
寒い冬が終わり、春。三月。
新垣は一人で道を歩く。隣りには誰もいない。
先日、卒業式が行われた。新垣と仲の良かった三人が卒業していった。
藤本、吉澤、後藤。
後藤は医大へ進学。吉澤も芸大へ。藤本は北海道へ行く。
新垣は一人で道を歩く。彼女達がいない通学路にももう慣れた。それでもやはり少し寂しい。
「がーきーさーん!おっハロー!」
「あ、松浦さん」
「あ・や・や!」
なんの前触れも無く突然電柱の影から現れた松浦は猿の様な顔を膨らます。新垣はそれを見て笑った。
いつも吉澤と合流していた地点。吉澤はもういないが松浦がいる。
新垣と松浦は二人並んで歩き出す。
「・・・吉澤さん、元気にしてますか?」
「ん、ひーちゃん?元気だよ、ウザいくらい」
松浦は綺麗なソプラノで笑ってみせる。その笑顔にちょっと嫉妬した。
あぁ、会いたいな。吉澤さんに。
「藤本さんは?元気?」
今度は松浦が聞いてくる。
新垣は一瞬だけ息を止めて、それから笑顔と共に言葉を吐き出した。
「うん、元気ですよ」
松浦はそっか、良かったと笑うと鼻歌を歌い出した。
良かった、上手く笑えていたようだ。
松浦の後を追う。
短いスカートから伸びる真っ白な足が眩しい。そういや吉澤さんも真っ白だった。
「なぁにぃ、がきさんったらイヤらしい」
松浦におでこをはたかれて我に返る。
松浦は体をくねらせてスカートを押さえてみせる。
「そんなガン見しなくてもパンツの色くらい教えてあげるよ!」
爽やかな声で笑う松浦は吉澤の従姉妹。どこか頭がおかしい。
新垣は呆れたように息を吐くと松浦を置いて先に歩き出した。
今日は終業式。
親友である加護とは途中で別れ、新垣は一人で道を歩く。隣りには誰もいない。
いつも回りにいた年上の彼女達は三年生じゃなくなってそれぞれの道へ。自分も今、一年生を終えた。
道端に転がっていた小さな石ころを蹴飛ばしながら家路を辿る。
正午前の今、太陽の光は柔らかく吹く風は心地良い。
どこかで犬が鳴いている。なんだか心が弾んで鼻歌を歌った。
そう言えばよく吉澤さんも歌ってた。何言ってるか全然分かんなかったけど楽しかったなぁ。
目の前を白い猫がのんびりと横切って行く。
あぁ、後藤さん。今何してるだろう。ふにゃふにゃした笑顔をまた見たいな。
電信柱を通り過ぎる。
もっさんに突き飛ばされてよくぶつかってたっけなぁ。
自分よく生きてるよ。頑丈なmy額に感謝感激雨霰だ。
おでこをそっとさする。
鳥が歌って顔を上げた。あぁ、眩しい。
白っぽい空に目を細めて笑う。長く、大きな息を吐いた。
終業式、終わっちゃったよ。
三日後に、藤本は北の大地へ旅立つ。
「おかえりがきさん」
家のドアを開けて自分を出迎えたのは母親ではなく藤本だった。
隣りの藤本家の前には大きなトラック。2、3人の大の大人達がテキパキと動いている。
「おい豆がき、美貴がおかえり言ってるのに無視か」
「ぅえっ!?あ、あぁ、ただいま?」
「っぷ、へんながきさん」
藤本は楽しそうに笑うと顔を引っ込めた。それに続いて新垣も自宅へ入る。
「あら、おかえり」
リビングでは母親が優雅にお茶を飲んでいた。
きっと藤本も一緒だったのだろう、その向かいには空になったカップが置いてある。
「ん、ただいま」
いつものようにソファの上へ鞄を投げると「ぎゃ」と声が聞こえてきた。
首をかしげる新垣の顔面に投げた鞄が舞い戻ってくる。
「ぎゃ」と声を上げて新垣は倒れた。
いつの間にいたのだろうか、ソファから藤本が額を擦りながら起き上がってきて、倒れている新垣のおでこを弾いた。
「美貴に声あげさせるなんて、成長したなお前」
「あ、ありがとうございます」
見上げる藤本の笑顔は涙でぼやけて見えた。
その後昼食を共にし、新垣の部屋で二人はまったりとくつろぐ。
藤本はベッドの上で胡座を掻いて窓から『元』自分の部屋を見ている。
「もう終わりだな」
「へ?」
「夜中にこの窓ガラスが鳴る事はもう無い」
「あ?はぁ、そうですねぇ」
「寂しい?」
「・・・分かってるくせに」
新垣が拗ねたように呟くと藤本はカラカラと声を上げて笑った。
藤本は今、旅立つその日まで、という条件で新垣家で共に生活をしている。
新垣としてはそれは嬉しい事であったし、しかしそれと同時に寂しい事でもあった。
一緒に生活ができるのは良い。朝から晩までずっと近くに藤本がいる。
けれどその分、ずっと近くにいる分、別れが辛くなる。
新垣は複雑な思いをずっと抱えていた。しかしそれももうこれまでだ。
彼女は三日後に旅立つ。
「もっさん」
「なんだ?」
「・・・電車、何時でしたっけ?」
「一時。つーか何回も言ってるでしょ、いい加減覚えとけ馬鹿がき」
枕が飛んできて顔面でキャッチした。笑い声が上がって、新垣は倒れた。
覚えているよ、そんな事くらい。忘れる訳が無いじゃないか。
だってもう後三日なんだ。72時間だ。そしたらいなくなってしまうんだもの。
何かお話をしていたいんだ。でもだけどこんな時に何を話したら良い?
