千の見直しを求めた。これだけ大幅な見直し、廃止は省庁の組織縮小にもつながる。国が頑強に守ってきた聖域に切り込んだという点では前進である。

 ただ、国出先機関の統廃合も義務付けの廃止も、国と地方の在り方を抜本的に見直す大 仕事である。分権委がその道筋を具体的に示すほど、ハードルの高さを思わずにはいられない。多くの法改正を伴い、よほど政権基盤が安定しないと実現は難しいだろう。

 国出先機関改革の突破口と位置づけられた国道や河川の移譲論議も難航しており、都道 府県側には温度差が生じている。行政の自由度を高める義務付け廃止については、それまで国にお任せだった地方の側にも戸惑いを与えるかもしれない。今の政治状況も考え合わせれば、拙速に走らず、腰を据えて議論を進める必要がある。

◎歌舞伎の小松 継承の基盤を広げる機会

 毎年五月のお旅まつりの華、子供歌舞伎で知られる小松市は、歌舞伎に親しめる環境づ くりを目指して来年早々、市民ぐるみの「歌舞伎のまち小松を考える会(仮称)」を発足させる。その背景に、関係者の高齢化によって伝統の継承や維持が困難になった町が出てきたほか、市外からの人出も減ったことによる危機感もあるようだが、由緒ある伝統芸能だから、伝統を受け継ぐ基盤を広げることも視野に入れてほしいものだ。

 お旅まつりは市の中心にある莵橋(うはし)神社と本折日吉神社の春の祭礼であり、八 つの町が神事の一環としてそれぞれに舞台付きの曳山(ひきやま)を繰り出し、子供歌舞伎を奉納しているものである。子供歌舞伎の発祥について諸説があるが、加賀藩の三代藩主利常が小松に隠居してから始まったともいわれる伝統的なものである。

 考える会として、お旅まつりのときだけに上演される歌舞伎の魅力を年間を通じて発信 する目的に、歌舞伎の舞台が付いている曳山をまるごと見せる仕組みの会館の建設、曳山が巡行する町並み整備、歌舞伎の上演に欠かせない浄瑠璃や三味線などの練習風景の公開、後継者の育成等々について知恵を出し合う。

 伝統的なものの多くがそうであるように、小松の子供歌舞伎も幾多の変遷を経てきた。 曳山関係の記録を収録した、最も新しい「小松市史」の資料編5によると、商業で力をつけてきた町民と、華美を戒める加賀藩とのあつれきなどもあったが、それまでの規制が取り払われた明治時代から勢いが出たとある。

 現役を退いた世代までは、子供時代に祖父や祖母から浄瑠璃を聞かされるといった「家 庭教育」が広く行われていたようだ。歌舞伎につれて浄瑠璃も盛んだったのである。要するに子供歌舞伎は神事であり、娯楽であり、感性教育でもあったわけだ。金沢の藩政時代の土木遺産である辰巳用水の工事を担当した板屋兵四郎伝説に新解釈を加えた新作が演じられるといった現代化の試みもある。歌舞伎のまちを活性化してほしい。


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