
「うーん、がきさんキツイなぁ、ヒーちゃんショックだよ。ターイムショックならぬヒーちゃんショーック!」
悪びれる様子も無く吉澤はふざけて笑う。
新垣は呆れてしまって、肩を落とすと吉澤から離れた。
少し離れた所にある貯水槽に背を凭れて座り込む。
吉澤は一人で何か奇妙な動きをしている。新垣は溜め息を吐いた。
もっさん、こんなふざけた人のどこがいいんですか?
新垣はぼんやりと空を見上げた。薄オレンジの空を雲が流れて行く。
あぁ、あの雲あいぼんみたいだ。
一際大きい真っ白な雲が頭上を通過していく。
加護の笑顔を思い出して新垣は泣きそうになった。だが泣かなかった。
いつの間にか吉澤が目の前に立っていた。
「・・・何ですか?」
「いや、その、なんだ。・・・ちょっとふざけ過ぎた。ゴメン」
「別にいいですよ、もう」
新垣はふいっとそっぽを向く。
吉澤は困ったように頭を掻くと新垣の隣りに腰を下ろした。
「分かってるよ、あいぼんの事だろ」
吉澤は小さく呟く。
その言葉に新垣はそっと吉澤を見た。
そこに何が見えているのか、吉澤は宙の一点をじっと見据え真面目な顔をしている。
・・・吉澤さんが笑っていない!
新垣はこんな表情の吉澤を今まで見た事が無かったので少し驚いた。
いつもニヤニヤヘラヘラ笑顔の吉澤しか見た事が無かったのだ。
初めて見る真面目な吉澤の横顔はそれはとても綺麗で新垣は見入ってしまった。
しばらくぼーっと綺麗な横顔を見ていると突然吉澤が振り向いた。
振り向いて、目が合ってしまった。新垣は慌てて視線を逸らした。
「なぁがきさん」
「はっ、はっ、はいっ!?」
「人は、何で人を好きになるんだろうな」
「え?」
「好きになったら、何で自分の物にしたくなっちゃうんだろう」
「は?」
「何で皆1人の人としかつきあっちゃいけないって言うんだろ」
「えーと・・・」
「二人同時に好きになっちゃいけない?」
「や・・・」
「二人とも好きなんだ、大好きなんだよ。どっちか選ぶなんてできないよ。
二人とも一番なんだ。それ以上も以下も無いんだ」
「あの・・・」
「そうゆう事なんだよ」
吉澤は軽く笑うと立ち上がった。
制服の裾をパンパンと払い歩き出す。
「ち、ちょっと待ってください!」
「んー、何?」
思わず立ち上がった新垣に振り向いてみせる吉澤は、もう真面目な顔などしていなかった。
いつものように笑っている。
「それって、それって吉澤さんのただの我が儘じゃないですか!」
「そうだよ?」
「はぁ?」
「あたしは我が儘で欲張りで、人間の鏡みたいな人間なんだ。どーだ、スゲーだろ」
吉澤は腰に手を当ててわははと笑う。
新垣は黙っていた。吉澤は笑っていた。虚しい笑い声は夕焼けの空に消えた。
「あいぼんは知ってるんですか?」
「何が?」
「吉澤さんにもう1人彼女がいる事」
「知らないよ。聞いてこないし教えてないもん」
「そうですか」
冷たく言うと新垣は歩き出す。
「あれ、がきさん帰っちゃう形?」
ちゃらけた吉澤の言葉を無視する。
吉澤の目の前に立ち、自分より幾分か高い位置にある吉澤の顔を睨み付ける。
「他にも付き合ってる人がいるなんて、あいぼんには絶対に言わないで下さいね」
「うぃー」
吉澤は肩を竦めておどけてみせる。
バシッ!
新垣は思わず吉澤の腕を叩いた。
吉澤は驚いた様子で叩かれた腕を押さえ新垣を見る。
「私!」
ダメだ泣いたらダメだよ泣くなよ自分
「今、吉澤さんの事凄く嫌いです!」
大きな声で叫ぶと走った。
屋上の扉を開け、階段を駆け下り、自分の教室まで走った。
もの凄く腹が立っていた。怒っていた。ムカついていた。
悔しかった。悲しかった。だけど泣かなかった。吉澤に負けたくなんかなかった。
それでも、加護の席を見るとどうしようもなかった。少しだけ泣いた。
家に帰ると待ち侘びていたかのように鳴る窓ガラス。
鍵を開けてやるとまるで猫のようにするりと藤本は入ってきた。
「まぁまぁなんと無残な頭だこと」
藤本はボサボサに跳ねた新垣の頭を見て苦笑した。そしてベッドに腰を下ろす。
「・・・よっちゃんと話した?」
「知りません、あんな人。もう話したくなんかありません」
「あらら、今日もまた怒ってるねぇ」
藤本は呆れたように笑う。
確かにそうなので新垣は無言で頷く。
藤本は困ったように背を竦めると寝転んだ。
「ねぇがきさん、何で怒ってんの?」
「吉澤さんは最低な人です」
「何で?」
「だって・・・二人同時に付き合う、えーと、二股?してるんですよ」
「ふーん」
藤本は興味無さそうに相槌を打つ。
あれ、おかしいな。吉澤さん大好きなもっさんの事だから怒りだすかと思ったのに。
予想外の藤本の反応に気が高ぶってくる。
「ふーんって、何でそんな冷めてるんですか!もっさん吉澤さんの事が好きなんでしょう?
