国籍法違憲判決の問題点

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「司法の解釈権」のからくりを追加いたしました。[2008/12/1]

2008年6月4日、最高裁大法廷で「国籍法」の条文を憲法違反とする判決が下されました。 その結果、日本人男性とフィリピン人女性の間に生まれ、 出生後に日本人男性から認知されたフィリピン人の男の子に日本国籍が付与されました。 この判決を受けて、国会は国籍法の改正を迫られています。

しかしその判決は非常に問題の多いもので、 司法による法の改変が二度行われている 他、判決の根底にある考え方にも疑問を感じざるを得ないものがあります。

国会は今、司法の下した判決のままに国籍法を改正しようとしていますが、 その前に、この判決がどういうものであったのかを検証する必要があると思います。

1.国籍法のどこが違憲とされたのか?

まず最初に、国籍法のどの部分が違憲とされたのかを確認しておきます。 第二条と第三条が関わっています。

まず第二条1項です。この条文で国籍付与のほとんどすべての場合がカバーされています。


第二条
子は、次の場合には、日本国民とする。
一 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。 
出生の時に、日本人との間に法的な親子関係があれば、 子に日本国籍が付与されるということです。ほとんどの皆さんが日本人なのは、実はこれが根拠に なっています。

さてここからは、裁判で問題になった日本人の男性と外国人の女性の組合せに話を絞りたいと思います。 この条文で男性が法的に親と認められるためには、子の出生の時に次のどちらかを満たしている必要があります。

  • 女性との間に婚姻関係がある
  • 子を認知している
出生の時というのが第二条のポイントです。 出生後に認知を行っても、第二条に基づいて国籍が付与されることはありません。

さて、昭和59年に国籍法が改正され、出生後の認知についても国籍取得を可能に する道が開かれました。それが第三条1項の規程です。


第三条
1 
父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得した子で二十歳未満のもの
(日本国民であった者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であつた
場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民で
あつたときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。
この条文には「出生の時に」という限定がついていないので、出生後の認知についても適用されます。 その代わり「父母の婚姻及び」という形で婚姻の要件が追加されています。

そして、この婚姻の要件が違憲であるとされました。 同じ婚外子でありながら、出生前に認知された子には無条件で国籍が付与される(第二条1項)のに、 出生後に認知された子には婚姻という要件が必要である(第三条1項)事が不当な差別であると 判断されたのです。

判決文では違憲とされた箇所を「本件区別」と呼んで、次のように説明しています。

所論は,国籍法3条1項の規定が,日本国民である父の非嫡出子について,父母 の婚姻により嫡出子たる身分を取得した者に限り日本国籍の取得を認めていること によって, 同じく日本国民である父から認知された子でありながら父母が法律上の 婚姻をしていない非嫡出子は,その余の同項所定の要件を満たしても日本国籍を取 得することができないという区別(以下「本件区別」という。) が生じており,このことが憲法14条1項に違反するとした上で,国籍法3条1項の規定のうち本件 区別を生じさせた部分のみが違憲無効であるとし,上告人らには同項のその余の規 定に基づいて日本国籍の取得が認められるべきである旨をいうものである。

2.なぜ合憲だったものが違憲に変わったのか?

ところで判決理由を読むと、国籍法第三条1項は、設けられた当時(昭和59年)は合憲であったとし、 次のように言っています。
また,国籍法3条1項の規定が設けられた当時の社会通念や社会的状況の下にお いては,日本国民である父と日本国民でない母との間の子について,父母が法律上 の婚姻をしたことをもって日本国民である父との家族生活を通じた我が国との密接 な結び付きの存在を示すものとみることには相応の理由があったものとみられ,当 時の諸外国における前記のような国籍法制の傾向にかんがみても,同項の規定が認 知に加えて準正を日本国籍取得の要件としたことには,上記の立法目的との間に一 定の合理的関連性があったものということができる。
分かりにくい文章で、「相応の理由」の内容も「一定の合理的関連性」があるとする理由も はっきりしませんが、とにかく昭和59年には国籍法第三条1項は合憲であったのです。

