Tiger Uppercut!〜ある秋田人の咆哮

タイガー!タイガー!アッパカーッ! 秋田の歴史、文化、グルメ、時事、そしてステキな未来を書き下ろし!
決してはずさないオムライス
お客さまなどをお連れして食事するときというのは、
それなりに気を使うものだけれども、
決して外さない逸品がある。
それがこの「金谷洋食堂」のオムライス。







今までお連れした方々のすべてが満足していった。
あまりにも外さないので私もじっくり食べたみたが、たしかにumai!



ぜひ、昼も営業して欲しいなあ。





この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com

JUGEMテーマ:グルメ


| T U | 食べ物から | 01:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
県庁の星
「県庁の星」と入力しようとして「県庁のヒ素」と入力してしまった・・。
なんでなんだろう・・。

私の幼少時にとてもいい影響を与えてくれた近所に住む校長先生は、
酔うと、

「大きくなっていい女と一緒になっていい暮らしをしたいと思うなら
 公務員になれ!しかも教職が一番だ!」


と私の将来を案じて豪語していたが、
私は幼少ながらそれだけは絶対間違っていると思っていた。
しかし、その前の時代の日本を生きてきた校長先生から見れば、
それが唯一の正解なのであり、
その後の時代をこれから成長しようとしている私から見れば、
そう思うのもまた正解だっただろう。

まあさすがに自分の母親を「いい女」だとは到底思えないが、
そこを割り引いたとはしても、
不安定きわまりない自営業とはいえども小さな建築業を営み、
時代に乗って勢いのある親父の方が、
子どもの私には比べようもないほど自由で自立していて、
要するに魅力的に映ったのだ。

そういう生い立ちなものだから、
どうも役人を大したことない、と思ってしまいがちだ。
私だけでなく、戦後、特に高度経済成長以降に生まれた者なら、
多かれ少なかれそういう傾向はあるんじゃないでしょうか。

これは別に悪いことではなく、
大げさに言えば、集団の成長に対する古代アジア的な悪癖(儒教)から、
日本だけがいち早く抜け出し、
経済的な大躍進をすることになった理由の一つではないかと思えるし、
これからの日本の、
しかも局地的な未来(=秋田の未来)を考えても実に小気味のいい風潮だと思う。

しかし、だ。
私もこの年になって、
多くの役人の方とふれあう機会があるが、
私の周辺だけたまたまなのかも知れませんが素晴らしい!
と思う役人がとても多い。



「役人こうあるべき!」という理想の役人像があるでしょうが、
実にそういうことを感じさせる人がいるのだ。
そういう人は、国の宝なのだ。
ぜひとも秋田の未来を創る要職に就いてもらいたいと思う。

最近、一緒に仕事したことがある役人の方がいますが、
ほんとすごいんですその人!
私と同じくらいの年齢ながら、その聡明さは、私がスッポンだとすれば、まさに月!
あまりにすごくて口に出してしまいたいほど!
県庁のJ.Nさん、アナタほんとすげ〜〜〜!!!



こういうことを考えると、秋田はまだ戦えると思ってしまいます。
俺も火の玉になるぞ〜!!!





この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com

JUGEMテーマ:地域/ローカル


| T U | 秋田についてもろもろ | 01:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
嶋田ハムでメシが食えるとは
大曲に行ったときに、嶋田ハムのお店を発見。
嶋田ハムとはumaiハムを作ることで全国的にも有名なお店だ。
よく見ると店内にレストランがあり、メシが食えるらしい。

これはチャンスとばかりに電撃的にin!
しかし名店のわりにはあまり流行っている風ではなく、
私の他にはひどくなまっている女が二人でメシを食っているだけ。



ここのソーセージは本当にumaiのだ。
なんでも無添加でソーセージを作れるのは全国でも数少ないらしい。
たしか「美味しんぼ」でもネタになっていた気がするけど気のせいだっけか?
かつては秋田市内では本金西武の地下でしか売っていなかった。


プリップリしています


やっぱりここに来たらハムだよね


くさみがなくジューシーである

丁寧な仕込みのなせる技なんだろうなあ。
なまっている女たちも満足そうに食している。
大曲の女なまりは聞いてて心地いい。
言い忘れてましたがこの大いになまって肉を食している若い女たちは、
とても美しい秋田美人なのです。
秋田にはどこに行っても美人がいるんです。
特にこの雄物川の中流域から上流にかけては宝庫といえます。
理由は以前書いたとおりです。
  →「秋田美人考 〜秋田美人と水戸のブス」
うらやましいでしょう県外のみなさん。

