「・・・漫才師?」

「そう、漫才師」

「あいぼんお笑い芸人になりたいの?」

「シャラーップ!!馬鹿、ど阿呆!漫才師と芸人と一緒くたにしたらアカン!
なんでウチがあんな低俗なもんにならなアカンねん!ウチがなりたいんは漫才師や、漫・才・師!」

「は、はぁ」

顔を真っ赤にして怒鳴る加護を前に新垣は萎縮してしまった。
加護はもう何も目に入らないようで、漫才師と芸人の違いをくどくどと力説し始める。
新垣は時々相槌を打ちながら話を聞き流していた。
だって漫才師と芸人の違いって。
そんなもの聞かされても激しくどうでもいい。
一緒じゃないのかよ。一緒だったらダメなの?
チラリと加護を見てみるがどうやら一緒ではいけないらしく、手振り身振りまで加えて説明している。
新垣はそんな加護をぼんやりと見た。
あいぼんには夢がある。それがそのままあいぼんの進路になっているんだ。
そうか、夢か。
夢。私の夢はなんだろう。

「・・・って事で漫才師と芸人には大きな違いがあるんや。分かったか?がきさん」

「あ?あぁ、そうだったの。で、あいぼんは漫才師になりたいんだね!」

「そーゆー事や」

加護は満足したのか、鼻から大きく息を出すと椅子に座った。
そして目をキラキラさせて聞いてくる。

「で、がきさんは何なん?」

「え?わ、私?」

「せや。がきさんは将来何になりたいん?」

加護はニコニコ笑いながら聞いてくる。
新垣は笑みを浮かべてそのまま固まってしまった。
将来。将来なりたいもの。
私は何になりたいの?

「え、えーと・・・まだ分からないや」

「なんやぁ、なんかなりたいものないん?お花屋さんとか水滴見つめる人とかさぁ」

うん、多分水滴見つめる人にはなりたくないよ。
なりたいものかぁ。なんなんだろう。
分からないよ。

「別に焦らなくてもいいけどさ、早いとこ目標みたいなん持ってた方がいいと思うな」
「え?」

「だってさ、後からアレなりたい!思っても、簡単にはなれへんやろ?」

「はぁ、確かに」

「なりたいもんが見つからんくて適当なとこ就職してそのうち誰かと結婚して家ん中引っ込むなんてつまらんやん。
まぁそれでいい言う人もおるけどさ」

「あ、あぁ・・・」

「ウチはそんなん嫌や。やで卒業したら大阪行くんや」

「はぁ・・・って大阪!?」

「うん、大阪」

「何で!?」

「がきさんアホかいな、漫才言うたら大阪やろ。師匠見つけて弟子入りさせてもらうんや」

「あいぼんは大阪に行っちゃうの?」

「そんな顔せんでよ、今すぐの話じゃないんやで。まだまだ先の話よ?」

加護は笑う。
その笑顔がどこか大人びていて、いつものふわふわした加護とは少し違っていて変な感じがした。
新垣には言葉が無かった。
頭を何か重たいもので殴られたような衝撃があった。
加護には夢がある。
夢のために自分の進む道も大雑把ながら決めている。
抜け駆けされたような気がしてショックだった。
てっきり「進路?ウチらまだ一年生やでぇ?」などと笑ってくれるものだと思っていたのに。
新垣には言葉が無かった。

「ま、漫才師になるっちゅーのがウチの夢やな。あ、進路とは少し違うか」

加護は笑って自分の席へ戻っていった。
初めは加護と自分だけしかいなかった教室だが今はもうその殆どの席が埋まっている。
新垣はクラスにいる全員を見渡した。
加護には夢がある。
今、この席についているクラスメイト達にも夢はあるのだろうか。
何かなりたいものはあるのだろうか。将来のビジョンを既に見ているのだろうか。
新垣は少し怖くなって下を向いた。何故か自分だけが取り残されているような気がしたのだ。
焦る事はないと加護は言った。
けれど自分には将来なりたいものも夢のようなものも全く無いのだ。何も見えない。
焦りたくもなる。どうしたらいいのだろう。

「新垣!」

「は、はい!」

教師の声で我に返る。どうやら出席を取っていたらしい。いつの間に。
教師は怪訝な視線をチラリと送ってくるとまた出席簿に目を落とし出欠確認の作業に戻った。
先生。
そうか、先生だ。先生に相談するのはどうだろう。
先生、私夢が無いんです。
・・・だめだ、こんな事言えないよ、大して仲が良いわけでもない。
どうしたらいいだろう。
再び遠い世界へ旅立っていってしまった新垣を教師が一度だけ見た。