ではその同じ条文が、内容が変わった訳でもないのに、 なぜ時間の経過とともに違憲に変わってしまったのでしょうか。

国内的な理由

判決理由ではまず次のように述べています。
(前の引用の続き)
しかしながら,その後,我が国における社会的,経済的環境等の変化に伴って, 夫婦共同生活の在り方を含む家族生活や親子関係に関する意識も一様ではなく なってきており,今日では,出生数に占める非嫡出子の割合が増加するなど,家族 生活や親子関係の実態も変化し多様化してきている。
要点を掴みにくい文ですが、要するに日本で婚外子が増えていると言いたいのでしょう。 これは後でデータを示しますが、嘘ではありません。先に進みましょう。
(前の引用の続き)
このような社会通念及び社会的状況の変化に加えて,近年,我が国の国際化の進展に 伴い国際的交流が増大することにより,日本国民である父と日本国民でない母との間に 出生する子が増加しているところ, 両親の一方のみが日本国民である場合には,同居の有無など家族生活 の実態においても,法律上の婚姻やそれを背景とした親子関係の在り方についての 認識においても,両親が日本国民である場合と比べてより複雑多様な面があり,そ の子と我が国との結び付きの強弱を両親が法律上の婚姻をしているか否かをもって 直ちに測ることはできない。
これも分かりにくい文ですが、要するに日本人男性と外国人女性の間に生まれた子供が 増えており、この組合せの場合には「婚姻」という形態は重要ではないと 主張しているように読めます。理由は分かりません。

そして突然、次のような結論に至ります。

(前の引用の続き)
これらのことを考慮すれば,日本国民である父が日本 国民でない母と法律上の婚姻をしたことをもって,初めて子に日本国籍を与えるに 足りるだけの我が国との密接な結び付きが認められるものとすることは,今日では 必ずしも家族生活等の実態に適合するものということはできない。
なぜか国籍取得に両親の婚姻要件は不要であるというような結論が出てしまっています。 なぜこのような結論になるのか理解に苦しみます。 ここまでの議論は「結論ありき」の議論のように思えます。

国外的な理由

実はこの判決の本当の理由はこの後に述べられています。 下記の引用の中の下線部分がポイントです。
(前の引用の続き)
また,諸外国においては,非嫡出子に対する法的な差別的取扱いを解消する方向 にあることがうかがわれ,
我が国が批准した市民的及び政治的権利に関する国際規 約及び児童の権利に関する条約にも,児童が出生によっていかなる差別も受けない とする趣旨の規定が存する。さらに,国籍法3条1項の規定が設けられた後, 自国民である父の非嫡出子について準正を国籍取得の要件としていた多くの国におい て,今日までに,認知等により自国民との父子関係の成立が認められた場合にはそ れだけで自国籍の取得を認める旨の法改正が行われている。

以上のような我が国を取り巻く国内的, 国際的な社会的環境等の変化に照らしてみると, 準正を出生後における届出による日本国籍取得の要件としておくことについて, 前記の立法目的との間に合理的関連性を見いだすことがもはや難しくなって いるというべきである。

要するにこの判決を書いた裁判官は、 諸外国では婚姻の意義は薄れ、それに合わせて法律も改正されているのだから、 当然日本もそれに追随するべきである と主張しているのです。 だから本当のところは、国籍法が違反しているのは憲法ではなく、外国の法律ということになります。 何だかまるで日本が植民地であるかのような発想です。

現状はどうなのか

下記のグラフは、婚外子の割合の国際比較をしたものです。 これを見ると、欧米では婚外子が急増していて、我々日本人の感覚では信じられないような 状況になっていることが分かります。 スウェーデンに至っては、婚外子が過半数を占めています。 ここまで来ると、これらの国々では婚姻に意味がないというのも納得できます。
世界各国の婚外子割合

本データは 「社会実情データ図録」 よりお借り致しました。

一方、日本では増えているとは言え、全体から見るとまだほんのわずかであることが 分かります。日本の実状を見る限りでは、先程の判決理由に述べられたような、 憲法判断が変更されるほどの劇的な変化があったとはとうてい言えません。 というより、圧倒的に少ないです。 むしろ婚姻が重視されていることがデータから明らかです。

しかしこの判決文を書いた裁判官は、日本の法律は日本国内の実情ではなく、 外国のそれも欧米の実情に基づくべきと考えているようです。 これは少なくとも常識的な考えとは言えないと思います。

