祝!「遠藤顧問の歴史だよ」が復活 | |
[遠藤顧問の歴史だよ] | |
2008年12月2日 10時46分の記事 | |
当事務所の顧問である遠藤顧問。 実は、これまで「遠藤顧問の歴史だよ」ということで、不定期連載をしていた。 なんせ、不定期だから、2回分しかない。 沖縄戦「集団自決」に関する教科書検定問題 “第二の「教科書誤報事件」にしてはならない” 2007年10月11日 大政翼賛会について by 遠藤顧問 2007年11月10日 ・・・・・・・・ うん?なんだ?これ全部、昨年の記事でないか? 今年は一本もはいっていない。 ただし、熱烈な読者が、銀座村に5名、六本木村に3名、新宿村に3名、北新地村に3名の合計14名はいる。なんせ、肉弾三勇士も真っ青な熱烈な読者である。 「うん?昔のオネーチャンいれたら、10倍はいくな・・・・エンちゃん(遠藤顧問のこと)の肉弾三勇士」(ボス談) どっちの肉弾派であるかについて、当サイトは大人のサイトなので詳細は記述しない。なんせ、大人だから。 そして、肉弾派からの強い要望により、「遠藤顧問の歴史だよ」が、この「ニュースソース・NewsSource」(有料版)で復活します。 なんで、読者限定で復活したかというと、「日教組に読んで欲しくない」とは、うちのボスだと平気でいうけれど、大人の遠藤顧問はいわない。内心おもっていてもいわない。それが、顧問の顧問たる所以である。 注意:これに関して、修正がはいる。 「日教組の人こそ読んでほしい」(遠藤顧問談) ということで、不定期連載「遠藤顧問の歴史だよ」が復活登場です。 14名の方、よかったですね。(追加、日教組の人もよかったね) なお、昔の人もいいですよ。 「昔の名前ででています」から・・・・。 さて、今回は「ここが卓見」シリーズです。 どこが、卓見かというと、以下の書籍です。 ぜひ、読んでください。 日中戦争 ということで、「遠藤顧問の歴史だよ」復活記念で今回は、無料公開!
************************************************************ 当サイトからの引用、転載の考え方 ・有料情報サイトですが、引用は可能です。 ・ただし、全体の文章の3分の1内程度を目安として、引用先として「ニュースソース・NewsSource(有料版)」と必ず明記してください。 ・ダウンロードしたPDFファイル、写真等は、透かしが入っている場合があります。これは情報管理上のことです。現物ママの転載を不可とします。ただし、そこから情報を引用しての表記は可とします。その場合も、全体の3分の1内程度を目安として、「ニュースソース・NewsSource(有料版)」と引用先を必ず明記してください。 ・商業利用の場合は必ず、連絡下さい。 メールは、info*officematsunaga.com (*を@にかえてください) ************************************************************ 遠藤顧問の歴史だよ ここが卓見! 「戦争を望んだ中国、望まなかった日本」 最近、北村稔・林思雲『日中戦争 戦争を望んだ中国 望まなかった日本』PHP研究所という本が出版された。 林思雲という著者の略歴には、「1963年南京市に生まれ、1985年南京大学を卒業。1992年に留学のため来日。1996年に九州大学で工学博士号を取得後、日本の企業に就職。1997年以降、中国語インターネットウェブサイト上で日中関係をはじめとする様々な分野について個人的な見解に基づく文章を発表し、多くの読者の関心を集めている。」とあった。 「林氏はこの本の担当部分を中国語で執筆し、北村が日本語に翻訳した。林氏は巻末の参考文献一覧に示されるとおり、全て中国側の研究を資料として執筆されている」と北村稔氏は述べている。北村氏は、『「南京事件」の探求』文春新書、等で有名な歴史学者である。 林氏はこの本の中で、2006年8月13日に放映されたNHKの「放送スペシャル」を次のように批判している。少し長くなるが、我が国では当初「北支事変」と呼ばれた局地的な戦闘が「支那事変」と命名される大規模なものに発展してしまう当時の歴史的背景をきちんと分析した正論であり、このような視点から両国の歴史教科書の内容を今一度見直すべきだとも思うので、そのまま引用させて頂く。 NHKの「放送スペシャル」----日中戦争---なぜ戦争は拡大したのか----は、戦争拡大の原因を日本の主戦派に帰結させている。まるで中国側には、何の関係もなかったかのようである。 このように、自ら進んで戦争責任を負おうとするのは好意なのかもしれない。しかし中国人から見ると、このように片方だけに戦争責任を求める論法には傲慢さが含まれている。すなわち、日本を日中戦争の主導者とみなし、日本が戦争を拡大しようと思えば拡大でき、拡大させまいと思えば拡大させぬことができたのであり、戦争の方向は日本の意思でコントロールできたというものであるが、自発的に進んで戦おうとした中国人の意思が軽視されている。このような見方は、当時の実情に符号しない。 実際には当時の日本は、決して戦争の方向をコントロールしていなかった。中国側において自発的に日本と戦おうとする意思が高まっている状況では、たとえ日本が戦争を拡大したくなくても、中国側は日本と全面戦争を開始したであろう。 事実として、日中間の大規模な戦争が開始された本当の発端は、1937年の8月13日に発生した第二次上海事変である。そしてこの戦闘は、正しく中国側から仕掛けたのである。(この日、蒋介石は上海に駐屯していた五千人余りの日本海軍特別陸戦隊に対する総攻撃を命令した)。 日中戦争が拡大した真の原因を言うとすれば、それは世論に扇動された双方の民衆の仇敵意識であると言わねばならない。