
「あら?ひーちゃん」
「やぁやぁどうもこんばんわ。それとその呼び方は止めなさい」
「にゃは、めんごめんご」
吉澤の後を重い足取りでついて来た新垣。
たどり着いた松浦の家はいつだったか藤本に無理やり連れてこられた吉澤の家からそう離れていない場所にあった。
吉澤が先に立ちインターフォンを鳴らすと出て来たのは松浦だった。
制服から着替え、私服姿で現れた松浦に新垣は少しドキドキしてしまった。
松浦はとても可愛かった。
「およよ?後ろにいるのはがきさんじゃない」
松浦は新垣を見つけ、その顔にパァッと笑みが広がる。
吉澤に引っ張られて松浦の前に立った。
「あ、どうもこんばんは」
「んふー、こんばんわん!」
松浦は顔をくしゃくしゃにして笑う。
何がそんなに楽しいんだろうか。
ぼんやり新垣が思っていると後ろから背中をつつかれた。吉澤だ。
「がきさん、うまく聞き出してくれよ?」
吉澤は低い声で囁くとバチリとウィンクしてみせた。
新垣は息を吐く。
「自分で聞いてくださいよ」
「だって亜弥ちゃんひーちゃんには教えないって言うんだもん」
キモっ。
唇を尖らして拗ねた様に指をクルクル回すその姿に新垣は吐き気を覚えた。
「だから、よろしく」
吉澤は表情をガラリと変え二カッと笑った。
新垣はまた息を吐いた。
「ねぇねぇそんなトコ立ってないで上がりなよ」
不審な目つきで二人を見ていた松浦が口を開く。
吉澤は顔面をゆるゆるに伸ばしきると新垣を押し退けて前に出た。
途端に松浦の顔に嫌悪感が露になる。
「アンタは帰れ」
「なっ!?酷いよあやや!それにその口の聞き方!どこでそんな言葉覚えたの!ひーちゃんは今とても悲しい!」
「ね、がきさん、ママがケーキ焼いたの。一緒に食べない?」
「食べる食べる食べる!あ〜、思い出すなぁ、おばさんのマーブルケーキ」
「がきさんはコーヒー派?紅茶派?」
「はーい牛乳派!!」
「水でも飲んでろ!」
「ひ、ヒドい・・・」
新垣は会話に入る事もせず二人のやりとりを見ていた。
なんなんだこの二人。流石従姉妹とでも言うべきか。
松浦は腕を組みふん反り返って冷たい視線を落としている。
その視線の先には崩れ落ちた吉澤の姿。
どうしたらいいのか分からずに新垣は黙ったままボーッと立っていた。
やがて吉澤はヨロヨロと立ち上がり新垣に凭れかかる。
「がきさん助けてよ。アイツやっつけ」
「チェストォォオオオ!!!!」
「ぶへぇあ!!!」
閑静な住宅街に二つの声が響き、一人は崩れ落ちもう一人は崩れ落ちたその人を踏み付ける。
「馬鹿!変態!私のがきさんに触るな!!」
吉澤を足蹴にして松浦は吠えた。
「えーと、松浦さん」
「んもぅ、あややって呼んでって言ったじゃん」
「じゃああややさん」
「はぁーい?」
「まず少し離れてもらっていいですか?」
新垣は右腕を上げた。
その腕にはべったりとねっとりと松浦の白い腕が絡み付いている。
松浦は口を尖らせながらも腕を離した。
ようやく自由になれた新垣は松浦が用意した紅茶を一口啜る。
お腹が空いていたのでケーキも頂く。うん、美味しい。
紅茶をまた飲んでカップを戻す。
「美味しい?」
「はぁ、御馳走様でした」
新垣は頭を下げる。松浦は笑った。
吉澤の従姉妹の松浦の部屋。それは吉澤の部屋とは正反対でとても賑やかだった。
新垣は落ち着かなくてキョロキョロと部屋を見渡していた。
「んふ、なんか珍しいものでもあった?」
突然松浦のアップ顔が目に映って新垣は少し後ずさる。
松浦はにゃははと笑った。
「そう緊張するなよぅ!」
松浦は新垣の背中をバンと叩いた。
突然叩かれた新垣は目を白黒させる。
松浦は近くにあったクッションを抱き寄せると声を出して笑った。
やがて新垣が口を開いた。
「あ、あの、松浦さん」
「あ・や・や!何?」
「私は今ある二人の人物に頼まれて貴方の事を調べています」
「ぅおー、カッコいい!」
「で、ですね、いろいろ調べるというか話を聞いてまわってたんですけど」
「ふんふん」
「貴方は今桃色片思い中だと聞きました」
「ほぉ、凄いね。誰から聞いたの?」
「吉澤さんです」
「ひーちゃん・・・あの馬鹿」