日本と外国とでは歴史も価値観も異なる

日本と諸外国とでは、歴史も価値観も異なります。

例えば米国などは、広い国土と豊かな資源を活かし、移民を受け入れることによって 発展してきた国です。狭くて資源のない日本とは根本的に事情が異なります。 ヨーロッパの国々は、EUの下に経済的、法的、政治的に統合されつつありますから、 それぞれの加盟国は独立した国家でありながら、米国の州に近い側面も持っています。 こういった国々では国際結婚も多く、国籍の要件が緩くなるのも理解できます。

日本人は伝統的に「家」というものを重視します。家族の存在が地域のつながりを作り、 その地域が集まって磐石な国家を作るという考え方です。 好き嫌いはともかく、それが日本の強さ、例えば治安の良さ、高い勤労意識、高い結束力、 約束を守る国民性と言ったものを育んでいると思います。 その国家の基盤である「家」を新たに作る行為が婚姻なのですから、日本の国籍法で婚姻を 重視することは当然のことだと思います。

認知は一人で何人でも可能だし、出生後の認知ということになると、 そもそも父親が妊娠・出産の事実を知っていたかどうかすら不明です。 さらに、父親の死亡後でも3年間は母の側から請求できるようです。 少なくとも日本では、認知は子を法的・経済的に守るための手続きと見なされており、 婚姻と同一視はされていないと思います。 出生後の認知による国籍取得に婚姻要件がつけられたのは当然だと思います。

一方欧米の考え方は、「家」よりも「個」を重視することが多いようです。 個人の尊重が自由競争の下で強い国家を生むという考え方です。 婚姻を重視しない風潮のベースには、この個人主義的な考え方があると思います。

日本と欧米のどちらの考え方がいいとは言いません。 しかし、欧米がどうあろうと、日本は日本のやり方を堂々と主張すればよいと思います。 それが国家の個性というものではないでしょうか。

諸外国から入って来る考え方には、古くは共産主義、最近ではジェンダーフリーや金融自由化など、 全面的に受け入れると危険なものがたくさん含まれています。 それらを採用するかどうかは、まずそれが良いものかどうか、 さらには日本の伝統や価値観に合うかどうかを時間をかけて検討した後で決断するべきだと思います。

司法の役割

さて、だからと言って「司法は日本的な価値観に基づいて判決を下すべき」 などと言うつもりはありません。むしろそういうことには一切関わるなと言いたいのです。

仮に外国の考え方に無条件に追随することが取るべき道であったしても、 その選択をするのはあくまで国会です。 裁判所は国会が定めた法律が正しく適用されているかどうかだけを考えるべきです。 その役割を越えて自分の価値観を判決に持ち込む時は、国民の主権を侵害することになります。

しかし裁判所は、もっと許せないことをしています。 それを次の節で述べます。

3.司法が行った二つの法の改変

この判決で、裁判所は二つの実質的な法律の改変を行っています。 これはつまり、実質的な立法行為を行ったということです。

国籍法第三条1項の改変

さて本判決では、国籍法第三条1項が違憲とされ、 出生後に認知されたフィリピン人の男の子に日本国籍が付与されました。 しかし、国籍法第三条1項を違憲とするなら、その条文は無効のはずです。 第三条の他に、出生後に認知された子に国籍を与える条文は無いはずなのに、 一体どうやって国籍を付与したのでしょうか。 実はここで、裁判所は法(国籍法)の改変を行っています。

判決理由の中で裁判官は次のように述べています。

(1) 以上のとおり,国籍法3条1項の規定が本件区別を生じさせていることは, 遅くとも上記時点以降において憲法14条1項に違反するといわざるを得ないが, 国籍法3条1項が日本国籍の取得について過剰な要件を課したことにより本件 区別が生じたからといって, 本件区別による違憲の状態を解消するために同項の規 定自体を全部無効として,準正のあった子(以下「準正子」という。)の届出によ る日本国籍の取得をもすべて否定することは,血統主義を補完するために出生後の 国籍取得の制度を設けた同法の趣旨を没却するものであり,立法者の合理的意思と して想定し難いものであって,採り得ない解釈であるといわざるを得ない。 そうすると,準正子について届出による日本国籍の取得を認める同項の存在を前提とし て,本件区別により不合理な差別的取扱いを受けている者の救済を図り,本件区別 による違憲の状態を是正する必要があることになる。