私は頭が悪いからそんな事解らないよ。どうしたらいいのよ。
「がきさんさぁ」
「はい?」
「・・・もっと普通にしてようよ。なんか最近のこの雰囲気が嫌だ」
「ふんいき?」
「なんてゆーかお別れモードになってるでしょ。それが美貴は嫌」
「はぁ」
「いつも通りでいいの!なんだよ、一人で勝手にしんみりしやがって。マジつまらん」
藤本はベッドをバシバシ叩きながら言う。それは怒っているようにも嘆いているようにも見える。
新垣はどうすればいいのか解らず曖昧に笑ってみせた。すると藤本が跳ねた。
ベッドの上から勢いよく飛び出し、新垣を巻き添えにして床の上へドタンバタンと激しく落ちた。
「おぉ、痛い」
肘を擦りながら藤本は顔をしかめる。その傍らで新垣は白目を剥いて悶絶していた。
けらけらと笑い声が上がって起こされた。
涙目で見上げるそこには腰に手を当てて仁王立ちする藤本美貴嬢。ふははははと不敵に笑う。
「どうだ、まいったか」
「は、はぁ、恐れ入りました」
床に平伏す新垣の頭上で藤本は高らかに笑ってみせた。
楽しい時間というのはあっという間に過ぎていく物である。
藤本と過ごす最後の三日間はあっと言う間もなく過ぎ、旅立ちの日。
藤本と新垣は駅に来ていた。
沢山の人がごった返す駅のホームで二人の回りだけはどこか異質な空気が流れている。
藤本の荷物は少なかった。大抵の物は先に送ってしまったそうだ。
肩から鞄を下げ腕を組むその姿はとても旅立っていく人の格好には見えない。
けれど彼女は行く。
この町を離れ遥か遠い北の大地へ。
新垣の母が運転する車で駅までやって来た二人。
車内では軽口が飛び交っていたものの、今現在、お互いの口数は少ない。というか無言。
二人共黙ったままただ立っている。
通り過ぎる人達がたまに視線を寄越すが藤本の視線に気圧され足早に去って行く。
二人は黙ったまま立っている。
「おーい!ミッキティー!!」
がやがやと騒がしい駅に聞き覚えのある声。
二人同時に声の方へ振り返る。
「ひーちゃんだよぅ!!」
体は大人、中身は子供、頭はエロフィスな変態がちぎれんばかりに腕を振っていた。
「・・・もうすぐ時間ですね」
「ん、そうだね」
見なかった事にして口を開くと、藤本も同じ事を考えていたのか変態から視線を逸らして頷く。
「ちょっと、ちょっとちょぐふっ」
「ぱくるな!」
振り向きざまに突き出された藤本直伝の正拳はみぞおちを強襲。
変態は新垣の足下に崩れ落ちた。
「・・・もうそろそろですね」
「あぁ、そうみたいだ」
藤本は一瞬だけ崩れ落ちた吉澤に視線を落とすと線路の先に目を向けた。
足下でむぅぅんと声が上がり吉澤がむっくりと立ち上がる。
「美貴ちゃん」
真面目な顔で真面目な声。新垣はその場から離れた。
離れてしまうと二人の姿は人込みに紛れて見えなくなってしまう。
若干背の高い吉澤の落ち着いたダークブラウンの頭が時折見え隠れするだけだ。
二人、何話してるんだろう。
新垣はぼんやりと電光掲示板を見上げながら思う。掲示板の三段目に藤本が乗車する車両が表示されている。
もうすぐだ。
見上げていた視線を下ろし、藤本の姿を探す。
視界の隅にチラッと移って新垣は視線を逸らした。
二人は抱き合っていた。
いつもなら大声を上げて乗り込んで行くところだが、今日は例外だ。最初で最後の。
今、この時だけは特別だよ。
一つ深呼吸をして、顔を上げる。二人の体は離れていた。駆け寄る。
「がきさん」
「なんですか?」
「今までありがとう。楽しかったよ」
「そんな・・・私こそ」
「泣くなよぉ!」
藤本に軽く殴られる。頬に手をやると暖かい液体。
あぁ、泣かないって決めていたのに。
手の甲で拭って顔を上げる。思いっきり笑って見せた。
パコッ!
