「ぼくはいま、"七十代の新人"です。"いつか見た映画"の中へ戻って了った子供です。"映画"と遊びに来ませんか。......」
『その日のまえに』は大林宣彦の処女作である。ホントではないがマコトの話。自称21歳の新人監督として、まるで幼稚園児のように"わからない未来"に向かって、"わからない映画"を求めて駆けずりまわる。
インタヴュー・文=桑原あつし
原作を読んだのは新幹線の車中。いつの間にか声を出し泣いていたようで周囲からヘンな目で見られてしまいました。本の内容に感動しただけでなく、「僕の映画がここにある」ことに感涙したんです。一般に「映画になりやすい」といわれる小説ってのがあります。具体的に「黄色い服を着て」なんて書いてあるようなもの。そういうものを僕は文学としても好まないし、ましてや映画にしようとも思わない。その点、この『その日のまえに』の作者はとんでもない小説家でありまして、例えば病気の妻のことも「顔色が悪い」としか書かないのね。「おい、それで小説かい」というくらいに素っ気ない。あろうことか映画の主人公であるナンチャンのやった役なぞは"僕"であって名前すら書かれてない。でもその分こっちはゼロから映画を作れる。つまりこちらの想像力が試されるわけです。これを他の人が演出したらきっと"泣きの涙の難病もの"に間違いなくなったでしょう。でも読んでると妙に明るいんですよ。僕は幼稚園の運動会に紛れ込むのが大好きで、最近はヘンな世の中になっちゃって紛れ込むのも大変なんですが、それでも紛れ込んで観る。子供たちが走ってる。一歩先で転ぶかもしれないし、初めて一等賞になれるかもしれない。わからない未来に向かって一所懸命駆けている。これが感動的でね。映画の感動ってのはこうあるべきだと。僕はこの感動が描けたかどうかを「オッケー」の判断基準にしてるほどです。まさに僕がこの本を読んだときの感想は、子供たちが一所懸命走ってる、運動会みたいな本だなと。だからこそ「これを"泣きの涙の難病もの"なんかにしやがったら本に対して申しわけないぞ」と思ったんです。
原作は7つの短編からなってます。これを1話30分で構成していくと4時間になる。商業映画として作るなら2時間内外でしょう。で、脚本を依頼した市川森一さんに「7編をごちゃ混ぜにしてギュッと絞って1本にした、そんな語り口の映画にしたい」と伝えた。ただ半分にしても2時間にはなりません。まず4分の1の1時間して、残りの1時間に映画的な何かを加えていく。それがいいホンです。さて市川さんはどうする? と楽しみにしてたら、やはり4分の1にしてきましたね。市川さんが加えた最大の要素は宮澤賢治です。原作に宮澤賢治あったっけ? 僕は見過ごしてました。『その日』という章の中で主人公が息子に話をするシーンがある。さもしげな話ですが行数を数えてみたらたったの17行。ところが市川さんは宮澤賢治を加えたばかりか、『永訣の朝』の妹=宮澤とし子を画面に出しちゃった。主人公の一美が入院してる病室の横になぜか幻想のように古い結核病棟があって、「そこで宮澤とし子が死んでいく」とまで書いてある。しかも、とし子は二役でカオル君と同じ少女にやって欲しいとも。カオル君ってのは原作に出てくるストリート・ミュージシャンです。まあ7編全部入れるってことで、カオル君は出すことになる。これと二役か。うーんと唸るしかない。でもそれもありかなと思った。和美は死ぬ。死ぬためには死に近いメイクをしなきゃならない。そういう姿は描きたくないし、観客にも見せたくなかった。キレイに美しい笑顔で寝ててくれればいい。家族が取り縋ってわんわん泣いてるなんて、そんなことはやりたくなかった。映画における"死"ほど不自然なものはなくてね。「よーい、スタート」で息を止めるだけ。そのうち鼻の穴は動くわ、腹は動き出すわ。本当に映画で死を描こうとしたら俳優を殺さなきゃいかんわけです。もちろんそんなことはできない。そこに映画、芸術というものの限界がある。だからこそ僕は、和美を演じる永作博美君がただ美しい姿で寝ていればいいと決めていた。でもそれでは映画のストーリーを描くのは難しいなと悩んでいた。ところが宮澤とし子を使えばこれがうまくできそうだ。幻想として美しく『永訣の朝』を唱えるとし子。それに併せて和美を描けばいい。よし、宮澤とし子は採用! ここから想像力がどんどん働きます。