(2) このような見地に立って是正の方法を検討すると,憲法14条1項に基づ く平等取扱いの要請と国籍法の採用した基本的な原則である父母両系血統主義とを 踏まえれば,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生し,父から出生後 に認知されたにとどまる子についても,血統主義を基調として出生後における日本 国籍の取得を認めた同法3条1項の規定の趣旨・内容を等しく及ぼすほかはない。 すなわち,このような子についても, 父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得した ことという部分を除いた同項所定の要件が満たされる場合に,届出により日本国籍 を取得することが認められるものとすることによって,同項及び同法の合憲的で合 理的な解釈が可能となるものということができ,この解釈は,本件区別による 不合理な差別的取扱いを受けている者に対して直接的な救済のみちを開く という観点からも,相当性を有するものというべきである。

要するに裁判所は、 違憲と判断した条文の一部を改変して違憲状態を解消し、 その改変された条文をそのまま法として適用して国籍を付与した ということです。

具体的にどういう改変をしたのかと言いますと、 国籍法第三条1項から「婚姻及びその」と「嫡出」の部分を削除したのです。


第三条
1 
父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得した子で二十歳未満のもの
(日本国民であった者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民で
あつた場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に
日本国民であつたときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得する
ことができる。
これで確かに文法的には意味の通る日本語になっていますが、法は意味が通ればいいというものでは ありません。裁判官は第三条の趣旨なるものに合致しているから問題ないと主張していますが、 その趣旨が裁判官が考えているような単純なものとは限りません。 この裁判官は、私が次のように言えば納得するのでしょうか。
「あなたの書いた判決文に、ちょっと気にいらないところがあったので、 主語の一部を改変しておきました。でも、ご心配は無用です。趣旨は変えておりませんから。 まあもちろん、私の理解した趣旨ではありますが...」
こんなことをされれば当然抗議するでしょう。 しかし今回判決を下した裁判官は、国会の定めた法律の文面について同じようなことをしたのです。 これは明らかに司法による立法行為です。

実際、この判決に参加した 裁判官15人のうち、実に5人までもが、 この行為は実質的な立法行為であり、受け入れられないとの反対意見を述べています。

(裁判官横尾和子,同津野修,同古田佑紀の反対意見より引用)
しかし,準正子に係る部分を取り除けば,同項はおよそ意味不明の規定になるのであって, それは,単に文理上の問題ではなく,同項が専ら嫡出子の身分を取得した者についての 規定であることからの帰結である。認知を受けたことが前提になるからといって, 準正子に係る部分を取り除けば,同項の主体が認知を受けた子全般に拡大するということにはい かにも無理がある。また,そのような拡大をすることは,条文の用語や趣旨の解釈の域を越えて 国籍を付与するものであることは明らかであり,どのように説明しようとも,国籍法が現に 定めていない国籍付与を認めるものであって, 実質的には立法措置であるといわざるを得ない。

(裁判官甲斐中辰夫,同堀籠幸男の反対意見より引用)
そうすると,多数意見は,国籍法3条1項の規定自体が違憲であるとの同法の性質に反した 法解釈に基づき,相当性を欠く前提を立てた上,上告人らの請求を認容するものであり, 結局,法律にない新たな国籍取得の要件を創設するものであって, 実質的に司法による立法に等しいといわざるを得ず,賛成することはできない。

司法による立法という重大な不法行為(憲法第41条に違反)が、 5人もの裁判官が明確に反対したにも関わらず強行されてしまったことが不思議でなりません。

憲法第14条1項の改変

二つ目の改変は憲法第14条1項に対するものです。 こちらは一見しただけでは改変が行われた事実が分かりにくくなっています。

判決理由の中で、憲法第14条1項については次のように述べられています。

(1)憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定は,事柄の性質 に即応した合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する 趣旨であると解すべきことは,当裁判所の判例とするところである
これだけ見れば、別段何も問題がないように思えますが、判決文の中で憲法第14条1項の引用を 行っていないことが実は重要な意味を持っています。 省かれた部分に裁判官が隠したかった言葉が含まれているからです。

憲法の条文を確認してみましょう。


日本国憲法第14条
1. すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、
政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
この文の主語が「国民」であることにご注目ください。 この条文は国民に限定して適用されるということになります。

