放課後の図書館とおっぱい薬の秘密



季節は秋も終わりかけ。赤や黄色に染まった葉はほとんどが落ち、日が沈むのも大分早くなった。
新垣は中等部生の頃から毎年この季節になると頭が痛くなってくる。大嫌いな期末テストがあるのだ。
それ以外にも寒いのか暖かいのか微妙だし夕暮れは早いしなんだか物哀しくなるし、この季節はなんとなく好きではなかった。
それより。
新垣は決めていた。今日の朝から、いやもう昨日の内から決めていた。
そうだ、図書館に行こう。
新垣が高等部に上がって半年と少しが過ぎた。だがまだ一度も図書館を利用した事が無かったのだ。
聞けば親友である色白ほんわかぽっちゃり系の加護亜依ぼんはテスト前になるとよく図書館を利用しているそうだ。
それでも決して真面目に勉強ばかりしているわけではなく、もっぱら少女マンガばかりを読んでいるらしかった。
加護だけではなく、新垣の周りでは意外な所で吉澤も利用しているらしかった。
どうせこの人の事だからデートスポットにでも使ってるんじゃないのか。
なんて新垣は思ったのだが、聞かされた吉澤の話はえらく真面目だった。
彼女は付属の大学ではなく他の芸術系大学への進学を目指している。
なので進学した時に困らぬよう今の内から色々と知識を詰め込んでいるとの事だった。
その話を聞いた時新垣は冗談で「進学してからの事より進学できるかどうかを心配した方がいいんじゃないんですか?」と聞いた。
すると吉澤はいつものふざけた様子ではなく何時だったかに見せたとても真剣な顔になって、
「それはがきさんに言われなくても十分分かってる」とどこか突き放すように冷たく言ったのだ。
それがあって以来新垣は吉澤の前で大学の話をするのを止めた。
最近の吉澤はどこか雰囲気がピリピリしている。新垣はそれが少し悲しかった。
でもそれは仕方の無い事だ。いずれきっと自分も経験する事なのだろうし。
そう思うと新垣は心の底から吉澤を応援してあげたくなるのだった。


そんなこんなで新垣は放課後図書館にやってきた。
学園の中には図書館が二つある。
主に初等部生と中等部生が利用する第一図書館と主に高等部生、それとたまに大学部の学生が利用する第二図書館だ。
大学部は大学部でまた別に図書館を設けているらしかったが詳しくは知らない。
第一図書館は初等部生の頃何度か利用した事があったが第二は初めてだ。
ドキドキしながら図書館に入った。


そこは独特の異様な静けさに包まれていた。
生徒の姿はちらりほらりと見えるものの喋っている声はなく、本のページを捲る音、本を探して歩く足音がやけに大きく聞こえる。
新垣はなるべく足音を立てないようにして奥へ進んだ。

十分後。
新垣は途方に暮れていた。
とてつもなく広い図書館。
特に目的も目当ての本があった訳でもなくただ奥へ奥へと歩いていたら迷ってしまった。
周りを見れば分厚い本ばかりがズラリと並ぶ。その背表紙踊る文字はいずれも横文字、つまり外国語だ。
なんだよこの本。そもそも私達は日本人だ。
誰がこんな横文字だらけの本を読むんだよ。馬鹿か!
新垣は外国語の本に囲まれて頭が痛かった。ちなみに前期の英語の成績は2だった。
取りあえずじっとしていたってどうにもならない。
新垣は歩き出した。ぎっしりと並ぶ分厚い本の背中を指でタンタン叩きながら歩く。

「ほぉ、これかぁ・・・」

誰もいないと思っていた本棚の奥から小さな声が聞こえて新垣は足を止めた。
身を屈めて棚の隙間から声がした方を覗く。
栗色の頭が見えた。

「豊胸効果もある・・・か。んぁ、みきちーでまた試すか」

栗色の頭は楽しそうに揺れる。
みきちー?ミキティ?みき?もっさん?
新垣は思わず飛び出した。
栗色頭のその人は大して驚いた様子もみせず、開いていた分厚い本を閉じるとふわぁっと笑う。
この制服は三年生。って事はもっさんと同学年。そう言えば何度か藤本の隣にいるのを見た事があるようなないような。
じゃあみきちーって言うのはやっぱりもっさん?それとも全く関係のない別の人?

「んー、君はがきさんだね?」

新垣が小さな頭で色々考えていると目の前の三年生が聞いてきた。
ちょっと待って、今なんて言った?

