
部屋の中に二人きり。
いつもなら自然とどちらかの口が開き会話が弾むのだが、今、この空間には沈黙しかない。
藤本はベッドに寝たきりだし、新垣は新垣で自分の部屋なのに何故か居心地が悪くて大して乱れてもいない服をいじる。
どうしよう、どうしよう。
何かしよう。何したらいい?
呼吸しよう。
そうだ、まずは落ち着こう。
息を大きく吸って、吐いて、深呼吸。
スー、ハー。スー、ハー。
「がきさん何してんの?」
いつの間にか藤本はベッドの上で胡座をかいていて、怪訝な視線を向けていた。
「ぅえ?あー、深呼吸です」
「・・・変ながきさん」
藤本はつまらなさそうに言うとベッドをバシバシ叩いて新垣を呼んだ。
「がきさん突っ立ってないでココ座んなよ」
いやいや、それ私のベッド。
ここ私の部屋。
まるで自分の部屋であるかの様に振る舞う藤本に言いたい事は沢山あったが、
取りあえずはおとなしく言う事を聞いて彼女の隣りに腰掛ける。
藤本は新垣のボサボサ頭を見て笑った。
そして跳ねた髪の毛を掌で弄びながら言う。
「おばさんがさ」
「はい?」
「おばさんが、がきさん風邪ひいちゃったんだって言ってたんだけど」
「はぁ」
「・・・嘘だよね」
新垣は髪の毛をいじられているまま俯いた。
チラリと横目で瞬間的に盗み見た藤本の顔にはどこか悲しそうな笑みが浮かんでいた。
だから新垣は一層深く顎を引いた。
「学校、行きたくなかった?」
藤本の声は何時になく優しい。
髪の毛を弄んでいたはずの掌も今はそっと新垣の頭を撫でている。
何故か泣きそうになって新垣はきつく目を瞑った。
こんなの。こんなの、もっさんじゃないよ。
一体どうしてしまったって言うんだ!
「皆、心配してたよ。よっちゃんとか亜弥ちゃんとか」
藤本の手はまだ新垣の頭の上だ。
その手を退けてよ。
新垣は思うが声にならない思いは藤本には届かない。
「ごっちんもね、心配してた。一緒に帰ってきたんだけどさ、ごとーが診てあげようかぁ?だって。
お医者さん行くより安上がりだよーって言ってた」
藤本はクツクツ笑って言う。
それがとても耳障りだった。
何の前触れも無しに藤本の手を払い、立ち上がる。
藤本は目を見開いたまま固まって、その手は宙に浮いたままだ。
やがて所在無げに握ったり開いたりを繰り返して膝の上に落ち着かせた。
藤本は笑っていた。やはりどこか悲しそうに。
だけどそれだけだった。
悲しそうに微笑んで、ただ黙って新垣を見ているだけ。
新垣はそれがとても嫌だった。胸が苦しくて、大声で叫びたかった。
貴方は本当にもっさん?ミキティ?美貴ちゃん?藤本美貴さん?
何で何もしないで笑っているの。それも悲しそうな笑顔で。
いつものもっさんなら違うよ、お前生意気だな!って殴ってくるよ?
急に立ち上がるな!って枕投げてくるよ?
ううん、その前に、もっさんはそんな顔で笑ったりなんかしない。
そんな優しさなんか簡単に見せたりしない。
頭だって優しく撫でたりなんかしない。
貴方は本当にもっさん?