何とも思わないんですか?最低じゃないですか!かわいそすぎますよ!」
「え、何で?」
「何でって、二股かけられてるんですよ?」
「や、分かってるけど。それが何で可哀相なの?」
「は?」
「だって二股かけられてるかもしんないけど愛情貰ってるわけでしょ?どこが可哀相なの?」
寝転がっていたはずの藤本はいつの間にか起き上がっていて、新垣に不思議そうな表情を向ける。
藤本のその問いに新垣は言葉が詰まってしまった。
そんな新垣をよそに藤本は尚も口を開く。
「ねぇがきさん、二人の人を同時に好きになっちゃうのっていけない事?」
あ、同じだ。
吉澤さんと同じ事言ってる。
「どっちか1人なんて選べなくて、でも2人とも手放したくなくて2人の人と付き合っちゃうのって、
可哀相な事なの?2人とも、両方が一番なんだよ?それは可哀相なの?」
うるさいうるさいうるさいうるさい
もう、何で二人して同じ事言うんだよ。
私に分かるわけないじゃないか!
私が間違ってるって言うの?だって私はあいぼんが可哀相だと思ったんだ。
吉澤さんと付き合ってるんだと幸せそうに照れ臭そうに笑ったあいぼん。
だけど吉澤さんにはもう一人付き合ってる人がいる。それを知らず、嬉しそうに笑うあいぼん。
そんなあいぼんを可哀相だと思ったんだ。可哀相だと。
可哀相。
可哀相ってなんだ?
かわいそう
ふびんなさま、同情に堪えぬさま
「一応愛してもらってんだし可哀相なんて、それはがきさんの主観じゃん。
本人は別にそんな事思ってないんじゃないの?」
藤本は再び寝転がりストレッチを始める。
そうなの?可哀相だと思うのは私だけなの?
あいぼんはそんな事思ってないの?あぁ、そうか。あいぼんは知らないんだもんな。
でもそれってやっぱり可哀相な事じゃない?
頭が混乱してくる。自慢じゃないが頭はあまり良くなかった。
難しい顔をしたまま固まってしまった新垣を見て藤本は息を吐いた。
「まーよく分かんないけどさ、取りあえずそんな顔すんのやめなよ、可愛くないって。
ここんとこがきさんが笑ってんの見てない」
その声に新垣は振り返りぎこちなく笑ってみせた。
だが藤本は例のバストアップエクササイズに夢中でこっちを見てくれなかった。
こーゆーの、可哀相だよね。
新垣は大きな溜め息を吐いた。
その後、約15分程新垣の部屋に居座りストレッチに精を出した藤本。
最後に「ちょっと大きくなった?」とお決まりの言葉を吐き、
これまたお決まりの答えである言葉と笑顔を返すと満足そうに笑い窓を乗り越え自分の部屋へと帰っていった。
藤本が帰った後、新垣は考えた。
吉澤が言っていた事、藤本が言った事。
考えてみたけどよく分からなかった。何も分からなかった。もう一度言うが頭はそんなに良くなかった。
新垣の小さな頭は爆発しそうだった。ボサボサに跳ねた頭を掻き毟った。それでも何も分からなかった。
壁を使って倒立してみた。やっぱり分からなかった。
疲れていた。眠たかった。考えるのを止めた。
明日明後日と学校は休みだ。考える時間ならいくらでもある。
新垣は部屋の電気を消すとベッドに入った。夢の世界へすぐに墜ちていった。
空腹を覚えて目を覚ます。やけに部屋が明るい。
新垣は枕元に置いてある時計で時刻を確認した。昼前だ。
慌てて飛び起きた。
次の日が休日だと新垣は目覚ましをかけない。早起きする必要がないから。
しかしそれにしても寝過ぎだ。せっかくのHOLIDAYが!
ベッドを抜けると足音荒く階段を駆け下りた。
静まり返った家の中。家族の姿が見えない。あれ、おかしいな。
両親の部屋へ入ったり風呂場を確認したりトイレを覗いたり。
いない。どこへいったんだ?
新垣は頭を抱えてリビングにあるソファに体を沈めた。お腹空いた。泣きそうだった。
と、頭を抱えた新垣の視界の隅に写る一枚の紙切れ。広いあげて確認する。
理沙へ
外食してきます。
何か作って食べておいてね(≧∀≦)
ママ
外食!
私一人を残して外食!
新垣は無意識の内に紙を引き千切っていた。怒りで拳が震えた。お腹が鳴いた。
畜生絶対許さない!
眉毛を逆立たせて怒った。
ぴんぽ〜ん
突然インターフォンが鳴り、新垣は気を沈める。
なんだ?宅配か郵便か宗教勧誘か?玄関に向かい、そして気付く。
頭は寝癖でボサボサ。服装ときたら何年も愛用している恐竜パジャマ。
こんな格好じゃ出られやしない!
しょうがない。着替えるのも面倒臭いし新垣は居留守を使う事にした。
初めてのお使いならぬ初めての居留守。
何故か身を屈め、息を潜める。
ぴんぽ〜ん
再び鳴るインターフォン。
新垣は変な汗をかきながら祈った。
お願いだから早く帰れ!
親は今いないんだ。ましてや金なんてあるわけない!さっさとどっか行ってくれ!
新垣はガタガタ震えながら思った。借金取りに追われる人の恐怖をほんの少し囓った気がした。
暫し静まりかえる。
やっと行ったか?新垣は首を擡げる。と、突然。
ピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポ〜ン!!
物凄い勢いで鳴り出したインターフォン。新垣はガタガタ震えながら玄関の隅で小さくなった。
→