とてもumaiソーセージ&ハムだったのだけれども、
やっぱりBeerがなければ満足いかないな。
うん、次回は飲む態勢で来なければ。





この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com

JUGEMテーマ:グルメ


| T U | 食べ物から | 01:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
信州そば
信州に来たのだから食すものはおのずと決まっている。
もちろん、信州そばだ。

私はそばには無頓着な秋田人の一人なのだが、
カミさんの実家が山形のそばの有名なところなので、
上質なそばを食べる機会に恵まれ、
味などもだいたいわかるようになってきた。

ここ信州は、現代のそばのスタイル「そば切り」の元祖、発祥地なのだ。
それまでは日本の各地では、そばの実は製粉後に餅状にして食べられていた。
それをうどんやパスタのように線状に切って、
つゆと絡めて食べるという現代のスタイルの産みだしたのがここ信州。
そばの元祖は信州と言っても間違いではない。
今でも生産量は日本一だ。
ということで、観光案内所の方に隠れた名店を聞いて行ってみました。


なんと松本城の目の前の店!全然隠れてねーじゃないか!超目立つ!





まずはお店一押しのます寿司を。
なんでこの山奥で鱒なのかと思ったけどもorder。
魚も海からここまで遡ってくるにはそうとうやせ細っているだろうし・・。
まあやはり、あまり美味しいとはいえない味でした。
でも握り方は上手でしたね。

そして待ってました元祖信州そば!







それなりに美味しかったのだけども、
やっぱりちょっと私にはあまりにももそらもそらでぐ感じるんですよね。
つなぎが多いからなんだろうなあ。
それが信州そばの特徴なんだろうけどもね。
やはりコシがあって喉ごしが良くて、そしてそばは香りが命ですね。
その点では、来迎寺在来種のそば粉100%で打ったそばには到底かなわない。

「そば」では、山形のそばに軍配!






この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com

JUGEMテーマ:旅行


| T U | 旅から | 01:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
信濃国の首府へ
高い山地のシワを縫って松本平に列車は到着。
ここまで来ると周囲の山々は3,000m級だ。
もう圧巻としかいいようがない。

ここの松本平という平地はこの辺ではわりと広大なものらしく、
善光寺平(川中島、今の長野市)と同様に古くから栄えた地域だ。
諏訪は南寄り、長野は北寄りにあることもあってか、
中心に位置するこの松本平に信濃国の国府が置かれたのだ。
それから廃藩置県で長野県となるまで、
信濃国の首都は名実ともにこの松本だったのだ。
当時は深志と呼んだらしいが。

信濃源氏の小笠原氏がこの地に長らく君臨し、
頼朝以後は、その流れを汲むものたちが多く秋田にも下向した。
矢島の大井氏、仁賀保氏、打越氏、小助川氏、赤尾津氏、羽川氏などの
由利十二頭といわれる秋田に割拠した小豪族たちも、
もとは信州小笠原源氏を祖とするといわれている。

それほど、一級品の自然と歴史に恵まれた街でもあるのだ。


やはり松本も雨だった・・

松本城まで歩くまで、雨の街中を歩きましたが、
とてもこぎれいに整備されていて、気持ちがいい、美しい街でした。
とても人口が20万人そこそこの街だとは思えないエネルギーを感じました。
やはり観光客が多く訪れる街だからだろうか。
観光の目玉はもちろん、国宝・松本城。


まぎれもない国宝の城郭なのです

現在、日本には松本城、犬山城、彦根城、姫路城の4つの国宝がありますが、
私は初国宝です。
いつも長曽我部の岡豊城とか南部の三戸城などの、
シブい山城を見て歩くことが多いのですが、
そういった城とはまったく趣が違います。

なにしろ建物がそのまま残っているんですから。

必然、その城の背景や歴史的なものよりも、城自体に興味が行ってしまいます。









当時そのままの城郭が目の前にあるのです。
戦国末期にタイムスリップしたような感覚になれます。
そして内部。


ここから銃や弓を射て城に接近する部隊を倒したのです







武者溜まりです。
籠城戦の際にはここに何人もの武士が詰めて、
もはや風前の灯火である命のやり取りを行ったのです。

まあどこの城郭にもあるものではありますが、やはり本物感が違います。
武者溜まりなどは、身震いしました。





外観もほれぼれするほど立派ですよねえ・・。
街の真ん中に国宝があるんですからすごいことですよね・・。

でも、市民の城に対する気持ちというのは、それほどには感じなかった。
会津や熊本なら、強烈な市民の誇り、一体感を感じるのだけれど。
これはやはりこの城が、
「城を枕に」という過酷な籠城戦を経験していないからなんだろうと思う。
まあそれほど戦禍に巻き込まれていない街だということもいえるでしょう。

