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犯罪に、意味は必要なのか? 消費者に、ニーズはあるのか?

中村 修治
有限会社ペーパーカンパニー 株式会社キナックスホールディングス 代表取締役社長
中村 修治/パーソナル
4.4
807
2008年11月30日 11:14

「年金テロ」かと大騒ぎした事件は、単なる過激なクレーマーの犯罪。ワイドショーでは、いろんなコメンテーターが、わけ知り顔で、いちいち推理していたが、全部、大外れ。
犯罪に「意味」は、そんなに必要なことなのだろうか?

年金問題を抱える厚労省のキャリア官僚を狙った犯行のため、事件発生当時からマスコミは、「年金テロ」と騒いだ。
案の定、警察OBや犯罪心理学者は、
「イデオロギーによる犯罪だ」とか、
組織犯罪の臭いがする」とか、
「厚労省の内部犯行だ」とか・・・。諸説飛び交った。
でも、結局のところは「統合失調症の疑いがある中年男の場当たり的犯行」であった。

気の毒にも亡くなった方々に「年金」「厚労省」という「意味」が付いていたので、過剰な解釈に繋がったのだとは思うが、「専門家=評論家」としては、間抜けな結果ではないだろうか?

視聴者が「年金テロ」であって欲しいとどこかで望んでいたから、
犯罪は、過剰に捉えた方が面白いから、
評論家は、その視聴率獲得のテレビの思惑に乗っただけにしか見えない。一体、どんな言い訳をするのだろう?

無差別に他人を殺したりする事件の多くは、
社会的意味なんてないと思う。
殺人を犯した本人を突き詰めて行っても、ろくなモノは出てこない。
「個人の闇」ばかりで、
そこに大きな社会的意味なんて、たぶんない。
犯罪を「格差社会」や「バーチャル社会」のせいだと、
いくら理由をつけても、それは、闇の根幹ではない。

正常な人間であるなら、社会的意味を背負うほどに、無差別に他人を殺す行動への躊躇は生まれる。だから大量無差別テロには、大きなイデオロギーが必要なのだ。


「個人の闇」に、小さな物語をつけて社会のせいにする。
「個人の闇」に、過剰な意味をもたせて魔女狩りをする。
その「小さな物語」や「過剰な意味」で紡がれる合理性が、
今を生きる「個人」の未来を明るくするものには思えない。
誰もが多かれ少なかれ抱えている「個人の闇」に、
それらしい理由をつけたところで、解消されるものではない。
それに社会的意味を付けたら、
「個人の闇」は、全部社会のせいになる。
憶測だけの無責任な犯人探しは、有害無益だ。



販促マーケティングの世界にも、同じようなことがある。
消費者ニーズの解説や分析=意味づけが、いつもしっくりこない。
賢い専門家の皆さんは、「消費者ニーズは、ある。」とおっしゃる。
「消費者の行動」には、
全部、物語があり、意味があると解説される。
前述の犯罪評論家と同じような気持ち悪さを感じる。

ニーズ=必要なモノなど、そこそこ、みんな手に入って・・・
ウォンツ=欲しいモノも、速攻では答えられない。
そんな成熟した社会の消費者のニーズウォンツは、