1937年7月29日には、通州事件が発生した(日本の傀儡政権である冀東防共自治政府の中国人保安隊が反乱を起こし、首都の通州にいた二百数十人の日本の民間人を惨殺した)。 通州事件のあと、日本国内では「懲中」(中国を懲らしめる)の空気が巻き起こり、中国国内では「抗日」の空気がさらに高まった。両国が事前に戦争の準備をしておらず、また戦争の目的と結果を考慮していなくとも、日本側の「懲中」と中国側の「抗日」という両国人民の熱狂的な感情に支配され、全く準備がなされていない大戦争が、遂にはちょっとした食い違いから開始されたのである。(94〜96頁) 林氏の冷静な分析をもう一つ紹介しよう。 中国の教科書の公式見解は、日本の中国侵略は「中国を滅亡させようと企んだ」のだというものである。しかし現在の資料からみると、日本が中国の滅亡を企んだという有力な証拠は無い。当時の日本が戦争を起こした主要な目的は、アメリカのイラク戦争での目的と大差が無い。日本の目的は、反日の国民党政府を倒して新たな親日政権を樹立し、日本に対する中国の脅威を取り除くことにあった。 はたして日本は、国民党政権の取り潰しには基本的に成功した。しかし新たな親日政権の樹立には完全に失敗し、日中戦争は引き延ばされ八年間の長きにわたり続いたのである。(175頁) 最後に「中国人の虚言を生み出す中国の儒教思想」というテーマで、林氏が述べていることを取り上げたい。 多くの人が、中国人は虚言を弄し事実を誇大に言うと批判する。しかし、なぜ中国人がそうするのかを理解していない。中国人が虚言を弄するのは、相手を騙すためだと単純に理解しているとすれば、大変な間違いである。中国人が虚言を弄するのは、多くの場合は決して自分のためではなく、家族のためであったり、場合によっては、国家のための「愛国虚言」なのである。(207頁) 林氏によれば、儒教思想の核心には日本でもよく知られている「忠、孝、礼、仁」という徳目の他に、もう一つ重要な徳目があり、それが「避諱(ひき)」であるという。そして、「避諱する」とは、自分の芳しくない出来事を隠すことではなく、他人の芳しくない出来事を隠すことであり、中国の伝統的な道徳観では、この「他人」の最たるものが「偉大な人物と国家」に該当する。中国人は子供の頃から、偉大な人物と国家のためには、「避諱」し、虚言を弄せ、と教育される。その結果、人々は虚言を弄することが不道徳だとは感じなくなり、虚言を弄する習慣が養われてしまう。 現在の中国では、国家の醜い出来事を隠し、国家の過ちを覆い隠すことが、中国人の基本的義務となった。国家の体裁を保つために虚言を弄し、国家の威信を守るために嘘をつくのは、称賛と奨励に値するやり方なのである。(208〜211頁) このような避諱文化が背景にあればこそ、東京裁判で提出された魯甦という人物の「日本兵が五万七千四百十八人を殺すのを見た」という証言や、中国の首席代表であった梅汝?(ばいじょこう・注)の「殺人競争」(いわゆる百人斬り)の記述、さらにはアイリス・チャン(張純茹)の著作『ザ・レイプ・オブ・南京』が生まれた、と林氏は分析する。(212〜218頁) そして、まとめとして次の結論が出されている。 要するに、中国における避諱の伝統と西洋の科学思想は、背馳している。中国人が日本人の言う「科学的検証」を受け入れる可能性は無いであろうし、日本人も中国人の言う「愛国避諱」を受け入れる可能性は無いであろう。 戦争責任と南京大虐殺をめぐる中国と日本の論争は、双方の使用する理念と道徳の価値観が異なるので、一致した見方に到達するのは不可能である。(219頁) これは、まさしく、卓見である! 注:梅汝?(ばいじょごう)ゴウは傲という字のニンベンではなく、オウヘン(王) 参考: 動画から・・・・・ 日中戦争 (1937-1938) 日中戦争 1937年(昭和12年) そして、本著でも触れられている NHKスペシャル日中戦争〜なぜ戦争は拡大したのか〜 1937年、盧溝橋(ろこうきょう)事件に始まった日中戦争。戦闘は8年間にわたり、日中双方におびただしい犠牲をもたらした。そしてこの戦いを通じて日本は英米との関係を悪化させ、太平洋戦争への道を突き進んでいく。日中戦争はなぜ拡大したのだろうか・・・。 その背景を物語る重要な資料が公開された。当時、中国国民政府を率いた蒋介石の日記である。この日記から浮かび上がる蒋介石の意図。それは日中戦争を世界戦争へと連動させ、米ソの力で日本軍を倒すという長期的な構想である。 蒋介石は戦前からドイツ軍事顧問団によって軍を近代化し、最新兵器による軍備を進めていた。さらに戦争が始まると、国際社会の注目が集まる上海近辺に精鋭部隊を派遣。英米の経済制裁やソビエトの参戦によって戦局の好転をはかろうとした。 これに対し、日本政府は国際社会の批判を避けるため、不拡大方針を掲げたにも関わらず、なしくずし的に全面戦争に突入してしまった。その背景には、蒋介石政権を弱小と見て、「一撃で倒せる」と考えた日本軍の誤った状況認識があった。出先の軍を率いる司令官らは満州事変の経験から中国の力を過小評価し、独断で首都南京攻略へと進軍。日本政府もこれを追認してしまったのである。 中国の真意と力を読み違えた日本。それは泥沼の日中戦争から太平洋戦争という破局をもたらした。初公開の資料から、日中戦争を日中だけでなく、アメリカ、ドイツも含めた国際的な視野からとらえ直す。そして日中戦争がなぜ拡大したのかを明らかにしていく。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | |
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