では国民とは何でしょうか。 同じく憲法で次のように定められています。


日本国憲法第10条
日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
これを受けて国籍法第1条で次のように定めています。

国籍法第1条
日本国民たる要件は、この法律の定めるところによる。
つまり国民とは、国籍法の定めに従って日本国籍を付与された人のことを意味します。

ということは、 憲法第14条1項は「国民」、つまり日本国籍を付与された人に対してのみ適用される条文 ですから、国籍付与の可否についてだけは適用できないということです。 主語が「国民」と明記され「国民」の定義が国籍法であることが明確である以上、他の解釈はあり得ません。

本判決は国籍法の条文が憲法第14条1項に違反しているとして、 フィリピン人の男の子に日本国籍を付与しました。 しかし憲法第14条1項は、国籍を付与するかどうかには適用できない条項ですから、 このような判決は間違っています。 そもそも、男の子が求めているものが日本国籍で、それが与えられる前提が 既に当の日本国籍を持っていることだと言うのですから、論理的に不可能であることは明らかです。

これを解決するには、憲法に対して改変を行うしかありません。 具体的に言うと、裁判官は憲法第14条1項の「国民」を「人」などに改変したものと思われます。


日本国憲法第14条
1. すべて国民→人は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、
政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
国籍法の場合とは異なり、判決文は憲法の改変に言及しておりませんが、 主語を改変しなければ適用できない法を適用してしまった以上、 事実上の改変が行われたという他ありません。

さらに言えば、「差別」という言葉も拡大解釈されすぎです。 上記の条文には「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により」 差別されないと明記されているのですから、 拡大解釈をするにしても、身体的、精神的、身分的な違いによる差別に留めるべきだと思います。 一般に、法に明記されていて、誰でも予め知っていれば対応できる事柄について、 それをしなかった人が「差別的取り扱いを受けた」と言うのはおかしいと思います。 今回の国籍法の事例はまさにこのような場合に該当します。

なぜ司法による法の改変が繰り返されるのか

さて、このような司法による法の改変が、なぜ当たり前のように繰り返されるのでしょうか。 それを理解するキーワードが「救済」という考え方です。 判決理由および裁判官の補足意見の中には「救済」という言葉が何度もでてきます。

(判決理由より引用)
本件区別により不合理な差別的取扱いを受けている者の救済を図り,本件区別 による違憲の状態を是正する必要があることになる。

(判決理由より引用)
本件区別による不合理な差別的取扱いを受けている者に対して直接的な救済のみちを開くという 観点からも,相当性を有するものというべきである。

(裁判官今井功の補足意見より引用)
裁判所に違憲立法審査権が与えられた趣旨は,違憲の法律を無効とすることによって, 国民の権利利益を擁護すること,すなわち,違憲の法律によりその権利利益を侵害されて いる者の救済を図ることにある。

(裁判官田原睦夫の補足意見より引用)
多数意見のとおり国籍法3条1項を限定的に解釈し,20歳未満の生後認知子は, 法務大臣に届け出ることによって日本国籍を取得することができると解することが, 同法の全体の体系とも整合し,また,上告人ら及び上告人らと同様にその要件に 該当する者の個別救済を図る上で,至当な解釈であると考える。

(裁判官藤田宙靖の意見より引用)
未だ具体的な立法がされていない部分においても合理的な選択の余地は極めて 限られていると考えられる場合において,著しく不合理な差別を受けている者を 個別的な訴訟の範囲内で救済するために,立法府が既に示している基本的判断に 抵触しない範囲で,司法権が現行法の合理的拡張解釈により違憲状態の解消を 目指すことは,全く許されないことではないと考える。

どうやら「救済」のためであれば、法の改変と適用が許されると考えているようです。 しかしこれはおかしいと思います。

そもそも特定の国家の国籍を付与するかどうかは、その国家の主権の問題であって、 特定の誰かを救済するために与える訳ではありません。 また、「救済だから正当だ」という考え方にも根拠がありません。 裁判所に求められているのは、法に基づいて、中立の立場で判決を下すことです。 法に書かれていない方法で、特定の誰かを「救済」するなどというようなことは、 少なくとも国民は求めておりません。 さらに、母親と同じフィリピン国籍を持っている男の子に日本国籍を与えることが、 なぜ「救済」に当たるのかについても説明されておりません。