「な、なぜ私を知っている!?」

「んは、やっぱそうか。みきちーからいつも聞いてるよ、眉毛とおでこが素敵な一年生だって」

なるほど、じゃあみきちーってのは間違いなくもっさんの事だな。
てゆーかもっさん、私の事話題にしてくれるのはとてもありがたいのですが眉毛とおでこが素敵って。
なんかもっと良い褒め方して欲しいなぁ。

「やぁ、しかしみきちーの言う通りだあ、素敵ねぇ」

言いながら栗色頭の三年生はおでこを触ろうとする。
新垣は一歩後ろへ下がった。

「あ、あのっ!先輩、お名前は?」

そう、名前だ。
名前も知らない見ず知らずの誰かさんにこの神聖なおでこを触らせるわけにはいかない。
触ろうとしたところを避けられて少し驚いたのか、その三年生は自分の手と新垣のおでことを見やる。
そして笑った。

「んあ、ごめんごめん。ごとーはごとーだよ」

「はぁ、ごとー・・・後藤先輩?」

「あは、先輩は嫌だなぁ。ね、それよかおでこ触ってい?」

「あ、どうぞ」

「んぁ、ありがと」

後藤はふわりと笑って新垣のおでこを指の腹で撫でた。
少しくすぐったくて新垣は笑ってしまった。
「綺麗なおでこしてんねぇ」と後藤は言ってくれた。
それが嬉しくて単純馬鹿な新垣は初対面ながら後藤の事を好きだと思った。
もっさんと知り合いみたいだし仲良くなれるかも、とも。
新垣は本当に単純馬鹿だった。

「がきさんは何しにきたんだい?」

後藤はふと思い出したかのように尋ねてきた。
迷ったなんて言うのはとても恥ずかしい事であったが不思議とこの先輩の前では素直になれた。
訳を話すと後藤は「ここムダに広いからねぇ」と微笑んだ。
そして「おいで」と言うと新垣の手を引いてくれた。
その手は暖かくて新垣は後藤の事をいい人だと思った。

「ほら、あそこに配置図があるでしょ?」

しばらく歩いて辿り着いたそこは机と椅子が沢山並ぶ見覚えのあるホール。
その真ん中辺りに置いてある掲示板の前に連れて行かれた。

「これ見たらどの場所にどんな本があるかすぐ分かるんだよ」

後藤はそう言ってさっきまで自分達がいたのであろう場所を指した。
そこは広い図書館の一番奥の奥。
よく見ると小さな文字で『欧米・医学本』とある。
新垣はビックリして後藤と、後藤がずっと大事そうに抱えていた分厚い本に目を向けた。
そこには横文字のタイトル。頭が痛くなった。

「あ、これ?どこだっけかな、アメリカの医学書」

後藤は本を見せて嬉しそうに笑った。
新垣は痛むこめかみを押さえて聞いた。

「あ、あの、ごとーさんは英語を読まれるのですか?」

「おぅいぇす!読まれる読まれる。こう見えて頭良いんだぞ、エッヘン!」

誇らしげに言うと胸を張ってみせた。
あぁ。
もっさんの知り合いっぽいし頭の方もそれなりかと思っていたのに。
なんだか裏切られたようでショックだった。
もっさんに頭の良いお友達がいただなんて。

「がきさんはこうゆう本読む?」

後藤は無邪気に聞いてくる。新垣は必死で首を振った。
日本語の本を読むのも一苦労なのに英語なんて。しかも医学!
頭痛のオンパレード、デスマーチだ。
必死に首を振る新垣を見て後藤は残念そうな顔をした。
それでもすぐに笑みを浮かべて言った。

「ごとーはさ、放課後は大体いつもここにいるんだ。また来なよ」

新垣が首を振るのを止めて顔を上げると後藤はふにゃりと顔を崩した。

「ごとー、がきさんとはお友達になれそうな気がするから」

そう言うと後藤は分厚い本を抱え、

「あっちの方にはマンガもあるし覗いてみたらいいよ」

と言い残し去って行った。
新垣はその後ろ姿をずっと見ていた。
ごとーさん、か。家に帰ったらもっさんに聞いてみよう。
そう決めると新垣は後藤が指差したマンガが置いてあるという方へ向かった。
本を読むのは苦手だがマンガなら別だ。ノープロブレム、むしろウェルカムだ。
なんだか幸せで新垣は下を向いてこっそり笑った。