アホの背中



ひーちゃんは肌が白い。背中だって馬鹿みたいに白い。そして太陽の匂いがする。いい匂い。そして白い。
陶器のように滑らかで透き通るように白い。だけどただ白いだけじゃない。
その背中には、ちょうど両方の肩甲骨辺りに傷がある。ハの字型の傷。
「どうしたの?」と聞くと「天使業クビになっちゃったから羽根もぎ取られちゃったの。神様に」
なんて言うから一発殴ったら「バレー頑張りすぎて肺に穴開けちゃって」とカラカラ笑った。いくら大好きだからって穴開けるまで頑張るなんてアホだ。
その時は何となくノリで殴ってみたけれど改めて見てみると羽根を取られてしまった痕の様に見えないことも無い。
背中に羽根が生えているところを想像してみた。うん、中々様になっている。綺麗な後姿だ。
振り向いて・・・ダメだ、コイツが天使なんかになったらこの世は滅茶苦茶だ。その厭らしい顔で笑うのを止めろ。あーダメダメ。
アンタは悪魔の方がお似合いだよ。その白い肌が、お日様の匂いがする背中が勿体ない。

「うーん亜弥、重いぞー」

背中に顔を埋めてクンクンしてたらひーちゃんが声を出した。背中から響いてきてなんだかくすぐったい。
顎で背骨の辺りをグリグリしてやった。あたしが重いなんてなんて馬鹿な事を言うんだコイツは。
「あ゛あ゛あ゛あ゛」なんて変な声を出してひーちゃんはあたしを叩く。しょうがないので退いてやった。

「何すんだよいきなり」

「んーなんとなく?」

「なんとなくじゃねーべ、お前最近太ったろ」

カッチーン。側にあった枕を掴んで投げつける。ひーちゃんは顔面で枕をキャッチして倒れた。やった。
ひーちゃんは枕を引き剥がしてむっくり起き上がると枕を投げ返してきた。あたしは顔面なんかじゃなくちゃんと両手で受け止める。へへーんだ。

「もうお前出てけ」

ひーちゃんはしかめっ面をしてだるそうに言った。ちぇっ、何だよ冷たいな。

「ヤダ。だって暇だもん。相手してよ」

「お前が暇でも私は忙しいの。ほら、行った行った」

何が忙しいだよ。大して用事なんてないくせに。ばーかばーか。
ベッドの上でいつまでもグズってたらひーちゃんに落とされた。そしてしっしっと追いやられる。
なんだよ、つまんないの。

「じゃあまたねー」

しょうがないから出て行こう。バイバイと手を振るとひーちゃんは「もう二度と来るな」なんて冷たい言葉を言ってのけた。
ムカついたから思いっきりドアを閉めてやった。ばーか、ひーちゃんなんて大嫌いだ。
二度と来るな、なんて、あたしだって二度と来たくなんか無いよ。最近のひーちゃんは冷たいもん。ばーかばーか。
玄関で靴を穿いているとひーちゃんのお母さんが出てきた。あたしにとってはおばさんだ。

「あら、もう帰っちゃうの?」

「うん、ひーちゃんが出てけって言った」

「何あの子、亜弥ちゃんにそんな事言うの?あらーヤダわぁ」

「ううん、いいの。いつもの事だし」

あたしが言うとおばさんは申し訳なさそうに笑った。「お邪魔しました」と挨拶をして外に出る。
道路からひーちゃんの部屋が見える。窓開けっ放しだ。カーテンが風にヒラヒラ揺れている。そうだ。

「ひーちゃんのばーか!!!」

思いっきり叫んで走った。電柱の陰に隠れて様子を伺う。ホラ、出てきた。
サラサラの金髪頭を窓からヌッと突き出してキョロキョロしてる。馬鹿だコイツ。

「亜弥のアホー!!!」

「コラッ!!大きな声出さない!近所迷惑でしょ!!!」

親子は親子。2人とも馬鹿だ。その親戚に当たるあたしはどうなんだろう。まあいいか。
何だか気分が良くなってひーちゃんの家を後にした。


家に着いてから思い出した。そう言えばあたしは振られてしまったのだった。
長年の片想い、なんかじゃないけれど、結構大好きな奴に勇気を出して告白してみたらあっさりと振られてしまった。
本当にあっさりとしていて、なんだか笑いたい気分だった。けれどやっぱり笑えなくてそれでひーちゃんの家に行ったのだった。
そうだ、あたしは振られてしまったのだ。
なんとなく家の中に一人でいるのが嫌で、もう一度外に出た。
空は青い。太陽の光が眩しくてひーちゃんを思い出した。