法に基づかない一人よがりの「救済」とは、司法の枠を越えた暴走に過ぎず、 さらにそれが人道的な仮面を被っているために、裁判官自身も自分が暴走していることに 気づいていないのではないでしょうか。

司法による法律の改変と適用は許してはいけない

言うまでもないことですが、立法行為は、国権の最高機関であり唯一の立法機関である 国会のみに許されたものです。裁判所は勝手に立法や行政を行うことはできません。

司法には違憲立法審査権という強大な権力が与えられていますが、


日本国憲法第81条
最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する
権限を有する終審裁判所である。
それは「適合するかしないかを決定する権限」に過ぎず、 積極的にある条文の主語だけを改変して適用することは、この権力の乱用に当たります。 だから今回の判決でも、国籍法が違憲状態であるというなら、その事を判決で示して、 国会が法律の改正を行えるようにするだけでよかったのです。

司法の権力は、法の番人としての使命を果たすために与えられたものです。 彼らが自分達の考えを全面に出して、「救済」の名の下に法の改変や無理な解釈に及ぶ時は、 気違いに鋭利な刃物を与えるのと何ら変わりありません。 彼らは自分達が正しいと思っているのでしょうが、 三権分立の理念を理解していないと言わざるを得ません。

次の節では、この問題に対して私達にできることを考えてみます。

4. この裁判官を罷免しよう

私達にできることは、最高裁判所裁判官国民審査で、裁判官に対する罷免要求を出すことだけです。

この審査は衆議院議員選挙と同時に行われます。 皆さんは当然、投票に行かれるでしょうから、その時に国民審査の投票用紙の中から、 罷免したい裁判官の名前を探し、その欄に×をつけてください。 罷免しない裁判官の欄は何も書かないでください。 選挙は自分が支持する人の名前を書きますが、国民審査は支持しない人に×をつけます。 くれぐれもお間違えのないように。

この裁判に参加した15人の裁判官のうち、誰がどのような判断を下したのかを一覧表にまとめてみました。 ○×は、本論で支持する判断が○、支持しない判断が×になるように決めました。 本判決そのものは、二つとも×に該当します。

国籍法は合憲
国籍法第三条1項が合憲であると判断した人は○、違憲であると判断した人は×
国籍法の改変は不可
国籍法第三条1項の一部だけを改変してそのまま適用することは認められないと判断した人が○、 本件の場合は認められると判断した人が×
反対意見を述べていない人は多数意見に同意していると見なし、二つとも×にしました。 なお、藤田裁判官の違憲理由は他の方と微妙に異なっています。

裁判官の判断一覧
項番裁判官氏名国籍法は合憲国籍法の改変は不可
1島田仁郎(裁判長)××
2才口千晴××
3中川了滋××
4泉徳治××
5今井功××
6那須弘平××
7涌井紀夫××
8田原睦夫××
9近藤崇晴××
10藤田宙靖××
11甲斐中辰夫×
12堀籠幸男×
13横尾和子
14津野修
15古田佑紀

実際に罷免が行われるのは、投票数の過半数が×だった人だけです。 今までに国民審査で罷免された裁判官はおらず、罷免に至るのは相当難しいと言わざるを得ませんが、 何よりも意思を表明することが大切だと思います。 戦場で撃ち殺されたくなかったら、たとえ万策つき果てた後でも、銃口を向けてきた相手に 「殺すな!」と叫ぶべきだと思います。 Wikipedia の「歴代最高不信任率裁判官」のリストに載せることでもできれば、十分に意味が あると信じます。

私見では、この表で一つでも×のついた裁判官(1-12)は全員罷免するべきだと思います。 ただし、×が一つの裁判官(11,12)は、国籍法の改変適用に反対したことを忘れないで下さい。 二つとも○の裁判官(13-15)は信任します。

なお、投票の前に是非 判決文 を読んでみてください。 判決文は全部で42ページありますが、主文と判決理由は12ページだけです。残りは各裁判官の 補足意見や反対意見です。

(補足 国籍法をどのように改正するべきか)