待てよ、カオルをとし子にしちゃったらどうだ? 二役だなんて言わず宮澤とし子でいいじゃないか。であればギターじゃなくセロを弾くべきだ。しかもビートルズの『ヒア・カムズ・ザ・サン』でなく、宮澤賢治の『永訣の朝』を歌う。整合性がとれるじゃないか。さらにその先を思いつく。いっそ和美の名前もとし子に変えたらどうか。これで三者が一体化すると思った。思ったけれど、これは重松さんの大事なヒロインで、亭主の名前すら書かれてないのに妻の名は和美と書かれていて、しかも打ち合わせのときに「『転校生』の一美=小林聡美が大好きでね」とまで言われてる。ひょっとするとこれ小林聡美で映画化しなきゃならんのか? なんて思ったくらいの登場人物でね。まあそれは別としても勝手に名前を変えちゃあ申しわけないと思い、重松さんに「とし子にするという映画上のアイディアがあるんですが」と聞いてみた。「大林さんの作品ですから何とでもしてください。ただ40代でとし子なんて古めかしい名前、実際にはいませんよ」と言われてしまった。確かにうちの娘がその世代で、つまり僕たちがその親で。"?子"なんて名前をつけようとは一切思わなかった。なるほど。とし子は古めかしいな。でも「なら止めましょう」とならんところが僕の良いところか悪いところかわかりませんが、よし、違和感があるのならば、娘自身がこの名前に違和感を持ってることにしてしまえ。考えてみれば名前だけは親が勝手につける。親が宮澤賢治を大好きで『永訣の朝』のとし子と名付けちゃった。となると、とし子の故郷は宮澤賢治と同じ岩手で両親はそこに住んでることにしよう。僕も体験したので実感があるんですが「子供の病気は親の責任」という感が親にはあるんです。で、この親も自分がとし子と名付けたがために早く死ぬのではと悩んでる。それを孫に言わせてやろう。孫の言葉で「おじいちゃんがとし子ってママに名前を付けたから、ママは死んじゃうの?」とね。まだ生も死もわからん孫にそう言わせたら辛いな、悲しいな。でもそれだよなあ、人生って。そのとき僕自身のアイデンティティが見えた。これで僕の映画ができる。市川さんを呼び出して経緯をお知らせし「ホンをもう一回直して」と伝えた。で、二稿目を受け取って「ここから先は僕が引き受けるよ」と撮影台本に仕上げた。まあ完成した映画は、その撮影台本ともまた大きく違うんですけどね。
今回の映画では"やってはいけないこと"をいっぱいやってます。例えば冒頭の電車のシーン。車内にいる主人公と外の風景にピントが合ってる。でもその間にある窓枠にはピントが合ってません。合成の技術者は「失敗と思われる」と怯えてました。でもそれでいいんです。とし子は病気のせいで神経が鋭敏になってる。風の音も匂いも何もかもにフォーカスが合ってるんです。その後に続く駅前のロータリーのシーンもそう。横に並んでいる健大ととし子の背後にバスが通りますが、同じバスなのにそれぞれ別方向に走っていきます。わけわからないですよね。記録さんもニコニコ笑いながら悲鳴あげてました。こんなことしなくてもあのシーンは普通に繋がる。でもそこで繋がったらホントでしかない。
かつてトリュフォーは小津安二郎監督の映画を観て「映画を知らん」と言ったそうです。小津さんの映画では対面してるはずの2人の目線がそっぽを向くんですよね。でもトリュフォーは後に間違いに気づき、小津を絶賛します。で、何をしたかというと、それまで映画がやっちゃいけなかったこと、対面する2人を横から撮って往復パンで見せたんです。小津から何を学んだかといえば、目線を揃えたきゃカットを割るなと。カットを割るってことは、その撮影中、合間にメシを食ったり、何日も経ったりしてるはず。なら映画だって繋がらないのが当然じゃないかと。繋いで見せるようなあざとい真似はしない。敢えて繋がらないよう撮って「ホントの中じゃ繋がってなくてもマコトの中じゃ繋がってる」とした。小津は目線をずらすことによって対面している親子、夫婦、恋人同士でも心がずれてるってことを表現したんですね。「ウソから出たマコト」。まさにモノを作るって事はそういうことであって、ウソでしかマコトは描けません。ホントはどこまで行ったってホントでしょ? だけど今の社会はホントばかりが求められる。ウソをつくとホントの世界の中での詐欺師みたいな言われかたをしちゃう。黄色い服が映ればホントでしょう。だけど、なぜ黄色い服を着たかという心の中はキャメラには写らないんです。でも映画なら写ってなくても観客が勝手に思い描いて感動してくれる。観客はホントを見て感動するんじゃない。ウソからマコトを掬い取って感動してくれるんです。ただしこのウソは花も実もある絵空事、根も葉もある嘘八百でなければなりません。フレームの外に花や実、根や葉をしっかり置いとけば、画面の中はウソばかりでいいと僕は信じてる。
