夏の迷い人



夏休みなんて大嫌いだ。やっぱ嘘、大好きだ。だけど夏休みの宿題とか言う奴は死んでも良いと思う。
大体なんで高校生にもなって「宿題」なんて物があるんだ、という様な事を小さい頃から仲良しのよっちゃんに言ったら、
「お前は馬鹿だからしょうがないよ」と、もの凄く悲しそうな顔をして言われた。
よっちゃんはのんの事をバカだとか言うけど、よっちゃんも大して変わらないと思う。
のんの一つ上に亜弥ちゃんって人がいるんだけど、よっちゃんは亜弥ちゃんにいつもバカだとかアホだとか変態だとか言われて殴られてた。
のんはバカだとかアホだとか言われるけど、変態だなんて言われた事はないからよっちゃんよりはマシだと思ってその時は笑っておいた。
話が逸れちゃったな、そうだ、宿題だ。
夏休みは三日前くらいに終わっちゃった。のんは夏休みをエンジョイした。
よっちゃんとサッカーしたり亜弥ちゃんとお買い物に行ったり学校の友達と海に行ったり。
毎日が楽しくて、ずっと夏休みだったら良いのにな、なんて思ってた。
だからすっかり忘れてたんだ、宿題の事。
気がついたら秋の匂いがすぐ近くで香り始めてて、山のような宿題は部屋の隅に放り出されたまんま。
一ヶ月前と比べると随分黒くなった腕を組んでのんは考えた。この宿題、どうしよう。
2,3秒くらい考えたけど、どうしようも出来ないって事くらい最初から分かってた。だから何も手をつけずにそのまま始業式。
登校したら案の定、怒られた。これでもか!ってくらい、こってこてに絞られた。元から怖い顔のケメちゃんが怒ると半端無い。
だからのんは一週間でやってきます!なんて出来もしない事を約束してそそくさと職員室を後にしたんだ。

で、今。
のんは山のような宿題を目の前にして頭がパンクしそう。
もう、後五分もしたら耳の穴や鼻の穴からプスプス煙が出てきそうなくらいに。ショート寸前だ。
とりあえず一休みしようと思ってシャーペンを放り出した。カラカラ転がって机から落ちちゃったけど気にしない。
うーんと身体を伸ばしていると、音が聞こえた。コン、コン。腕を伸ばしたまま固まって、もう一度耳を澄ます。コン、コン。
やっぱり、空耳なんかじゃない。これは合図だ。勢いよく椅子から立ち上がって、コンコン鳴っていた窓を開ける。

「おーっす、のの」

右手を上げて左手はポケットに突っ込んで、金色の髪がキラキラ眩しいよっちゃんが立っていた。


のんは高校の部活でバレーボールをやってる。だけど最近はサボりがち。何でかって?それはよっちゃんのせいなんだ。
よっちゃんとのんは小さい頃から仲が良かった。
家が近かったから、一緒に遊んでたんだ(今はちょっと離れちゃったけどそれでもやっぱりよく遊んでる)
そんなよっちゃんは今大学一年生。小学校も中学校も高校だって一緒だった。
学校も一緒で、そして部活も一緒だった。一緒って言うかのんが真似してただけなんだけど。
そ、だから去年までのんとよっちゃんは一緒にバレーボールをやってたの。
よっちゃんはバレーがすんごい上手くて、きっとプロになるんだろうなって皆思ってた。のんだってそう思ってた。
だけどよっちゃんはバレーを辞めてしまった。
「何で辞めちゃったの?」ってのんが聞いたらよっちゃんはカッコよく笑って「他にやりたい事見つけたんだ」と言った。
それがフットサルだ。
のんはそれがスポーツだなんて知らなくて、よっちゃんに「今度試合やるから見に来い」って言われて見に行って、
そこで初めてフットサルというスポーツを知った。その瞬間、のんは一目惚れしてしまったんだ、そのフットサルに。
だって凄く楽しそうだった。
というかフットサルをしているよっちゃんがもの凄くカッコよかった。
そりゃ元から顔は良いし、バレーしてる時だってカッコよかったんだけど何かが違ってた。
フットサルをしている時のよっちゃんはカッコよくてキラキラしててもの凄く輝いてた。
だからその日の帰り、のんはよっちゃんに言った。「のんもフットサルやりたい」って。よっちゃんは快くOKしてくれた。
大学の友達とやっているらしくて、だからよっちゃんの友達なんて似たようなものだ。 のんはすぐに皆と仲良くなって、練習にもいっぱい参加した。
そのおかげでどんどん上手になって今は『ゴレイロ』っていう、サッカーでいうとゴールキーパーポジションの二番手だ。
レギュラーにはまだなれてない。だけど時々試合に出してもらえる。皆と一緒に戦うのが楽しい。
だから早くレギュラーになりたいんだ。そんな訳で今はバレーボールよりフットサルなんだ。
そして宿題なんかより、よっちゃんなんだ。