私見では、国籍法は改正する必要はないと思います。 そもそも判決文の中で法的な効力があるのは主文のみで、判決理由には法的な効力はありませんから、 法を改正する必要はありません。 同様の事例については、その都度裁判を行って結論を得ればよいと思います。 なお過去の例では、刑法旧200条(尊属殺人)が最高裁で違憲と判断(1973)されましたが、 実際に条項が削除されたのは22年後の1995年です。

どうしても改正が必要なら、違憲と判断された第三条をまるごと削除するべきでしょう。 この条項は、出生後に認知された子に対しても国籍取得の道を開いたものですが、 同時に、同じ婚外子でありながら、認知の時期によって扱いが違うことが不当な差別と見なされる 原因ともなりました。元に戻して、国籍は出生時に決定されるものとし、出生後の認知については 帰化の手続きに統一するのが正しいと思います。

どちらのやり方も再び違憲判決を下される可能性が高いですが、国民世論の流れによっては、 最高裁は判断を変えることもあると思います。そのためにも国民審査がとても重要です。 今はまだほとんどの国民がこの改正の事を知らないというのが実態だと思います。 どのように対応するにしても、事は国家の根幹に関わる事柄なのですから、 まず広く国民に知らせた上で、十分に時間をかけて問題点などを検討するべきではないでしょうか。

[2008/11/14]


「司法の解釈権」のからくり


国籍法判決で行われた法律の改変を「裁判所の解釈権の正当な行使だ」という方がいらっしゃる ようですので、これについて反論させていただき、 なぜこれを認めてはならないのかを述べさせていただきます。

これを「解釈」と呼べるのか?

まず、国籍法判決で行われた、憲法第14条の「国民」の「拡張解釈」は、 いわゆる常識的な言葉で言うところの「改変」に当たるということを明白に申し上げておきます。 それを「解釈」と呼ぶのは間違っています。 同じやり方を別の法律・条文に適用してみれば分かります。

例えば、憲法第1条の「主権の存する日本国民」を「主権の存する人」に「解釈」すると、 日本国民の主権は一気にすべての人に広がります。人であれば、日本に来るだけで 日本国の主権が手に入るとなれば、世界中の貧しい人達が雪崩のように押し寄せてくるでしょう。

また、「国民」を「人」に置き換えることが許されるなら、「人」を「生物」に置き換えることも 許されるでしょう。すると例えば刑法第199条は、次のように「解釈」できます。


第199条
人→生物を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
これでゴキブリ一匹殺しただけの人を死刑にできる恐ろしい条文ができあがりました。

何が間違っているのかというと、明確に限定された言葉をより広い概念に勝手に広げている点です。 それは解釈などではなく、「改変」と呼ぶしかありません。 司法には確かに解釈権がありますが、国籍法判決で行われたのは解釈などではなく、 改変であったというところが問題なのです。これを許していては国民は安心して眠ることすらできません。

恐怖のシナリオ

もし最高裁と検察当局が、 日本占領を目論む勢力に乗っ取られたとしたら、 一体どういうことが起きるでしょうか。

一つのシナリオとしては、この種の恣意的な「解釈」が あらゆる法について行われ、日本にとって必要で優秀な人材達が真っ先に、 しかも合法的に牢屋にぶちこまれることになるでしょう。 上で述べた改変刑法を用いれば殺すことも可能でしょう。 そしてその時、彼らは次のように言うかも知れません。

「我々の裁判は完全に合法的なものだ。 何故ならこの種の『解釈』は、元々日本で行われていたものだからだ」
そして先程言ったように、憲法第1条の「主権の存する日本国民」が「主権の存する人」に 「解釈」されます。不法入国者を含むすべての外国人に日本国の主権が与えられます。 それを合図に占領勢力の大量の仲間達が日本に乗り込んで来ます。 彼らは口々に「主権」、「権利」、「平等」と叫びます。

頼りの自衛隊もシビリアンコントロールの下では自由に動けません。 自衛隊の関係者が「間違っている」と一言でも発言すれば、片っ端から更迭・免職に追いやられ、 「退職金も奪うぞ」と脅されます。自衛隊内の自由な発言はすべて禁止されます。 自衛隊の強力な戦力も法的なテロに対しては無力です。 一部の人達が実力行使に及ぼうものなら、テロ行為として鎮圧されることになるでしょう。 そして占領勢力は次のようにアナウンスするでしょう。