間抜けな音が鳴っておでこを押さえる。痛い。
「美貴からのラストプレゼント」
藤本はくしゃっと笑った。
「ずるいずるいずるい!がきさんだけずるい!ひーちゃんにもプレゼント!ギブミープレゼント!」
こいつアホや。
新垣は目に涙を浮べて隣りではしゃぐ吉澤を見た。
藤本は吉澤の要求を承諾したのかうんうんと頷いて少し後ろに下がる。
あ、これヤバいの来ちゃうよ。
彼女の行動を熟知している新垣はすぐに察知した。ここではないどこかへ!新垣は避難する。
馬鹿な吉澤は何も知らず大きく腕を広げてニコニコと笑っている。
あぁ、ご愁傷様。
新垣が十字を切ったと同時に鈍い音が響いて吉澤の姿が視界から消えた。そして現れる藤本。
「テヘ、ちょっとやりすぎちゃった」
いやいやいや可愛く言ってみても何も可愛くない。つーか惨い。
吉澤は阿呆面のままばったり倒れ、右の鼻の穴からは何やら赤い液体。
そこまでやらなくても。
「ん、思い残す事はもう何もない」
藤本は乱れた服を戻し、息を吐く。目を閉じて俯いた。
笛の音が響いて電車が滑り込んで来る。停車。ドアが開き、降りて来る人、人、人。
やがて降車する人の波は終わる。
藤本が顔を上げた。
「よし、行こう」
あぁ、遂にきてしまった。
覚悟は出来ていたつもりなのに、やっぱりつもりだった。覚悟なんて出来ていない。
泣いてしまいそうだよ、ねぇ行かないで。寂しいよ。
「がきさん、笑え。別れに涙は必要ないぜ」
息を吹き返した吉澤。
鼻血が出ていなければ相当格好いい。
ありがとう、涙は引っ込んだ。
笑った。彼女はきっと喜んでくれている。
「最後に、一言。がきさんとよっちゃんへ」
「なんですか?」
「ホワイワイ?」
藤本は一旦目を閉じて深呼吸した。
そして目を開き、最高の笑顔で言った。
「エンジョイ学生生活!!」
最高の笑顔と投げキッスを残して藤本は飛び込むようにして車内へ消えていった。
二人の目の前で締まる扉。発車アナウンス。
鳴り響くベル。ゆっくりと動き出す車体。だんだんと早くなる速度。
動けなかった。声も出なかった。目の前を車両が通り過ぎて行く。
やがて最後尾の車両が通り過ぎ、ぶわぁっと風が舞う。煽られるようにして、二人はペタンと崩れ落ちた。
吉澤の肩が小さく揺れる。
新垣の肩が小さく揺れる。
何かが決壊したように二人は同時に笑い出した。
「最高だぜミキティ、こんな別れ方ってないよ!」
「投げキス凄い不器用だ!」
「ウィンク両目つぶってたし!」
「おっぱいないのにだっちゅーの!!」
二人はゲラゲラと笑い転げた。吉澤が線路に落ちそうになって、ようやく駅から退散した。
高く昇った太陽の下、二人でぶらぶらと家路を辿る。
吉澤は足元に落ちていた空き缶をさっきからガラゴロと蹴っている。
「もっさん、行っちゃいましたね」
「そーだねぇ。しばらく会えないや」
「え、会いに行くんですか!?」
「ん?うん、夏休みにね。さっき約束した」
「は、はぁ」
「がきさんも行くかい?」
「行く行く行く行く!行かせて下さい!」
「わかったから落ち着けって」
吉澤は困ったように笑う。
新垣の中でさっきまで在った寂しさが嘘のように消えていった。
そうだよ、これは永遠の別れなんかじゃないもの。また会えるじゃない。
少し時間は掛かるけど、空の果て、地球の反対側なんかじゃないもの。会えるよ、いつだって。
「会いに行きましょうね、絶対!」
「お?そうだな、夏だ!会いに行くぜミキティ!」
「会いに行きますよもっさん!」
吉澤が叫んだので新垣も負けじと叫んだ。何だか楽しかった。
つられるようにして何処かで犬が吠えて空では鳥が鳴いた。
会いに行くよ、もっさん。また、夏休みに。
松浦さんも、後藤さんも一緒に誘って行こう。きっと楽しいはずだ。
心が弾んでスキップした。「おっぱいデカくなっとけよミキティ!」後ろで吉澤が叫んでいるが気にしない。会いに行くんだ夏休み。
待っていてね、約束だよ!
新垣は駆け出した。
ウキウキ楽しくて、空まで飛んで行けそうだ。この空の下、何処かに藤本はいる。
胸がきゅっとなってちょっぴり涙が滲んだ。
きっと、絶対。私達はまた会えるよ。
アスファルトを蹴って、新垣は飛び出した。
―がきさんみきさんのenjoy!学生生活―
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