松本市。
素晴らしい街ですね。
すべて一級品の自然と歴史と。
それでいて学力水準も超高いという伝統。
いろんな一級のものが一体となっている感じがします。

信州に行ってみてわかったのは、
やはり我々の「秋田」はよほど分が悪いということ。
田舎に住みたいと志向する東京人なら、まず信州を思い浮かべると思う。

私はあまりそうは思わない方だけども、
秋田を「自然」というキーワードで全国にアピールしようとする場合、
うーん、これはちょっと簡単にはいかないですぜ。
よほどの作戦が必要です。





この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com

JUGEMテーマ:旅行


| T U | 旅から | 01:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
諏訪大社
信州は、山深いわりにはかなり古くからひらけた土地だったらしい。
この山の王国には古くから文明を持った人が住んでいて、
天孫族(今の皇室)が日本に来たときにはもうしっかりした勢力だったとも。
結果的に新勢力である天孫族に屈してしまい、
この地に封じられてしまったわけだが、その人々を「諏訪神族」というらしい。
いずれ、出雲と同じく日本の先住民といったところか。


そのとても古い歴史と伝統のある諏訪大社へ







立派な神社なんだけども、
その割にはこの神社には春日大社や太宰府のような
「農耕民のにおい」があまり感じられない。
深い山で実際に米が取れない地域だということもあるかもしれないが、
なんか「縄文の荒々しさ」のノリがあるような気がしてしまう。

それはこの諏訪大社での有名な奇祭からも感じられる。
7年に一度、催される御柱祭。
急峻な坂の上からこのでかい御柱を大男たちが逆落としのするのである。
この映像をyoutubeなどで見ていただければ一目瞭然だが、
必ず死人が出るという。


これがその祭りに使われる一宮の御柱

私も以前、テレビで見たことがあるがほんとに凄まじかった。
端からみるととてもあほらしいことにも見えるんだけども、
それに命を賭けてやるあたり、そして実際に死人を出しても中止しないあたり、
この周辺にすむ人々の積年の鬱屈や怨念を感じてしまう。
この縄文の森に突き刺さった「御柱」。



次回もまた人の血を吸うのだろう。



この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com

JUGEMテーマ:旅行


| T U | 旅から | 01:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
諏訪下車
松本経由で東京に帰るということで、諏訪で途中下車。
甲府から高い山の狭隘な隙間を電車がゴトゴト走る。
ここまで来ればもうどこを見ても山なのだ。
この壮観は、正直、私のような海と大河と平野に住む秋田人には、
少々息苦しく感じる。
東北の山とは全然違うのだ。
山がまとまってこちらに迫ってくる感じがある。

それにしても、どこを見ても2,000m級のすごい山々なのだ。
それもそのはず、ここは日本のフォッサマグナ(大地溝帯)と言われ、
山の本場なのだ。
平地はわずかしかなく、たまにある平地(松本平、善光寺平)でさえも、
山と山のあいだの「シワ」って感じなのだ。
その無数の小さな「シワ」の中でも、
この諏訪湖周辺は古来から、
山岳小都市群のオアシス国家のような役割をしていたのかもしれない。
湖というよりは「大きな水たまり」のような湖だ。


しかしどこに行っても雨で腹立たしい


晴れていれば湖面に周りの山々が見えたのだろうか

16世紀の中頃、領土拡大を図る武田軍はまずこの諏訪に襲いかかった。
強大な軍事力で諏訪氏を滅ぼし、しかも非道にもその娘を側室に入れた。
その絶世の美しいを娘を湖衣姫といったのだが、
彼女と信玄のあいだに生まれたのが、諏訪四郎。
要するに、武田勝頼だ。
後に、四男だが武田の家督を継いだ。
武田氏に滅亡させられた諏訪氏だが、
結局、武田は諏訪の血が乗っ取ったのだ。

イングランドとスコットランドの争いを描いた映画「ブレイブハート」を思い出すね。
湖衣姫の顔がソフィー・マルソーに見えてきた。


湖畔の銅像を湖衣姫と思って近寄るや、八重垣姫という人の銅像だった・・

それにしてもこの湖はなんか女性的だ。
湖衣姫に八重垣姫に熊ぇり・・。
おっと、そうだった。
あの熊ぇりも諏訪なのだ。
時間があればあの「熊ぇり」を偲ばせる遺跡にも触れてみたかったのだが、
それはさすがに時間がない。