「何かよーおー?」

「おー、遊ぼうぜー!!」

外、窓の下でニコニコ笑うよっちゃん。
困った。ヒジョーに困った。
遊びには行きたい。もの凄く。だけどどうしようか、この宿題。
ケメちゃんに一週間で終わらせるって約束しちゃったんだ。その一週間まで今日を入れて後四日。
宿題はまだ半分も終わってない。っていうか全然終わってない。
困ってしまって黙ったまんまののんによっちゃんは下から大きな声で話しかけてくる。

「どしたぁ?何か変なもん食べた?どーせアイスの食べすぎなんだろー!」

ケラケラケラ。笑い声がムカつく。
よっちゃんのバカ。大きな声でそんな事言うな。恥ずかしいよ。

「遊びたいけど遊べないよー」

のんの声は泣きそうだった。よっちゃんは大きな目を更に大きくして「何で!!」って叫んでる。
二階から目薬を差しても大丈夫そうだ。国語の問題集を閉じる。
ご近所さんに丸聞こえな大きい声で話すのは恥ずかしかったので、部屋に上がってもらって事情を説明した。

「お前やっぱりアホだな」

よっちゃんは問題集をくるっと丸めてのんの頭をポコポコ叩く。お返しにスネを蹴ってやった。

「っつ!!!い、いいじゃん、とりあえず遊ぼうぜ」

よっちゃんはスネを押さえて目に涙を浮かべてる。はは、良い気味だ。

「お前覚えてる?十日後試合だよ?」

その言葉でのんの頭から「宿題」の二文字は吹っ飛んでいった。代わりに入ってきたのは「試合」の二文字。

「よし、よっちゃん行くよ!」

「お?おう!それでこそのの!!」

俄然元気になったのんはよっちゃんを後ろに連れてドカドカと階段を下りる。
玄関を出る前にお母さんが「宿題は?」と聞いてきたけれど「今はそれどころじゃないんだ」と深刻ぶって答えると、
お母さんは真面目な顔で「何があったのか知らないけど応援してるわ」と言ってくれた。
ほんと、のんのお母さんがこの人で良かった。家を出た瞬間、よっちゃんが爆笑したので殴った。
のんのお母さんをバカにする奴は罰を食らうのだ。

外にはよっちゃんの自転車が止めてあった。カゴの中にはフットサル用のボール。

「今日どっち?」

「んー、河川敷行こう。今日は公園人多いよ」

のん達はいつも近くの公園かちょっと離れた河川敷で練習する。
公園は広いけど人がいっぱいいるからのんはあまり好きじゃない。
比べて河川敷はちょっと遠いけど人はいないし、ちょっとした隠れ家みたいで、のんとよっちゃんはお気に入りだ。
それにちょっと遠いなんていうけど自転車漕ぐのはいつもよっちゃんなんだ。

「ののよー、お前ちょっとは先輩を労われよー」

よっちゃんは毎回ブツブツ言うけど結局は「ちゃんとつかまってんだぞ?」って言ってペダルを漕いでくれる。そんなトコが好き。


夏休みは終わってしまったけどまだまだ夏だ。真上から照らす太陽はジリジリ暑い。
よっちゃんはさっきからずっとあぢーあぢーと言っている。それでもギィギィペダルを漕いで自転車は進んでく。

「お前最近部活出てないんだってな」

住宅地を抜けて川へと向かう長い下り坂を下りながらよっちゃんは言った。

「なんで知ってんの」

「ん?亜弥が言ってた」

ちくしょう亜弥ちゃんめ。そいうや亜弥ちゃんとよっちゃんは従姉妹同士だったっけ。
亜弥ちゃんはバスケ部のクセにちょくちょくバレー部に顔を出してくる。そのせいかな?

「ちゃんと部活出なきゃダメだろ」

よっちゃんは前を見たまま言った。そんな背中にべったり張り付く。
あっついから離れろ、なんて言葉は無視。

「今はフットサルが楽しいもん」

そう言うとよっちゃんは暫く黙って、やがて小さな声で「次、勝とうな」と言った。
何だか元気が無い感じだったので思いっきり背中を叩いてやった。自転車がグラグラ揺れて転びそうになる。

「当たり前じゃん、勝つよ!!」

のんは大きな声で言った。何とかバランスを持ち直した自転車のハンドルを握ってよっちゃんも、おう!と力強く言った。
下り坂、スピードはどんどん上がってく。過ぎてく風が心地好かった。