今回の映画で最大のウソは、死んだはずのとし子が突然「間違いだった」と帰ってくるシーンでしょう。シナリオにも原作にもないシーンです。でもこれを撮りたくて仕方なかった。誰もが願う、誰もが観たいものを、現実がそうでないからと言って描かないのはヘンじゃないか。映画だからこそこれを描いて観客に見せてあげるべきだとね。でも編集するときになってこれをどこに入れるか相当に悩みました。唯一入れられるとしたらラストなんですけど、夢オチみたいにはしたくない。正直外したままにしようかとも思いました。それでも気持ちには勝てません。プロデューサーでもある僕の奥さんも「私やっぱり見せてあげたい」と言ってくれた。これがきっかけになって外してあった他のシーンもどんどん入れていきました。自分でもわからんままに夢の如く撮りたくて撮ったシーン全部をです。ここに入れたらどうなる? なんて考えた僕は愚かだった。繋がらない? 小津の映画だって繋がってない。マコトで繋いで勝負してやろうってね。
これまで僕は常に自信を持って映画を作ってきました。でもハッと気づいた。大林宣彦という小さな人間のなかに映画を封じ込めてただけじゃないかと。映画ってもっと違うものでは? そう思ってぞっとしたんです。同時にそうした映画と触れ合いたいという欲求がまさに新人のように、幼稚園児のようにドクドクと沸いた。ああ、映画を知りたい。映画と触れ合いたい。その瞬間"映画"が浮かんできたんです。瞼の中。止めどなく明るくて透明で美しいキレイな宙があって、その中に映画なるものがふわっと浮かんでいる。どういう形をしてるかもわからない。けど何か僕が知っている映画より広くて深くてとてもチャーミングな英知を持った"映画"がそこにあった。こっちが手をそっと差し伸べたら「触れるぞ」って感じ。まさに至福です。その映画に触ってみよう。きっと触れる。でもそれは"わからぬ映画"です。「映画ってこうだぜ」と思った瞬間にそいつは逃げていく。だから今回の撮影では、わからないまま、無心のままに手を差し伸べていこうと決めたんです。
僕がわからないのだから、スタッフや出演者も現場で何をしてるのかわかるはずもありません。ナンチャンもヒロベエ(僕のために新人ヒロベエになってくれと永作博美さんにお願いしました)も悩んでましたね。でも撮影2日目には「もう決めました。何も考えません」って宣言してくれた。そんな風に明るく演じてくれていたのですが、あるとき気がつくとただでさえ細いヒロベエがもっと細くなってフラフラしてるんです。ナンチャンが言うには「私にできることは何もない。せめてこの役に合わせて体重を落とすことだけだ」とゴハンも食べずにいたそうで。そのせいもあってか、撮影してないときでもナンチャンはヒロベエを横で支えてやったり、とにかく睦まじい夫婦に成りきっていた。で、ベッドシーンの撮影日。生と死の狭間にある鋭敏な神経の2人を象徴するように綿密な画作りを計画しました。外に雨を降らし、2人の心の中にもキレイに水が流れ、やがて透明になっていく。流れる水と水とが抱き合って一体化していくような、そういうラブシーンは撮れないかとね。そのシーンをいよいよ撮ろうという日に、彼女がネグリジェを着ている姿を見たら、まるで骨なんですよ。これは彼女の努力に応えてやらなきゃいかんなと考えを改めました。幻想的なシーンはもうやめよう。生身の彼女を撮ろう。ホンを取り出して「夫婦でも見せられないものがあるの。私、骨みたいだから」と加えた。そうするとまた留まるところを知らずで、さらに「14 - 17歳の頃の私の裸をあなたに見せたかった」「でも少女の裸は男の人には見せられません」っていうセリフを書き留めて、どこかでこれを言わせてやろうと決めた。ヒロベエの役づくりがシナリオも変えちゃったんだね。予定を変更し裸を見せるのはやめました。骨のようになった裸をそのまま描いたらこれは凄いでしょう。