一人でブラブラと歩いていると後ろから自転車のベルが聞こえた。チリンチリン。なんだよもう、貴方があたしを避けて行けばいいでしょう。
少しだけ脇に退いた。チリンチリン。自転車のベルはまだ鳴っている。なんだよもう、しつこいなぁ。あたしは立ち止まって振り向いた。

「ヘイヘイそこのお嬢さん、俺のジャガーが呼んでいる。一緒に海まで行かないか?」

「・・・どっから拾ってきたのそれ」

「ん?駅前」

振り向いたあたしの前にいたのはおんぼろのママチャリに跨ったひーちゃんだった。
「ジャガーって何よ、ただのママチャリじゃん」と馬鹿にすると「こいつの名前はジャガーだ。今命名した」とニヤニヤ笑ってベルを鳴らす。うるさいなぁもう。

「海までは行かないけどどっか行って」

「なんだよどっかって」

ひーちゃんは呆れたように笑う。
あたしは無視して後ろの荷台に跨った。腰に手を回して背中に顔をくっつける。
お日様が当たっていた背中はポカポカして暖かい。いい匂いがする。

「お前やっぱ重くなったよ」

失礼な事を言うので頭突きした。
「ぐへっ」とひーちゃんは変な声を出す。

「早くどっか行って」

「ヘイヘイ分かりやしたぁ」

おんぼろのママチャリはペダルを漕ぐたんびにギィギィ言う。それはおんぼろだからであって、決してあたしが重いわけじゃない。
ひーちゃんはさっきから黙ったまんま自転車を漕いでいる。あたしはひーちゃんの背中に頭をくっつけたまま流れる景色をぼんやり見てる。

「亜弥、なんかあった?」

暫くしてようやくひーちゃんが口を聞いた。背中から聞こえる声はごわごわしていてくすぐったい。
あたしは背中から頭を離してひーちゃんを見るけどひーちゃんは前を向いたまんま。

「別に何も?」

「・・・お前は嘘つくのが下手だよ」

ひーちゃんはずるい。
いつもはアホで馬鹿で変態で親父なクセに、こういう時に限ってなんだか真面目な事を言う。
それがムカつくし少し悔しい。しかもやたら声が優しいんだ。
いつもならそう、本当に悪魔のように嫌味な奴なのに天使みたく優しくなる。卑怯だ。
ズルイよ、泣いてしまいそうじゃないか。

「・・・振られちゃったよ、ひーちゃん」

涙がポロポロ溢れてきてひーちゃんの背中に顔を押し付けた。
心臓の音が聞こえる。ドクン、ドクン。何だよチクショウ悲しいなぁ。涙が止まらないよ。
ひーちゃんの背中は温かくて大きくてお日様の匂いがしてあたしはギュッと顔を押し付けた。

「お前背中に鼻水つけるなよ」

くそ、やっぱり嫌な奴だ。鼻水つけてやる。グリグリ。

「・・・ダイジョブだって、お前はスゲーいい女だよ」

「ひーちゃんに言われてもあんまり嬉しくない」

「何言ってんだ、恋愛大臣の私が言うんだから間違いないさ」

「何よ、恋愛大臣って」

ひーちゃんはあたしの質問には答えずに鼻歌を歌いだした。心なしか自転車の進むスピードが早くなってるような気がしなくもない。
あたしはひーちゃんの背中に抱きついた。過ぎていく風は冷たいけれどひーちゃんの背中は温かい。

「ひーちゃん」

「んー?」

「・・・ありがとうね」

「・・・おぅ、いいってことよ」

背中から聞こえてくる声はやっぱりごわごわしてくすぐったくて変な感じがしたけれど温かくて優しかった。
ひーちゃんは前を向いたままやっぱり鼻歌を歌っている。
別に振られた傷が癒されたわけじゃないけれど妙にスッキリしてあたしはひーちゃんの腰から手を離して両手を広げてみた。

「お前危ないよ」

「前見ろ!アンタが危ないよ!」

振り返ろうとするひーちゃんを制してあたしは首だけで振り向いて後ろを見た。
ホラ、天使だ。
前方に沈んでゆく太陽。その光が落とす影はひーちゃんの背中に羽根を作っていた。
ありがとうね、ひーちゃん。ジャガーは太陽に向かってグングン進んでいく。
背中に顔を押し付けて鼻をクンクンする。ひーちゃんの背中はやっぱり太陽の匂いがして鼻の奥がツンとなった。











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