「どないしたんがきさん、ぼーっとして」

「うん?ちょっと考え事をね・・・」

「あは、がきさんでも考え事とかあるんだ」

「む、失礼だな」

加護はケタケタと笑う。
授業が始まるまでの短い休み時間。加護は新垣の隣りにいた。
するとそこへ教室を出て行ったはずの教師がやってきた。

「新垣」

「は、はい?」

「お前今日どうしたんだ、元気ないぞ?顔も赤いし風邪か?」

「や、元気です!ちょっと考え事というか悩み事と言うか・・・」

「なんだ、なら私に話したらいいじゃないか」

「・・・先生に?」

「そうだよ、お前知らないのか?私はハロモニ学園高等部の心の相談員だ」

新垣のクラスの担任教師―保田圭―は猫のような目をつり上げて笑った。
新垣と加護は互いに顔を見合わせて、同時に保田に視線を向ける。
心の相談員?なんだそりゃ、聞いた事もない。
加護も訳が分からないと言った顔をしている。

「今は時間がないから無理だけど放課後ならいつでもいいからな」

保田はそう言い残すと教室を出て行った。
その後姿をぼーっと見つめる。

「・・・心の相談員・・・」

新垣の頭の中で保田がニィッと笑った。

その後、授業を全て終え、放課後。
いつもなら新垣は図書館に向かているところだった。だが今日は違う。
新垣は今職員室の前にいた。
目の前では扉ががっつり閉められている。
その扉に腕を伸ばしては引っ込め、伸ばしては引っ込めを先程から延々と繰り返していた。
どうも勇気がなかった。
別に悪い事をして呼び出されたわけでは無いし、普通に開けて入ればいいのだがどうも出来なかった。
もういいや、また今度にしよう。
新垣は決めて、扉に背を向けた。その直後、背後で扉の開く音。
新垣は振り向いた。そして扉を開けた張本人と目が合う。

「・・・新垣?」

「あ・・・あは、ど〜も〜・・・」

ぎこちなく笑う新垣を目の前にして保田はキュッと笑った。

場所は移って職員室の奥の奥。保田はここを私の部屋と言った。
入る前にチラリと見た扉のプレートには手書きの文字で『ケメコ'sルーム〜care of your mind〜』と書かれてあった。
新垣はイスに座り保田が淹れてくれた紅茶を片手にして、職員室の前で突っ立っていた理由を話していた。

「ハハ、入りにくいか。それもそうだな」

保田は自分のためにコーヒーを淹れながら笑う。

「そうゆう時は外から大きな声でケメコ!って呼ぶと良い」

「・・・ケメコ?」

「そう、ケメコ。そうすればその2、3秒後には私が飛び出してくる」

保田は振り向いてニカッと笑った。
新垣は想像してみた。叫べば飛び出してくる。この顔が。
・・・怖い。
新垣は曖昧に笑った。
保田はコーヒーを淹れたカップを手にして新垣の前に腰を下ろす。
そして一旦息を吐き、顔を上げる。
とても優しい顔だった。
そして口を開く。

「何でもいいよ、話してごらん」

保田はカップをテーブルに置いて手を組むと椅子に深く座り直した。
話してごらんと言われても。何から話せばいいのだろう。
新垣は俯いてしまった。
保田が口を開く。

「どんな相談でもいいんだぞ?お母さんの作る味噌汁が不味くて困ってるとか胸が大きくならないとか」

保田は楽しそうに言う。
お母さんの作る味噌汁は美味しい。おっぱいだって困ってない。
自分のよく知る人で困っている人はいるけれど。

「・・・胸が小さくて困ってるなんて悩み聞かされたんですか?」

新垣が顔を上げると保田は猫みたく笑った。
身を乗り出してくる。

「あったあった。おっぱいが成長しないんです!って。そう言えば新垣は藤本と家が隣りだったな、三年の」

新垣は驚いた。保田の口から藤本の名前が出て来たのだ。
それで何となく察しがついた。
保田は面白そうに笑っている。

「もしかしてその相談をしたのはもっさん、藤本さんなんですか?」

「・・・大当たりだ」

なんてこった。
もっさん面白すぎるよ。おっぱいが小さい事をそんなに悩んでいただなんて。
新垣は笑ってしまった。

「それで先生はなんてアドバイスしたんですか?」

「ん、私か?そうだな、なんて言ったっけ。誰かに揉んでもらえとでも言っといたような気がする」

・・・まじかよ。
全然親身じゃないよ、適当過ぎるじゃん。
そんな人が心の相談員?新垣は不安を覚えた。
保田はそんな新垣に気付いたのか慌てて口を開く。

「まぁ、それは藤本だったからだよ、普段はもっとちゃんとしてるんだからね」

あらあら、可哀相なもっさん。
軽く咳をして保田はその場を取り繕った。
そして優しく笑って再び尋ねた。

「新垣は何を悩んでる?」