共に生きる職場めざして 活躍する在日同胞公務員(03.8.15)
孫敏男さん
永住外国人の公務員採用を妨げてきた国籍要件の壁が崩れ、70年代初頭から在日2,3世が進出するようになってきた。各地で活躍する数多くの同胞公務員のなかから本名を名乗り、職場と地域で「内なる国際化」を担っている4人の同胞を紹介する。兵庫・川西市役所…孫敏男さん管理職就任「後輩の励みに」
在日同胞2世、孫敏男さん(48)が兵庫県川西市役所の副主幹(課長補佐級)に昇任することが決まったのは00年3月のこと。同年4月1日付で発令された。在日同胞としては全国で初の管理職就任だった。現在は市教委事務局教育振興部に所属、総務調整室の施設担当副主幹だ。
同市役所によれば、技術職の昇進は他の一般職より比較的遅いといわれている。そうしたなか一般職に採用されてから27年目にして実現した孫さんの昇進は同期のなかではかなり早いという。
74年に一般職の建築技術職に採用された。同市が一般職で在日同胞を採用したのは孫さんが初めてだった。主任を経て92年には係長にあたる主査に昇任。7年の年月を経て99年に副主幹昇任試験を受けて合格した。孫さんは「やったことが評価されたのでしょう。それしかない。外国人に公務員への道を閉ざしている自治体は多い。私の昇任で門戸開放に拍車がかかれば」と胸の内を語った。
川西市を含む阪神6市1町が全国に先駆けて一般職の門戸を開放したのは73年のこと。地元の在日同胞団体ばかりか在日同胞の進路指導を担っていた公立高校の教員や部落解放同盟大阪府連などによる組織だった働きかけが大きな役割を果たした。 このころ民間企業ではあたりまえのように就職差別を繰り返していた。空調関係では業界大手の地元兵庫の高砂熱学が、「(生徒が)部落、朝鮮と分かっていれば、送り込むな」と進路指導担当の教員に電話をかけてきたため一大糾弾闘争が展開されたこともあった。
孫さんは「高校進学の時から民間の厚い就職差別の壁があるのは周囲から聞いて知っていた。ましてや公務員になるなんて雲をつかむような話だった。国籍の壁を低くするのが自分の社会的使命」と自らに言い聞かせてきた。県立尼崎高校に進学して在学中、建築科に学んだのも「手に職をつけないと食べていけない」と知っていたからだった。市役所受験は担任教員から勧められた。採用が決まると市建築課に勤務しながら夜間大学に通い、卒業後は数年の実務経験を積んで1級建築士の資格を取った。孫さんとは高校の同級生で、30年来のつきあいという黄光男さんは孫さんを「差別是正に先頭に立って闘う、常に全力でつっ走る男」と話している。当時、施設課のなかで1級建築士資格を取得した職員は孫さんのほかにはいなかった。
1級建築士として独立する道を選ぶことも考えられたが、孫さんが念願としてきたのは本名で公務員として働く同胞の仲間を1人でも増やしていくこと。まだ公務員になれないと思っている後輩たちに「なれるんだ」という情報を発信していかなければと市役所に残った。これまで手がけてきた建築物は福祉施設が多い。なかでも特別養護老人ホーム「満寿荘」と明峰公民館は計画段階から関わった孫さんの代表的な建造物。コストを考えながらも市民本意の快適な居住環境が高い評価を得た。こうした評価の積み重ねが孫さんの管理職就任に道を開いた。
今後の昇進は孫さんが「なりたいからなれるものではない」。上からの直接的な発令人事になる。
孫さんが今後、課長級の主幹、さらにライン職にあたる次長、議会答弁も担う部長級の参事へと上りつめていけるのかどうか。孫さん自身は「人事がどこまで(外国人の昇進を)許せるかどうかの問題。市民のコンセンサンスしだいでしょう」という。
<民団新聞
2003年8月14日>