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伊東 乾の「常識の源流探訪」

ノーベル賞を勘違いした日本人

情報の生活習慣病を考える

 でもそこで、見たくないものは見ないようにし、現実を直視せず、目をつぶったまま「決起」と称して、自分の破壊的行動を正当化するところに、かつてフロイトの言った「エディプス・コンプレックス」ではありませんが、父親や父権、あるいは社会的な力への容疑者の屈折が見えるように思われるのです。私がそう思うのは、オウム真理教事犯の多くの被告が、家庭内の問題や進路への疑問などから「カルト宗教」という別の正義に走っていったケースをいろいろ見たからかもしれませんが、検討されてよい一面だと思います。

 現実世界に、ある「取り返しのつかない絶望」を感じる時、人の脳は「別の正義」を求めるようになります。「水子地蔵」などをきっかけに、霊感商法がトラウマを持つ人に食い込んでゆくのは、この脳認知プロセスを悪用するものです。オウム事件ではこれが「宗教」の形を取って共有化されましたが、宅間守や今回の小泉容疑者のケースでは、個人レベルで「確信」が形成されているのが違うところです。さらに小泉容疑者の場合、生活のほとんどすべてがインターネットなどの情報環境に占有されることで、ヴァーチャルに作り出した自分の価値観の世界の中で、別の正義を報じる「個人カルト」となっていた可能性が高いと思われます。

情報生活習慣病とセルフ・マインドコントロール

 自分が身の回りに張り巡らしたヴァーチャル・リアリティーの牙城で、容疑者は自分自身を正当化する「セルフ・マインドコントロール」の個人カルトを作り出す情報生活習慣病状態にあったことが、強く疑われるのです。そうでなければ犯行声明にある、

 <私はマモノ(元官僚)1匹とザコ(マモノと共生しているやつら)1匹を殺したが、やつらは今も毎年、何の罪の無い50万頭ものペットを殺し続けている。無駄な殺生はするな!!!  無駄な殺生をすれば、それは自分に返ってくると思え!>

 などという表現を理解することはできません。そもそも「無駄な殺生」とは、山口元次官夫妻など今回の事件の被害者にこそ向けられるべき言葉ですが、その矛盾に完全に開き直っているのは、一種の宗教的確信に基づいて自らの正義を信じているケースの特徴に他なりません。

 現在ちょうど、この連載のテーマ「情報の環境問題」と重なる問題を、脳認知の観点から「情報の生活習慣病」として捉え直す書籍を書き上げた所なのですが、このような事件の報道に接し、ことさらに思うのは「異常さ」を正気で理解することの重要性です。

 ちなみにこの小泉容疑者のようなケースは来年5月以後、間違いなく「裁判員裁判」の対象となるはずですが、この事件も2泊3日のスピード裁判で重要な一審を結審してしまうつもりなのでしょうか? それこそ正気の沙汰とは思えません。もし日本の司法権が、再発防止に誠意をもって取り組む正常な用意があるのなら、科学的に信頼の置ける原因究明とともに、何よりもこの小泉容疑者の「セルフ・マインドコントロール」を解き、被害者に心底からの謝罪をさせてから刑罰を確定しない限り、何一つ司法として意味あるけじめをつけることはできないと思います。

ノーベル賞を勘違いした日本人

 元厚生次官連続殺傷事件のようなケースとは全く違うレベルですが、情報の生活習慣による勘違いや誤解の蔓延は、決して私たちの身の回りに珍しいことではありません。

 とりわけ、科学技術の観点から見る時、日本社会には様々な誤謬が広まっています。上にも挙げたオウム真理教では、科学とカルト宗教の混在が「毒ガステロ」という最悪の行動を引き起こさせています。科学技術は一面「力」でもありますから、そうした浅い誤解は極めて危なっかしいものだと私は思います。日本にノーベル賞が来た、とお祭り騒ぎをする、同じ国民が「オーラがどうした」とか「前世がどうたら」というテレビ番組で視聴率が上がり、毒舌占い師や霊界タレントの本が売れてしまう。そういう日本社会の現状は、とても危ういものだと思っています。

 そもそも第2次世界大戦直後の1949(昭和24)年、湯川秀樹博士にノーベル物理学賞が来た時、日本社会がその価値や意味を大きく勘違いしたことが、日本国内での「ノーベル賞のイメージ」を、大きくおかしなものにしてしまいました。

 湯川さんへのノーベル賞は、いまだ焼け野原が広がる日本に「明るいニュース」としてもたらされました。

 当時の新聞を見てみると「日本人で最初の栄誉」「世界に輝く中間子論」といった活字が躍っています。

 敗戦で打ちひしがれていた日本が、戦争では負けたけれど科学では世界に認められたと、「ノーベル賞」=「科学の世界最高峰」と短絡してしまい、業績の内容や受賞の意味などを理解しないまま、お祭りと奉ることに慣れてしまったからです。

 以前、大学1年生たちに「湯川博士を知っているか」と尋ねたことがありました。100%「知っている」と答えます。そこで

 「どういう業績で受賞したのか?」と尋ねると「中間子」という言葉が出てくる学生が2割程度、8割は中身を知らずに「偉い人」としてのみ名前を知っているだけでした。そこでさらに

 「では中間子論とは何か?」と尋ねると、何とか説明になる学生は100人に2、3人まで減ってしまいました。そこで、ここでは難しい詳細には踏み込みませんが、まず湯川博士の業績がどういうものだったのか、というところから考えてみたいと思います。

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このコラムについて

伊東 乾の「常識の源流探訪」

私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の准教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。

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著者プロフィール

伊東 乾(いとう・けん)

伊東 乾

1965年生まれ。東京大学大学院物理学科博士課程中退、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授、東京藝術大学講師。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生』(集英社)でオウムのサリン散布実行犯豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。メディアの観点から科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)など。

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