この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com

JUGEMテーマ:旅行


| T U | 旅から | 01:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
甲斐の夜
実は甲府には大学時代の友人が住んでいて、
彼に久しぶりに会いたい、というのも甲府に来てみた理由の一つだったのだが、
いっこうに連絡がとれずあえずじまい・・。
おかげで甲府の夜を案内させようという作戦は崩壊。
まあしょうがないか。
10年ぶりのわりには急だったしね。
観光案内所のおにいさんに紹介してもらった安心の店に何件か歩きながら行く。


甲府の駅前はご多分にもれずにとても寂しい


商店街も夜の花柳街もやっぱり寂しい

以前、京都で会った甲府の企業経営者が、

「甲府は東京に近すぎる。だから流出がとんでもなく激しい」

と言っていたことを思い出した。
東京に吸い上げられているのは秋田だけではないってことだ。
当たり前のことだけども。


まずは甲斐地鶏でオレ乾杯!


立派な焼き鳥です

名物らしいですが、いまいちインパクトに欠けました。
まあどこにでもある焼鳥ですね。
でもBeerの相手にはgood!


イノブタの卵とじ

これも山の国らしいmenuなのでorderしてみました。
あまりumaiものではなかったけども、
ちょっと甲州に来た雰囲気になりました。
なにしろここは昼にはどどーんと南の方角に富士山が見えるのだ。
そんな山深いところだからイノブタを食べるなんていうのも当たり前か。
ちなみに秋田の山にイノシシは出ません。


地酒の吟醸酒「大冠」この酒はumaiかった!


そしてこれも名物「煮貝」

なんで海のない山の国甲州の名産が「あわび」なのか。
江戸時代、駿河湾でとれたあわびを煮て運んだのが始まりなんだとか。
当時はそうとうな高価なものだったらしい。
山の人々の海への憧れの強さ感じます。

腹ごなしにまたぶらぶらと甲府城などを歩き、〆には別のほうとう屋へ。
なんでもつけ麺みたいにして食べるスタイルなんだそう。


これが当世流行のつけ麺ほうとう


閉店のところを無理ってなんとか食べさせてもらいました

でも、やっぱり〆に食べるものではないな。
なんとなく、夜の食に関しては名産のインパクトに欠ける気がしました。
居酒屋のメニューに独自性が薄いのです。
どの店も。

武田信玄は甲斐の物成りの悪さを嘆いて、
他国(手はじめに諏訪、信濃)に侵攻したらしいですが、
なんとなくわかる気がします。



こういう何もない国の人たちが、それを自覚し、腹をくくった時、強い力になるのだ。
事実、そのエネルギーの代表である武田信玄をSTOPできたのは病だけだった。
あの上杉謙信でさえも彼らを一時停止させた程度であるに過ぎない。

現代の秋田人もまずそこを自覚するべきだと思う。





この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com

JUGEMテーマ:旅行


| T U | 旅から | 13:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
竜馬の女
私は決して坂本竜馬嫌いではないのだけども、
竜馬があんなに女にモテモテだったたというのは、
司馬遼太郎の創り出した虚構だと思っている。
新聞紙上で、まだ小説家としては駆け出しの著者が人気を博すためには、
主人公の色恋沙汰も重要だったはず。
私は「竜馬がゆく」を読むときに、そこらへんがつい鼻についてしまうのだけど、
でも、まだまだ娯楽の少ない時代。
モテモテの竜馬像を創り出すのも仕方のないことだと思う。



しかし、そうは言ってもどうしても動かせない色恋沙汰の事実が二つある。
まず正妻のおりょう。
これはれっきとした夫婦なので竜馬とおりょうの関係は間違いない。

そして、もう一人が千葉佐那子だ。
この女性も竜馬を想う女だったことがハッキリしている。
しかし、相思相愛だったのかは少し疑わしい。

佐那子さんは江戸の北辰一刀流・千葉道場の娘として生まれた。
そこに、剣術生として習いに来ていた竜馬を好きになったのだ。
婚約者だったと自称している。
しかし、当の竜馬は別の女と結婚してしまい、そして死んでしまった。
佐那子さんの言っている婚約者だというのが事実だとすれば、
竜馬は二股かけていたことになる。
しかも東京と京都で二股だ。
なんてウラヤマシ・・、いやいや、なんてイヤなヤツなんだろう・・。

