
新垣はふらふらと夕闇に染まった道を歩いていた。
松浦の言葉と吉澤の言葉がさっきから頭の中でぐるぐると追い駆けっこをしている。
『私のがきさんに触るな』
『亜弥の片思いの相手はがきさんだったんだ』
はぁ。
そうですか。そうなの?
てかいきなり言われても。
なにこれ。現実なの?夢なの?
新垣は自分の頬をおもいきり抓ってみた。ちょっとだけ泣いた。
痛かった。現実だった。
現実。夢じゃない。
吉澤は言っていた。
『今思えばおかしかったんだよな。アイツは自分大好きだからさ、他人の事なんて全く気にしたりしないんだ。
でもさ、がきさん、お前だけは違かった』
『は?何がですか?』
『やたらとがきさんの事聞かれたんだよ。いつも一緒に学校行ってる眉毛の子は誰?ってな』
『はぁ、そうなんですか』
『はぁ、まさかがきさんに恋してるなんてなぁ。お前泣かすなよ?』
がきさんって言うのは私。吉澤さんが言うアイツってのは松浦さん。
私に恋してる?
もっさんの片思いの相手。松浦さん。
松浦さんの片思いの相手。私?
私は・・・私は・・・
頭が痛くなって新垣は考えるのをやめた。頭を空っぽにした。
ふらふらと家路を辿る。
ポケットの中で携帯が鳴って取り出した。知らないアドレスだった。開いて見る。
『がきさ〜ん、あややだよ!
今日は楽しかったねぇ、また遊びに来てね!』
メールは松浦からだった。電話番号も書いてあり、登録しておけ!とあった。
はぁ。
新垣は携帯を手にして息を吐いた。何か変な感じがした。
これは私の携帯なのか?誰か違う人のを間違って持っているんじゃないだろうか。
だけどそれは間違いなく自分の携帯で、表示されている本文にも『がきさん』とある。
タイトルには『あややだよ!』
松浦から自分に。
新垣は携帯を閉じるとまた息を吐いて歩き出した。
もうすぐ自分の家だった。
その足取りは重くて新垣はどっと疲れていた。
「ただいまー」
家に帰ると母親が夕飯の支度をしていた。
とてもいい匂いがしていたが食欲が沸かず、後で食べると言い残し自分の部屋に入った。
鞄を放り出し制服姿のままベッドに倒れ込む。
疲れていたし、まだどこか夢の中をふわふわ漂っているような変な感じがしていた。
「なんなんだよ全く・・・」
新垣は小さく呟いた。
ベッドに突っ伏して枕に顔を埋める。
その口からでてくるのは溜め息ばかりだった。
ドンドンドン!
窓ガラスが鳴っている。新垣は緩慢な動作で起き上がると窓を開けた。
「おっすがきさん」
窓から入ってきた藤本は片手をあげるとそのままベッドの上で胡座をかいた。
新垣は窓を閉めるとベッドの中に潜り込もうとした。
「ちょっと待て、何か言う事があるだろう、ん?」
布団を捲り上げる新垣の腕を掴んで藤本は笑う。
新垣は動きを止めて藤本を見た。
その瞬間、新垣の中に様々な思いが溢れ返ってきて、そして爆発した。
「・・・もうウンザリです」
「はぁ?どの口が美貴にそんな事言う」
「この口です!もう迷惑なんです!」
「・・・がきさん?」
「何なんですかもう・・・私を何だと思ってるんですか?私だって一人の人間なんですよ!?
人権があるんです!それをなんですか、もっさんも吉澤さんも!都合のいいように使わないでくださいよ!」
新垣は堰を切ったように喚き、そして泣いた。
藤本は呆気にとられて何も言えずに黙って見ていた。
新垣はしゃくり上げながら喋る。
「何で貴方達は自分の事を自分で出来ないんですか。何でも私に押しつけて。人間として最低です!」
「・・・がきさん」
「うるさい!特に貴方です、もっさん!」
「私?」
「えぇえぇ、貴方ですよそこの貧乳お嬢さん。貴方が一番の加害者だ。
吉澤さんの新しい彼女を調べろ?松浦さんの身辺調査をしろ?
なぜ貴方がやらない!出来ないのか?貴方は今幾つだ!?」
「えっと、17です」
「真面目に答えるな!貴方は馬鹿か!?あぁそうだった、馬鹿だ。吉澤さんと同じだ」
「む、よっちゃんとは一緒にしないでよ!」
「いいや一緒だね!分かりましたよ貴方が吉澤さんを好きになった理由が!