新垣は頭の中でごちゃごちゃと考えるが、目の前にいるのは紛れも無く本物の藤本美貴嬢。
いつになく優しいが、少し鼻に掛かった可愛らしい声は藤本の物だし、何処と無く寂しげだが少しつり上がった綺麗な瞳も彼女の物だ。
それに何より全く無い胸が彼女自身が『貧乳のミキティ』である事を示している。
目の前にいるのは偽者なんかじゃない、本物の藤本美貴。
何だか悲しくて、それに加えて頭も痛くなってきた。
「・・・もっさん」
「ん、何?」
「何しにきたんですか?」
「・・・ん〜、何だろうねぇ」
藤本はポリポリと頬を掻いた。
新垣はその答えを聞いて無性に腹が立って口を開きかけた。
体調が優れないので寝かせて下さい。と言うつもりだった。
だが新垣の口から言葉は出ずに、藤本がそのまま続けて口を開いた。
その口から出てきた言葉は新垣が最も聞きたくない言葉だった。
「がきさんと、お話がしたいと思って」
藤本はそう言って笑った。
新垣はそれを聞いて泣きたくなった。
ほら。やっぱり。
だから嫌だったんだ。今は会いたくないって言ったじゃないか。神様は意地悪だ。
「・・・私は」
「ん?何?」
「私は、お話したくないです」
「・・・あら」
藤本は歌う様に呟くと立ち上がった。
そして何やら悪戯気な笑みを浮かべる。次の瞬間新垣の世界がひっくり返った。
頭の中が真っ白になって、何もなくなった。
目を開くと新垣は天井を見ていた。
背中に硬さと冷たさを感じる。そして藤本の顔が現れる。
その顔は無表情で藤本は自分を覗き込んでいる。
投げられたのだ。床に。彼女によって。
体を起こすと強かに打ったのだろう、背中がズキズキ痛かった。
「おはよ」
藤本は淡々と言った。
どうやら長い事意識を失っていたらしく、藤本は制服を着替えているし外は真っ暗だ。
「あ、おはよーございます」
新垣は怖々と言った。
藤本はそんな新垣を見て露骨に顔をしかめた。
枕に腕が伸びるのを目敏く見つけ、頭を庇う。
予想通り枕が飛んで来た。
「がきさんお前今凄いムカつく!」
藤本は吠えた。
新垣はその声に驚いて飛んできた枕を正面にくらってしまった。
ボトリと落ちた真っ白な枕の向こうに立っている藤本。
その顔は奇妙に歪んでいる。
悔しそうな悲しそうな怒っている様な泣きそうな。泣きそう。
藤本が、泣きそうだ。
新垣は呼吸をする事も瞬きする事も全部忘れて藤本を見た。
きつく睨み付けている瞳に透明な液体がゆるゆると沸いて、
そしてそれは地球の重力に逆らう事無く、溢れるとほろりほろりと頬を滑って床に落ちた。
床に落ちた2、3の小さな水溜まり。
奇妙に顔を歪ませて瞳を潤ませる藤本。
その二つを交互に見やる。
藤本の瞳を真っ直ぐ見つめながら新垣は大きく息を吸った。
藤本が、泣いている。
「なんなんだよ。訳分かんないよ。美貴が何かしたかよ」
藤本は口を開くがその声にいつもの強さはない。声が震えている。
新垣は大きく息を吐く。
「なんでそんな拒否んの。美貴の事、嫌いになった?」
藤本はもう、それはとても悲しそうに尋ねた。
声を出したいけれど声が出ない。
新垣は必死でふるふると左右に頭を振る。
藤本にはそれが見えているのかいないのか。
「・・・美貴が何したって言うんだよ」
小さく呟くと乱暴に腕で瞳を拭う。
新垣は黙ったままそれを見ていた。
藤本は、泣いている。
「もっさん」
藤本は俯いている。
「もっさん」
「・・・うるさい。聞こえてる。何よ」
藤本は俯いたまま両の手で顔を覆いその間から声を漏らす。
その声はどこか突き放したように冷たい。新垣は少し寂しかった。
「もっさんの事、嫌いなんかじゃないです」
「じゃあなんで拒否んの?」
「・・・私は・・・私は、もっさんの事が好きです。だから、だから・・・遠くに行って欲しくない」
喋りながら自分が泣いているのが分かった。うへぇ、カッコわるい。
泣くなよバカヤロウ、止まれ止まれ。お前なんて大嫌いだ。
それでも涙は止まらないし、止まるどころかどんどん溢れてくるし、だから新垣は俯いてしまった。
「・・・がきさん?」
藤本の声が聞こえる。
けれど自分の泣き顔を見せたくなかった新垣は俯いたまま。
俯いたままで小さく深呼吸する。
「がきさん?」
再び声が聞こえるがこれも無視。
だからこんな顔見せらんないんだってぶぁハベッ!!!
「無視すんな!」
目を開くと右手にクッションを掴み嬉しそうに笑う藤本がいた。
あれ?殴られた?私殴られた。なんで?
てかもっさん、笑ってる。キモいぐらいに笑ってる。どうして?さっきまで泣いてたのに。
「んふー!!がきさん可愛いなぁお前!」
藤本ははしゃぐ様に言うと顔をくしゃくしゃにして笑う。
腕が伸びてくる。また殴られるかと身構えるがそんな新垣を無視して藤本の腕は新垣の頭をワシャワシャと掻き回す。
なんだ、何がどうなってる!?
頭がおかしくなってしまったの?
「も、もっさん!」
「なんだいがきさん!」
「あの、やめてください!」
「んはー!!やだっ!!」
藤本は言うとそのまま新垣を掴みベッドの上に投げた。
投げられた勢いで弾んだ新垣の体の上に藤本が飛び込んでくる。
「ぐぇ」
ヘンテコな声を出して新垣は潰れた。
ベッドのスプリングがギシギシ言う音と藤本の楽しそうな笑い声がなんだかとても嬉しかった。
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