放課後、屋上。
新垣は柵に腕を掛け眼下に広がる街並を見下ろしていた。
昼間見た真っ青な空はすっかり色を変え、今は綺麗なオレンジ色に染まっている。
グラウンドを走る運動部員の声を運ぶ風は乾いていて少し冷たい。
何を考えるでも無くぼんやりと眺めていた。
暫くしてギィッと扉の開く音がして新垣は振り返る。
夕焼け空よりも昼間の青空の方が似合うであろう爽やかな笑顔がそこにあった。

「やぁお待たせ」

軽く片手を上げて吉澤が近付いて来る。
新垣も柵を離れ、二人は決めていたように給水塔に凭れ掛かった。

「なんだい?話って。告白ならもっと良い場所があっただろうに」

「・・・おめでたい頭してますね」

「うん、よく言われる」

吉澤は嬉しそうに笑った。
言葉の意味知ってんのかこの人。
まぁこの人なら知ってても知らなくても嬉しそうなその表情に凡そ変わりは無いのだろうけど。

「で、何?」

吉澤は長い前髪をサラリと掻き上げてカッコつけてみせる。
少し心臓のドキドキが早くなって、新垣は心を落ち着かせる。そうだ、落ち着け。
この人は馬鹿だ。アフォだ。変態だ。カッコよくなんてないよ。そう、落ち着けマイハート。
いいよ、通常営業。落ち着いた。

「あのですね、もっさんの好きな人分かったんです」

「む?だからそれは私じゃないのか?」

ドゴッ!!
ぐへぇ!?
パンパン!
・・・パチクリ

「・・・なんだか顔が腫れぼったいのは気のせいなのだろうかがきさん」

「ええ気のせいです。それよりですね、分かったんです。もっさんの好きな人」

「だからそれはわたs」

「しつこい」

「ちぇっ。いーよ話せよ誰だよ。さーみしーくないよーさみしーくなんかないよーほーさーみ」

「歌うな!聞け!リッスントゥーミー!!」

「んもぅ、いじわるだなぁ、がきさんは」

吉澤はデヘデヘと笑う。
一人の人間と話す事がこんなに疲れるとは。予想はしていたが予想以上の兵だ。
新垣はどっと疲れていた。
できるなら話しなどせずに、目の前のアフォを蹴り飛ばし空に浮かぶ一番星のその隣りの隣りくらいに葬り去りたかった。
キングオブアホのプレートを首からぶら下げて全世界の見せ物にしてやりたかった。
新垣は泣きたくてしょうがなかった。

「吉澤さん!」

「おうおうなんだい大声なんか出しちゃって」

「真面目に聞いてください!」

「う〜・・・ぶラジャー!!」

ビシッと敬礼のポーズを決める吉澤を目の前に新垣はヘナヘナとへたり込んだ。
ダメだ、キレそうだけどキレる元気が無い。
究極のアフォだ。ベストオブアフォだ。殺してやりたい。
顔を上げると吉澤は敬礼のポーズをとったまま真面目腐った顔で宙を見据えている。
なんなんだこの人。人間なのか。
もっさんはなんでこの人を好きになったんだ。
松浦さんは本当にこの人の従姉妹なのか。
こんな変な人の従姉妹をなんでもっさんは好きになったんだ。
なんでこんな人が学園の人気者なんだ。この学園は馬鹿なのか。
あぁきっとそうだ。学園が馬鹿だから皆馬鹿なんだ。そうに違いない。貴方達みんなバカよ!!

「もっさんの好きな人、松浦さんなんですって!!」

やけくそになって叫んだ言葉は放課後の屋上によく響いた。
吉澤はその言葉を敬礼したまま聞いていた。

新垣はフラフラと立ち上がる。
立ち上がって吉澤を見る。
吉澤はまるで魂を抜かれた人のようにでーんと立ち、その目は虚ろで焦点が定まっていない。
バチン!
顔を挟み込むようにして両頬を叩くとようやくこちらの世界に戻って来た。
新垣を見て、頭を振って、少し俯いて、突然顔を上げた。

「やだやだそんなのやだ!」

「やだって言われても知りませんよ。もっさんが好きなのは松浦さんなんです!」

「やだやだ!!ひーちゃんは美貴ちゃんが好きなの!だから美貴ちゃんもひーちゃんを好きじゃないとやなの!!」

「・・・恥ずかしくないですか?」

「・・・むむ、そうだな。忘却の空へ蹴り飛ばしてくれ」

「デリートしました」

「ご苦労、がきさん」

「で、松浦さんについてリサーチしてるんですよ」

「あぁ、アイツはやめとけ」

吉澤はどこかイライラしたように吐き捨てると爪を噛んだ。
その空気に飲まれ自然と新垣は口を噤んだ。
吉澤は爪を噛んだまま黙り込み眉を顰めて宙を睨む。
暫くして吉澤は口を開いた。