人間っていうのはどこかしら自分と似ているような所がある人を好きになるんですよね。
貴方は馬鹿だし吉澤さんも馬鹿。吉澤さんは臆病者の卑怯者で、もっさん」
「・・・何よ」
「・・・貴方も臆病者の卑怯者だ」
「う、うるさい!黙れ黙れ黙れ!」
「いいえ黙りません!今日は言わせてもらいます!貴方は臆病で卑怯でそして貧乳だ!!」
「五月蠅い!がきさんに何が分かる!!貧乳って言うな!お前死んだぞ!?」
「いいえ死ぬのは私じゃない、もっさん、貴方だ」
ベッドの両端で睨み合い、肩で息をする新垣と藤本。
新垣はもう泣いてなどなく、眉毛をビシッと逆立たせて藤本を睨み付けている。
藤本もその鋭い瞳をさらに細めて睨みを利かせていた。
だがその心情はとても複雑で、少しパニクっていた。
新垣にここまで言われるのは初めてだったのだ。
大きく息を吐いて口を開く。
「・・・はぁ?何を言っているんだお前は」
「もっさんに言われて調べたんですよね、松浦さんの事」
「だからなんだ」
「松浦さん、今片思いしてるんですって」
二人の間に重苦しい沈黙が降りる。
暫くして藤本は震える声で尋ねた。
「・・・で?」
目を閉じる。
少し間をおいて深呼吸。
ゆっくり口を開いた。
「その相手は、私です」
「・・・嘘だ・・・」
言い過ぎた。
新垣は今の自分を、自分の発言を酷く後悔した。
興奮していて熱くなっていて押さえられないでいた自分を激しく後悔した。
目の前で藤本は呆然とした表情を浮かべて崩れた。
新垣は俯いて唇を噛んだ。
拳をきつく握った。こんなはずじゃなかったのに。
確かに藤本や吉澤は何でも自分に押しつけてくる。でもそれは決して本心から嫌だと思った事はない。
何だかんだ言いながら二人が自分を必要としてくれているような気がしてそれは少し嬉しかったのだ。
それなのに。それなのに。
新垣は顔を上げた。
いつも威圧的な態度で無い胸を張って大きく存在していた藤本。
それが今、崩れ落ち頭を垂れとても小さくなってしまっている。
こんなはずじゃなかったのに。
胸が苦しくなって新垣は目を逸らした。
まるでこの世の全てが止まってしまったかのように二人は動かない。
重苦しい雰囲気の部屋の中で新垣が毎朝お世話になっている時計だけが規則正しく音を刻む。
耐えられなくなって新垣は口を開こうとした。
「も「がきさん」
新垣の声は藤本の声に消された。
その声はいつだったかに聞いたとても弱々しい声だった。
新垣は悲しくなった。
「・・・何でしょう」
やや間があって、藤本が口を開いた。
「・・・おっぱい、大きくなった?」
藤本は顔を上げて笑った。
その笑顔はとても悲しい笑顔だった。目を潤ませて弱々しく笑う。
「・・・大きくなってますよ」
藤本が笑っていたので新垣も笑った。だがそれは上手く笑えていたのか。
分からないけれど藤本は「そう」と小さく呟くと立ち上がった。
「・・・なんか、今までごめんね」
藤本は立ち上がって窓の外を見ながら小さな声で喋る。
「がきさんの言う通りだよ。美貴自己チューだしさ、がきさんの事なんて全然考えてなかったし・・・」
違う!違うのに!!
新垣は声を大にして叫びたかったがなぜか声が出なくて、窓の外を見る藤本の横顔を見つめた。
藤本は口角をキュッと上げて小さく笑う。
それはまるで泣くのを我慢しているかのようで新垣は胸が苦しくて痛くて泣きたくなった。
「今まで本当に悪かった。謝って許せるようなものじゃないかもしれないけどさ・・・ごめん」
藤本は最後にこちらを振り向いて笑った。
それは泣いているかのような笑顔だった。
心臓が締め付けられるような気がした。
「もっさん・・・」
自分の口から出てきた声は小さく掠れていて誰か別の人の声のようだった。
藤本は聞こえなかったのか「おやすみ、がきさん」と言うと窓を開けて夜の闇に消えて言った。
「もっさん!」
新垣の声に答える者は誰もいなかった。
違うのに。別に嫌なんかじゃなかったんだよ、本当だよ。
謝って欲しかった訳じゃない。許すも何も私は怒ってなんかいない。
もっさん、違うんだよ。貴方を傷つけたかったんじゃないんだ。
小さくなった姿を、泣いてる顔を見たかった訳じゃないんだ。
謝らなきゃいけないのは私の方だよ。
ごめん、ごめんなさいもっさん。だからお願い、一人で泣いたりしないで。
新垣は自分の部屋の窓から身を乗り出すと目の前の窓ガラスをたたいた。
それは藤本が隣りに越してきて新垣の部屋を行き来するようになってから、初めて行われた事だった。
やがて窓が開き、そこから泣いていたのだろうか、目を真っ赤にした藤本の顔が現れた。
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