のんとよっちゃんは動けない。固まったまま、その女の人を見てる。
両目をごしごしと擦ってふわぁと欠伸を一つ。キョロキョロと辺りを見回してパチッ。目が合った。

「お、おはよう?」

さすがよっちゃん。だてにのんよりちょっと多く生きてない。のんの口は縫い付けられたみたいにピクリとも動かない。
その女の人は軽く頭を振って、眉間に皺を寄せた。頭痛いのかな?

「んあー・・・ここ、ドコだ?」

まぁるく、柔らかい声でその人は言った。けれどその言葉にのんとよっちゃんは顔を見合わせてしまった。
その女の人は頭を両側からポンポン叩いたり、ブンブン振ったりしてる。

「自分の名前、分かる?」

よっちゃんは腰を下ろして、その人の目線に合わせる。普段は使わないような優しい優しい声。

「・・・なまえ・・・あなたはだれ?」

その人はよっちゃんを見て、次にのんを見て、そして空を睨んで目を閉じた。
うーだとかむーだとか唸ってる。よっちゃんはその人の肩をポンと叩いた。

「いいよ、分かった。大丈夫だよ」

その人は唸るのを止めると再び横になってしまった。
・・・もしかして?
のんもよっちゃんも同じ事、考えてるみたいだった。
よっちゃんが腰を上げる。その顔は真剣だ。さっきまで凄いビビってたくせに。

「・・・記憶喪失?」

「分からない。そうかも知れないし、違うかも知れない。とりあえずけいさ」

「だめ!!!」

よっちゃんの声でものんの声でもない誰かの声が響いてその場が凍りつく。
横になっていたはずの女の人が立ち上がって、肩で息をしていた。

「だめ、ケーサツは・・だめ・・・」

途切れ途切れに言葉を残して、そして崩れるようにして倒れた。
咄嗟によっちゃんが駆け寄って抱かかえ、大丈夫?と問いかけるけど、
その女の人はぐったりしたまま、尋常じゃないくらいに汗を掻いて、はぁはぁと荒い呼吸を繰り返すだけ。
のんはケータイを取り出した。

「救急車、呼んだほうが良いかな?」

「や、警察がダメって事は救急車もダメだよ、きっと」

よっちゃんは硬い顔をして言った。怖かった。
何だか、今、目の前で起こっている事が現実ではないような気がして思い切り目を瞑って手の甲を抓ってみた。
痛かった。目を開くとよっちゃんが知らない女の人を抱いている。
何だよこれ。泣いてしまいそうだった。

「辻、このタオル水で濡らしてきて」

よっちゃんからタオルを受け取って川に走る。なんでもない場所で転んで擦り剥いた。
擦り剥いた膝から薄っすらと血が滲む。あぁ、現実だ。夢でもなんでもない。現実なんだ。
濡らしたタオルをよっちゃんに手渡す。よっちゃんはそれを女の人の額に乗せた。
その人の顔を改めて見てみた。
女の人、なんて言ったけど実際そこまで大人ではないみたい。よっちゃんと変わらないくらいだ。
栗色の長い髪、大きな鼻。綺麗な人だ。
荒い呼吸は苦しそう。眉間に皺を寄せて辛そうだ。

「どうすんの?」

「・・・ねぇ、どうすんの?」

大きなよっちゃんの背中に問いかける。

「警察はダメ。救急車もきっとダメ。けどだからって置いていくわけにはいかないよ」

よっちゃんは背中を向けたまんまボソッと言った。
空を見た。真っ青だったはずの空に、いつの間にかうっすらとオレンジが差していた。

「・・・連れて帰るの?」

「そうかも」

「そうかもって何だよ!」

「じゃあなんだ、お前このまま放っておいていいのか!?」

「そんな事言ってないよ!!けど、けど・・・怖いよ・・・」

「・・・ごめん」

よっちゃんがギュってした。途端に我慢していた涙が溢れて止まらなくなった。
怖かったし、よっちゃんが怖かったし、イライラしてた。
よっちゃんに聞こえたかどうかは分からないけど、のんもゴメン。って言っておいた。よっちゃんは暖かい。
ギュってして、頭を撫でてもらって涙は止まった。

「ゴメンな、ちょっとパニくってた」

手を合わせるよっちゃんの足をガシガシ蹴ってやった。