「ミキティじゃアイツは無理だ」

「無理?どういう事ですか?」

「・・・ミキティには私がお似合いって事さ」

新垣は無言で腕を振り上げた。その腕には並々ならぬ殺意が込められている。
察知したのか吉澤は新垣から少し離れると冗談だよと言って笑った。
振り上げていた腕を下ろすと吉澤は再び近付いて来て溜め息を一つ吐いた。

「ミキティじゃ無理っていうかさぁ」

吉澤は頭を乱暴に掻くと手をポケットに突っ込み歩きながら喋り出す。
新垣はその後ろをそっとついて行く。

「きっと誰でもダメだよ」

「なんでですか?」

「聞いたんだよ。アイツ今桃色の片思い中なんだってさ」

・・・ああ、確かあいぼんが言っていたかな。
吉澤はぶっきらぼうに言い捨てると立ち止まって空を見上げた。
つられて新垣も空を見る。
吉澤には何が見えているのか。
少し眩しそうに細めて空を見上げるその横顔はどこか寂しそうだ。
その瞳も果たして空を見ているのか。まるでその先の先を見ているような遠い目をしている。

「なんつーかさ、親心ってこんな感じなんだろうな」

突然何を言い出すのかこの人は。さすが変人変態。何を考えているのか全く分からない。
吉澤は相変わらず空を見上げたままだ。新垣は首が痛くなって空を見るのをやめた。

「なぁがきさん」

「なんでしょう」

「亜弥の好きな人って誰だろうね」

知らねーよ!
新垣は叫びたかったが我慢した。叫べるような雰囲気ではなかったからだ。

「がきさん」

「は、はい?」

「・・・ちょこっと調べて教えてくれよ、アイツの好きな人」

吉澤はやっと空から目を下ろし、悪戯っぽく笑った。
首が痛いのかぐるぐる回しながら喋る。

「誰なのか調べるだけでいいんだ。相手が分かったら私が見極めて交際の不可を判断するから」

なんて自分勝手の傍迷惑な馬鹿。貴方は松浦さんの何。
つーか貴方達何か勘違いしていませんか?何でなんでもかんでも私に押し付ける。
私は便利屋じゃない!探偵でもない!ただの女子高生だ!!!
それが何で身辺調査したり片想いの相手まで探さなきゃならんのだ。
新垣は頭を抱えた。自分の悩みくらい自分で解決してくれ。迷惑なんだ。
松浦さんにとってもその相手の方にとっても迷惑この上ないが誰より一番迷惑を被るのはこの私だ!

「吉澤さん」

「おぉ引き受けてくれるのかがきさん。流石立派な眉毛を持っているだけあるよ」

「いえ、この件については丁重にお断りさせて頂きます」

「ホワーイ!何でよ何でよ!吉澤さんの頼み事よ?
ひーちゃんの可愛い可愛い従姉妹がどこの誰かも分からない馬の骨にとられちゃってもいい訳!?」

いいですよ。
だって私関係ありませんもん。

「そもそも私今もっさんに松浦さんに接近禁止令出されてますから近付き様がありませんので」

「むぅ、ミキティめ」

吉澤はガチガチと爪を噛む。
新垣は帰りたくなった。
このままこの場所にいればなにかまた面倒な事に巻き込まれてしまいそうな気がしていたのだ。
丁度良い事に吉澤は爪を噛んだまま目を潰って何か考え事をしている。
チャンス!
新垣はそっと吉澤から離れていった。
吉澤はまだ気付かない。よし、もうすぐ。
扉に手をかけた時、悪魔が目を覚まして、笑った。

「しょうがないな、ミキティに代わって私が許可を出そう」

「・・・は?」

「接近して良いぞ?おっぱいもお尻も触り放題の時間は無制限!もちろんお代の方は一切頂きません!!」

どこの呼び込みだお前は。
緩んだ顔を元に戻せ変態!

「という事で、さぁ、行こうか」

「は?どこに!てか待って、私帰りたい!」

必死で叫ぶ新垣の肩にぐるりと腕を回し吉澤は大股で歩き出す。
その顔はとても楽しそうだ。

「ちょっと待ってください!帰らして!ひゃ、ちょ、変態!!」

吉澤は新垣のお尻をつるりと撫でるとカラカラと笑った。

「ふむ、だいぶ成長してきたね。二、三年後が食べ頃かな?」

喋りながらも吉澤は歩を進める。必死の抵抗も空しく新垣は吉澤にひきずられていく。
なんでやねん。
なんでこんな事になってんねん。
何で私がこんな目にあわなあかんねん。
嫌い。嫌いだ!
もっさんも吉澤さんもみーんなだいっきらいだ!
新垣は半泣きだった。
吉澤は気付かずに楽しそうに鼻歌を歌いながらひょいひょいと歩く。
新垣は諦めた。もうなるようにしかならない。
吉澤の腕から抜けだし、乱れた服を正すと聞いた。

「今からどこ行くんですか?」

吉澤は振り返ると笑って言った。

「ん〜?亜弥んち」