福山市新市町宮内の備後一宮・吉備津神社は、吉備高原の山懐に抱かれた壮麗な神社だ。ここで十一月二十日、百年に一度の大祭の鎮座千二百年祭が営まれ、昔の吉備の国と神社の深いつながりを印象付けられた。
祭りでは境内のイチョウの老木から黄葉が降り注ぐ中、大勢の神職による神事や舞の奉納が厳かに行われた。翌日から二十四日までは露店が並び、記念行事が続いて参拝客でにぎわった。
社伝によると、備中の吉備津神社(岡山市吉備津)から分かれ、八〇六(大同元)年に創建。主祭神は吉備津彦命(きびつひこのみこと)で、追林昌弘宮司は「吉備の国が備後、備中、備前に分かれた時にご分霊し、心のよりどころとしてまつってきた」と話す。吉備の絆(きずな)を守るためにできたのかもしれない。
備後一宮はその後、地域で信仰を集め、十三世紀の一遍上人絵伝に載り、十七世紀には初代福山城主水野勝成が、今の本殿(国重要文化財)を築いている。
今回の千二百年祭は境内整備の関係で節目の年より遅れたそうだが、その整備では昨年秋、犬、猿、キジを従えた桃太郎の石像も建てられ、岡山にいる錯覚になる。
備後には尾道市に、一宮(いっきゅう)神社の別名を持つ吉備津彦神社もある。毎年十一月初め、三鬼神が練る奇祭「尾道ベッチャー祭り」でにぎわう。
山陽新聞のエリアは、吉備の国と重なるところが多い。その歴史的な背景やつながりを大切にしながら、福山支社としては、備後と岡山の情報の橋渡しがもっとできればと思っている。
(福山支社・柏原康弘)