醜い、夫ですら抱きたいと思わない妻の姿。まざまざと描けばリアリズムの映画としては完璧だし、永作博美だって演技賞を取れるかもしれない。でもそれはホントに過ぎず、やはり映画が観客の想像力で補っていかれるものだとするなら、骨が透けて見えるネグリジェ姿のまま"言葉"で撮るのが映画的なんじゃないかな。その代わりといっては何だけど、横になってる彼女はデリケートに造形しました。僕自身の手でネグリジェの皺や、肩甲骨の出具合、細い脚や窪みの見えかたを事細かに造形した結果があの彼女の姿です。これで十分観客は理解してくれると思う。その後、この映画では珍しいよく晴れた日に「少女の裸は?」のシーンを撮影しました。想像の中でしか導き出し得ない14 - 17歳のヒロベエの裸を、こういうセリフで提示したことで、まさにこの映画は映画的に"映画"になったと思いましたね。
映画というものは不自由で不便なものです。僕の理想の映画は2時間、画面が真っ暗で何も映ってなくて、僕がその映画への思いをこそこそと喋っているだけのもの。観る人がそれぞれ勝手に自分の映像を思って「いい映画を観た」と言ってくださればいいなあ。これが形而上学な意味での理想の映画なんです。現実には真っ暗じゃ映画にならないから、そこに「ああ、映さなきゃならんのか」とため息をつきながら画を映す。でもね、映すことによってのみ伝えられる瞬間ってのもあるんです。
少女というのは、例えば蓮佛美沙子君でももう今年だとあの『転校生』はやれません。小林聡美だってそう。少女ってのは何よりも"旬"がある。短いんですよ。映画はその旬を永遠に残す。ウソといえば一番のウソですがね。おばあちゃんになってパッと映写機のスウイッチをいれたら14 - 17歳の自分がいる。素晴しいウソでしょう。つまりはマコトなんですよね。それこそが僕は映画だと思うんです。僕が「今ヒットする」「今の僕を表現する」映画を撮らないのは、たぶんそういうところに根があってね。今よりも10年、いや50年先の誰かに見て欲しいと思っちゃう。そういう意味でもやはり少女の裸を永遠に残したい。母になり、おばあちゃんになる彼女の人生のなかで、処女の肉体というのは真に美しいマコトじゃないか。巷じゃあ「脱がし屋」なんて安っぽく呼ばれもしますが、脱がすのではなく着せないだけ。赤ん坊を写すのと同じです。そのように少女を撮りたいと思うんだけど、まあ映画というのは思うように撮れないもどかしさがあってね。例えば僕が一番描きたい少女は『伊豆の踊り子』なんです。肉体的な悶々もあり、想いもあり、さらに「客に自分の肉体を供して汚れるだろう」とも思い...。そんな少女が、朝日のなか、川の向こうの浴場で素っ裸のまま自分に手を振る。それを見て「ああ、彼女はあんなに子供なんだ」と涙する。まさに文学だけが可能にした美しいシーンです。これを映画に撮りたいんだけど、一方でそれを撮ると上映できないという社会の秩序があって。結局は水着やらを纏って画面処理...なんてカタチでしか表現できない。これはもう絶望的に映画というものの限界でしょう。「僕が小説家ならなあ」と悔しく思うこともある。それでも僕は1人の表現者として、そういう神々しいまでの少女の裸を、衣服を着せていない姿を、セックスとかそういうものを抜きにした1つの生命体としてのそれを描いていきたい。逃げたくないんです。まさに少女の裸というのは僕の作品にとって"へそ"になるもので、映画作家であるが故に、不便で、悔しくて、煩っているものなのかもしれませんね。
映画が完成し、原作者の重松清さんと対談しました。その帰り道重松さんがこう仰った。「小説の側と映画の側、まったく両極端の別の世界から私と大林さんが手を差し伸べたらそこに『その日のまえに』があった。そういう感じでしたね」。 「映画とはこうだ」なんて決めつけたら映画の持ってる可能性をうんと狭めてしまう。「おかしい」「わからん」で結構じゃないか。映画の持っている神秘性、理不尽さ、生命力を、たかが人間の知性や精錬されていく技術の中で失っちゃあいかんという思いが、いま猛々しく湧いてきてるんです。僕自身、この年になってようやく「椅子に座り、わかったことだけをやるような巨匠にはならないぞ」と決めた。現場では立ち上がって駆け回ろう。それが70歳の新人監督として何よりの感慨です。