「再び暗黒の時代に後戻りさせるようなテロ行為は許さない」
一年もすれば日本は完全に 「合法的」 に乗っ取られます。 占領勢力の人数が日本人の数を上回ったところで総選挙が行われ、議員のほとんどは占領勢力で 占められます。そして一定以上のお金持ちは、貧しい人達のためにすべての財産を 放出しなければならないというような、 「人道的な法律」 を通します。これで日本人の財産もすべて奪われます。

この恐ろしさは想像上のものでしょうか。 今回の判決とそれに引き続く出来事を注視してきた方々は、 その恐ろしさの一端をかいま見たのではないでしょうか。 最初は小さな突破口に過ぎなかったものが、いつのまにか誰も逆らえない 大きな流れになり、重大な法案がほとんど議論されることもなく合法的に可決に向かう。 そしてマスコミはダンマリを決め込む。今、私達の目の前でおきている現実がまさにこれです。 元をたどれば、改変を「解釈」と呼んだ事が間違いだったのです。

「解釈」の名の下に、司法に法の改変を許してはいけません。 それを認めることは、明日にも国家の乗っ取りを許すことに他なりません。 外国人も、帰化すれば裁判官になれることを忘れないでください。

マクリーン事件と国籍法裁判の違い

ところで、憲法第14条を含む憲法第3章が外国人にも適用できる根拠として、 マクリーン事件のことをおっしゃる方が多いようです。 マクリーン事件とは、アメリカ国籍を持つ男性が、日本での在留資格を求めて争った裁判です。 その中で裁判官は、憲法第3章の諸規定について次のように述べています。
「思うに、憲法第3章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみを その対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく 及ぶものと解すべきであり、政治活動の自由についても、わが国の政治的意思決定又は その実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと 解されるものを除き、その保障が及ぶものと解するのが、相当である。」
この発言は、憲法第3章全般について漠然と述べているので、憲法第14条について どう判断しているのかは必ずしも明確ではありません。 もしこれが、下記のような「国民」と明記されていない条文は外国人にも適用できる、 というような意味であれば何の問題もないと思います。

第19条
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第22条
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
そうでなくて、「憲法第3章の諸規定の中の『国民』は、自由に『人』と解釈できる」 という意味であるなら、もちろん間違いです。 それは解釈ではなくて改変です。

ところでこの事件で最高裁は、男性の請求を棄却し、在留資格を認めませんでした。 上記の文は、「あなたの主張ももっともですが、別の理由でそれは認められませんよ」 という流れの中で、その前半部分として「憲法第3章は外国人にも適用できる」というような 気前のいい事を言った訳です。

しかし、この裁判官の発言は特に問題ないと思います。 やや無理のある憲法「解釈」を披露しているとは言え、 それを適用して判決をくだした訳ではないからです。 裁判官が判決理由の中で何を言おうと勝手ですから、改変した法を適用しない限り、 それは立法行為でもなければ不法行為でもありません。 ここが国籍法裁判とは違うところです。

また仮に適用した場合であったとしても、それで誰も困る人がいない場合、 多くの日本人は次のように考えるのではないでしょうか。

「法の改変は正しい事ではないけれど、そこまで堅苦しく言うこともないだろう。 それで助かる人がいて、誰も困る人がいないなら、それもいいだろう」

しかしながら、特定の事件において行われた改変を既成事実とし、 別の事件にそのまま適用しようとするのであれば話は別です。 今回の国籍法判決で、裁判官は憲法第14条の原文を引用することなく、 過去の判例から改変された憲法第14条を持って来て適用し、 国籍法を違憲であるとしました。これは絶対に許せません。

私達の持っている武器

国民には裁判官を罷免する権利があります。それは憲法に根拠があります。

第15条
公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
「国民」とは言うまでもなく、国籍法によって日本国の国籍を付与された者を意味します。 人であれば誰でも持つ権利ではありません。

日本国の主権者は私達国民で、裁判官は法の番人に過ぎません。 その雇われ番人が、主人である我々に牙を剥いた訳ですから、 武器を取って戦いましょう。 次の国民審査で、法を改変・適用した裁判官を全員罷免しましょう。 端的に言って、今起きているのは司法によるテロです。

法の番人としての使命を忘れた裁判官に謹んで天罰を。

[2008/12/1]

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国籍法違憲判決の問題点
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