それはいいとして、佐那子さんが凄まじいのは、
竜馬死後も婚約者を貫き通して、貞節を守り抜き、生涯独身を通したことだ。
生活のために針灸を生業としてまで、
貧困にまみれてもあえて「婚約者」を貫いた。
現代と違い、女が一人で生きていくことがとても難しい時代のことである。

本妻のおりょうは竜馬死後、一度竜馬の実家に入ったがすぐに出奔。
転々として横須賀で西村さんという商人と再婚。
晩年はアル中で、酔っては竜馬の妻であるという自慢と、
佐那子に対する悪口を極めていたという。

佐那子さんは、竜馬やおりょうについて世間に何も語らず、
ただ「私は坂本竜馬の許婚でした」とだけ言い残し、凛として清潔に生涯を送った。
さすが武家の女だと、さわやかな感銘をうける。

その最晩年。
身寄りがなく無縁仏になるところを、
小田切謙明という親切な自由民権運動家にようやく説得されて、
小田切家に引き取られ、そこで3年を過ごして鬼籍に入ったという。
ということで、佐那子の墓は小田切家の墓所にある、
ということを司馬遼太郎のなんかの本で読んだ記憶がある。

武田神社の帰り道。
「小田切商店」「小田切電気」などの看板がいくつも目に入り、
表札なども「小田切」という苗字が多くなって、電撃的に思い出した。



「小田切謙明というのはもしかして甲府の人なのでは!?」

さっそく、携帯からgoogle検索!
やはりその通りで、墓所も近くにあるらしい。
携帯で検索したmapを見ながらふらりと現地に立ち寄ってみる。


不思議なことに引きつけられるようにして突如ここまで来てしまったのだ


「千葉さな子墓」と確かに書いてあります


その墓石の裏には「坂本竜馬室」と・・

死しても許婚を貫いてるんです。
成就できなかった恋なだけに切ないですね。
いろんな思いにふけって合掌しているときに、


ふっと後ろに気配を感じて振り返ったら猫でした・・


佐那子さんのような感じのお行儀の良い猫でした

竜馬も女を見る眼がねえよなあ。





この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com

JUGEMテーマ:旅行


| T U | 旅から | 01:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
武田神社へ
せっかく甲府に行ったのだから「ほうとう」と「武田神社」は欠かせない。
神社とはいうものの、
ここは躑躅ガ崎館という武田軍の拠点のあったところなのだ。

戦国時代よりもずっと早くからこのあたりは発展したせいか、
日本一の武田軍団には防衛戦に威力を発揮する山城や、
当時の小田原城のような大規模な籠城戦ができる城塞はないのだ。
その代わりにこの中世的な居館があるだけだ。
もっとも、ここが戦場になることは一度もなかった。
武田軍は常に敵の領域で戦うという常勝軍だったのだから。


駅から歩いて30分ほどの丘にある武田神社


この鳥居がいわゆる大手門だった

堀は当初から一重しかなかったという。
この薄い防衛ラインのかわりになのか、
この居館のまわりにはびっしりと武田軍の中枢の武将の家々が並ぶ。
板垣、山県、馬場、穴山、真田などなど・・。

「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり」

とは武田信玄の言葉だ。
なるほどね。


さすが武田神社。いたるところに風林火山があります

「其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山」

これは中国の春秋時代の兵法家、孫子がオリジナルです。


川中島の際に奪ってきたという上杉の軍旗

武田信玄の最大のライバルは上杉謙信です。
私はこの軍旗をみて戦慄しました。
なにしろ、その当時は私は「天と地と」を読んでいたのです。
自ら毘沙門天の化身だという上杉謙信。
以前、米沢の上杉神社で、
謙信の書いた達筆の信玄の弾劾状「武田信玄悪行の事」を読んだことがあるが、
さすが、この世を糺すためにこの世に生まれてきた毘沙門天だけあって、
ものすごい、鬼気迫るような敵対心が感じられた。

しかし、武田神社からはそういうものは感じられない。
武田側は越後勢ほどは、両者の戦いに固執してなかったように思える。
事実、上杉謙信は川中島では常に決戦するための戦術を用いたが、
武田信玄は決してそうではなかった。
川中島では常にイーブンを狙って、「負けない戦い」を志向していたかのよう。
軍人としては上杉謙信の方が上だと思うが、
軍事も含めたリーダーとしては武田信玄の方が一枚上のように思う。



が、どうなんだろう。





この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com

JUGEMテーマ:旅行


| T U | 旅から | 01:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< December 2008 >>

このページの先頭へ