「で、それは本当なんですか?」
松浦は黙ったままニッコリ笑うと頷いた。
新垣は腰を上げる。
新たな情報を入手した。今日はもう十分だ。
吉澤さんの依頼はどうでもいいや。私全く関係ないし。
早く帰ってもっさんに報告しよう。ここにいちゃいけない。何かとてつもなく危険な香りがするもの。
新垣の本能が急かしていた。
そそくさと帰り支度を始める新垣の腕を松浦が掴む。
「ちょっと待ってよ、もう帰っちゃうの?」
「えーと、早く帰らないと怒られちゃうので」
「お母さんに?」
ええ。それともっさんにも。
新垣は頷いた。
途端に松浦の顔に落胆の色が広がる。
「そっかぁ、それじゃあ仕方ないなぁ」
ブツブツと呟く松浦を尻目に新垣は鞄を取った。
「あ、あの、それじゃあ・・・あ、ケーキ美味しかったです」
「がきさん!」
「はぁ」
「ケータイ、教えて?」
松浦は首をこてっと傾げた。
その仕草はとても自然で普通に可愛くて新垣の胸がトクンと鳴った。
携帯を差し出すと松浦は早速操作しだす。
そして。
「イェア!がきさんのアドレスゲットー!!」
高らかに歌うとニンマリ笑って携帯を投げてきた。
「後で送るからちゃんと登録しといてよ?」
「は、はぁ」
携帯を手にして新垣は小さく頷く。
松浦はまた笑った。
「なんだよぅ、がきさん元気がないなぁ。気合が足りないよ!!」
どこかで聞いた覚えのあるフレーズを松浦はその口で紡ぐ。
「気合があれば何でもできるぅ!」
あぁ、吉澤さんだ。
吉澤さんと同じ事言ってるよ、さすが従姉妹。
新垣は小さく笑った。
「お、やっと笑ったね。よしよし」
松浦はポンポンと新垣の頭を叩いた。
それじゃあ。と頭を下げる新垣に松浦はまた明日ねと言って手を振った。
松浦家の玄関を出て大きく息を吐く。
全身から力が抜けてその場にへたり込んだ。
そして思い出していた。松浦の言葉。
『私のがきさんに触るな』
『私のがきさん』
『私の』
あれはどうゆう意味なのだろう。新垣は頭があまり良くなかった。
他人の家の玄関先で座り込んでいた。
「がきさん」
突然暗闇が揺れてぬっと人影が現れた。
新垣は顔を伏せ体を堅くする。
「私だ、みんなのヒーローよっちゃんマンだ」
その声に新垣は顔を上げる。
顔の片側をパンパンに膨れさせた吉澤が立っていた。
「吉澤さん。何してるんですか?」
「うん、どうやら寝ていたみたいなんだ」
吉澤は頭を掻きながら首を捻る。
この人馬鹿です。
吉澤は張れた頬をさすりながら痛ぇ痛ぇとしきりに呟いている。
「あの、私もう帰りますので」
「ちょーっと待った」
一歩踏み出した新垣の腕を吉澤が掴む。
新垣は眉を顰めて吉澤を睨んだ。
「何するんですか、帰らしてくださいよ」
吉澤は新垣の声などまるで聞こえていないようでうんうん唸りながらマジマジと新垣の顔を見つめる。
何だか恥ずかしくなって新垣は顔を背けた。
やがて吉澤は腕を離し、ポンと手を叩いた。
「よし、合格」
「は?何が?」
「いやー、灯台下暗しとは正にこの事だねぇ。まさか馬の骨ががきさんだったとは」
「は?何の話ですか?」
吉澤は慈しむような笑みを浮かべてしきりにふんふん頷いている。
新垣は全く訳が分からなかった。
「ちょと吉澤さん、なにが合格なんですか?」
鼻息荒く詰め寄る新垣を吉澤は落ち着けと制する。
「いいんだよがきさん、私が許す」
「だから何をですか!?」
「亜弥との交際だ」
はぁ。交際ですか。
交際。こうさい。交際?こうさい?付き合うって事?
「はぁ?何言ってるんですか、貴方馬鹿ですか?なんなんですか、わけ分かりませんよ!」
「大きな声出さないの。近所迷惑でしょう、がきさんは馬鹿なのか?」
「えっと、多分貴方よりはマシだと思います」
「いや、お前は私以上に馬鹿だよ。亜弥の片思いの相手はがきさんだったんだ」
吉澤は新垣の目を見て厳かに言った。
新垣は吉澤に掴み掛かった格好のまま固まってしまった。
暫くしてボンッ!と新垣の頭が弾ける音が静かな住宅街に響いた。
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