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従軍慰安婦問題:解決求め、台湾の被害女性らが訴え 下京の集会に170人 /京都

 ◇「私が証拠、責任認めて」

 旧日本軍の慰安婦とされた台湾女性らのケアを続ける台北市婦女救援社会福利事業基金会(婦援会)のソーシャルワーカー、呉慧玲(ウホエリン)さんと、元慰安婦の一人の呉秀妹(ウシュウメイ)さん(91)の話を聴く集会が30日、下京区であった。市民グループ「旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委」が主催し、約170人が参加。「慰安婦は過去の問題ではなく、私たちが解決すべき課題」との思いを新たにした。【太田裕之】

 慧玲さんによると、婦援会は92年に元慰安婦たちの相談事業を開始し、58人が存命だと判明。貧しい家庭に生まれて字が読めず、養女に出されていた女性が多かった。14~25歳の時、看護助手や雑貨店店員になるなどとだまされ、昼は軍人のための炊事洗濯、夜は性交の相手をさせられたという。

 「影響で不妊となり、戦後に結婚しても夫の暴力や貧困に苦しみ、子宮や卵巣を切除した女性が多い」と慧玲さんは指摘。心身に深い傷を負った女性たちが支え合うグループ作りなどに婦援会は取り組む。その一つのヨガ教室について「自分の体を汚いと嫌う女性たちに、自分の体を愛してもらうため」と説明した。

 尊厳を取り戻すには日本政府の謝罪と賠償が必要との立場だが、台湾女性9人が99年に東京地裁に起こした国家賠償請求訴訟は「国賠法施行(1947年)前は公権力行使による損害に賠償請求できない」などとされて敗訴が確定。今年11月現在で生存者は20人、平均年齢は85歳と高齢化が進み、8人は介護が必要、3人は寝たきりという。

 続いて登壇した秀妹さんは、まず来場者への感謝を述べ、体験を語った。23歳の時に「食堂で楽な仕事がある」とだまされ、中国南部に送られた。朝8時から夕方5時まで、1日に少なくて十数人、多い時には三十数人の相手をさせられた。拒むと殺すぞと脅されたり、殴られたりした。兵士に「私は国のために働くんだから奉仕しろ」と言われたこともあったという。

 堕胎で不妊となった秀妹さん。ハンカチで目を押さえ、言葉をつまらせながら「私は体も人生も壊された。日本政府はどうして責任を認めないのか。日本政府が忘れても、私の体が証拠。永遠に覚えている」「うそではない。自分の汚く恥ずかしい体験を、好きで人前で話しているのではない。二度と戦争にならないよう、知ってもらい、分かってもらいたいから」と訴えた。

 その後、若者3人が順に意見を述べた。大阪大大学院1年の玉城福子さん(23)は出身地の沖縄にあった慰安所について研究中。周囲から「なぜ現在も続く米軍基地問題をやらないのか」と言われた経験を紹介し、「自分も以前は過去のことと思っていた。元慰安婦の女性たちの抗議は日本政府が相手だが、選挙権を持つ私たちに責任がある。知らないことは問題の放置につながる。一緒に知る努力を」と呼び掛けた。

 京都大4年の鎌田清照さん(25)は「戦争に反対するには過去の戦争で起きたことを知って学ばねばらない。『やってはならないことだった』とはっきりさせる必要がある」と強調。

 同志社女子大4年の大橋寛実さん(22)は「慰安婦問題に取り組むと『戦後生まれの私たちには関係がない』『なぜ祖父母をはずかしめる』と非難されることがあるが、基地問題や強姦(ごうかん)事件などは今も絶えないし、戦争に向き合わない方が祖父母をはずかしめることになる。慰安婦問題は世界を良くするための一つの切り口になると思う」と話した。

毎日新聞 2008年12月2日 地方版

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