臆病者への讃歌



―ピピピピピピ―

甲高い電子音が鳴り響いて新垣は目を覚ます。7時半起床。
ベッドの上でぅ〜んと体を伸ばすと足を吊った。あまりの痛さに声が出ず一人悶絶する。

「里沙!早く起きなさい!」

階下から母親の大きな声が聞こえる。
うん、分かってる、起きてるんだよお母さん。ただちょっと今動けないだけなんだ。
足をほぐしやっとの思いで下に降りると弟がランドセルを背負い玄関を出ようとしていた。
ということは?

「八時じゃん!」

新垣が通うハロモニ女子学園高等部は午前8時40分に朝のホームルームを行う。
自宅から学校まで歩いて20分弱。10分前には教室に入っていたい新垣は毎朝8時10分頃に家を出ていた。
それがどうしたことか、突然のアクシデントによる大幅なタイムロス。新垣は朝食をとるのを諦めた。
慌てて顔を洗い髪を梳かし眉毛を整え歯を磨き制服に腕を通す。
母の用意したお弁当と鞄を掴むといってきますの挨拶もそこそこに外へ飛び出した。

「がきさんおハロ〜」

「はぁはぁ、はい、おハロ〜」

「うげ、朝から興奮しすぎ。キモいよ」

いや別に興奮してるわけじゃないんですよ、急いでたんです。
新垣の言い訳をはいはいと冷たく流しさっさと行くぞ!と乱暴な言葉を吐くのはお隣りの藤本美貴ちゃんAカップ未満。

学園一の人気者の恋人の座を狙ってなんだかんだと一悶着あり、
来年には巨乳になれると信じて(なれる訳ないのにね)今日も今日とて無駄な努力を続ける藤本。

「ね、がきさん、少しはおっきくなった?」

「うんうん、その調子!」

ここ最近幾度となく繰り返されるこの会話。半機械的に新垣は笑顔を浮かべ声を出す。
一人の人間のためにここまで努力をする藤本の気持ちを新垣は潰したくなかった。だから本当の事は言えなかった。
大きくなんて、なってないから。大きくなんて、ならないから。
それでも藤本は新垣の言葉をまるまる鵜呑みにし、毎日毎日バストアップに命を懸ける。
そんな一途な藤本が可愛くてちょっと可哀相でここ最近新垣の気持ちは複雑だった。

「ミッキティ!がっきさん!おっハローもーにんぐっ!」

突然大きな声が聞こえて頭の後ろからグッと親指を立てた腕が伸びてきた。

「よぉっちゃあん!」

「ぅお、吉澤さん!」

「ハーイ、えびばでぃ、ヒーちゃんだよ!」

くるくる回転しながら二人の目の前に現れたのは学園一の人気者、よっすぃよっちゃん吉澤ひとみ。眩しすぎるぜその笑顔。
新垣はこっそり藤本の方を見た。
あちゃあ、目がハートだ。乙女チックファンタジックワールド大々展開中!
そう、藤本は吉澤の事が好きなのだ。
そして報われる事の無い努力を健気に続けるのも全てこの人、吉澤ひとみという名の巨乳ハンターのお眼鏡に適うためであった。
そしてそんな巨乳ハンター吉澤のお眼鏡に見事適ったのがこの人。

「豆ちゃんおっはよー!」

岡田唯ちゃんDカップ。
・・・・・・?
アレ?んん?Dカップおっぱい?
って、ぅぇえええ!?
違うやん!人変わってるやん!何で!?一週間たってないで!?っつーか、

「あはははは、がきさんその顔おもしろい」

「ああああああいぼん?」

「イエース、ノット洗眼薬、ノットとろ〜り!」

目をパチパチさせながら吉澤の背後から姿を現したのはDカップおっぱい岡田唯ちゃん二年生ではなく、
なんと新垣と同級生(しかも同じクラス!)である色白ほんわかぽっちゃり系の加護亜依ぼんだった。
吉澤はデレデレにやにやしながら加護の手を握っている。
あぁ、なんて事を。
酷いよ、もっさんの前で。
新垣は思うが天然失礼なこのスポーツ天才マンが新垣の思いに気がつくわけもなかった。
新垣は横目で藤本を確認する。
怒っているだろうか。驚いてるかな?呆然としているのだろうか。
・・・笑ってる!
ニコニコ笑いながら前後に大きく腕振ってる!
これ以上ないくらい、めっちゃ笑顔だった。

「も、もっさん?」

「ん、何か、用?」

「あ、あの吉澤さん・・・」

「ああ、あれ、がっ、あたっ、らしっ、いっ、子?」

「そうみたいです」

「なるっ、ほど、あそ、こまっ、でっ、おおっ、きく、なれっ、ばっ、いいっ、のねっ!」

新垣は泣きそうになった。
あぁ、もっさん!その笑顔、純すぎてとても悲しいよ。その無駄にかいている汗が眩しくて心が痛いよ。
吉澤に新しい女が出来たというのに一心不乱にバストアップエクササイズを続ける藤本。
今までなら吉澤に新しい恋人が出来たと知ると一番にその人物の元へ赴き2、3発蹴り入れていたあの藤本が。
あの藤本が蹴り入れるどころかバストサイズの達成目標にしちゃった!
到達する事なんて永久に無いのに。新垣は引きつった笑みを浮かべた。
まぁ、もういいや。もう何も言わない。私関係ない。私悪くない。
右から順に大きく腕を振って歩く藤本、虚ろな笑みを浮かべる新垣、ほわほわ笑う加護、ニヤニヤと変態チックに笑う吉澤。
四人綺麗に並んで校門をくぐった。

三年生である藤本吉澤とは昇降口で別れ、加護と一緒に教室へ入る。
教室へ入ると鞄を置くのもそこそこに加護の前の席を借りる。

「いやーしかしビックリ。あいぼんが吉澤さんの彼女になったなんて」

「えへへー、なってもうた」

「知らなかったよー。ね、いつから?」

「んー?昨日」

「昨日!?」

新垣は大きな声を出して思わず立ち上がる。
教室内にいた数人の生徒が怪訝そうな目を向ける。

「がきさん声大きいよ!」

「ああ、ごめんごめんご。だってびっくりしちゃって」

視線を向けてきたクラスメイト達に愛想笑いを振り撒きながら新垣は腰を下ろす。
つーかだって普通にビックリだって。
藤本がバストアップのために大きく腕を振りながら登校し始めてまだ四日くらいだ。
Dカップおっぱいの岡田唯ちゃんは?どうしたの?

「ね、あいぼん」

「ん?」

「吉澤さんの前の彼女知ってる?」

「ううん、知らない」

そっか、やっぱ知らないよね。直接吉澤さんに聞くしかないか。
新垣は無意識に溜め息を吐いた。

「え、もしかしてがきさんやったん?」

「っな!?ちっがぁーう!!」

バン!と机を叩きまた立ち上がる。
明らかに怒っている、鋭い視線がバシバシ突き刺さる。

「あはは、がきさん顔真っ赤。おもしろーい」

ピリピリした空気の中、加護だけがパンパン手を叩きながらケタケタと笑っていた。


放課後。
昇降口の傘立てにポツンと座る一人の生徒。退屈そうに外を見ている新垣。
吉澤に直接会いたいと思っても新垣には連絡を取る手段が無かった。
三年生の教室には入れない。というか吉澤のクラスを知らない。
藤本という吉澤に最も近い人物と新垣はとても仲が良かったが藤本に取り次いで貰うなんて以ての外だ。死んでしまう。
なので、昇降口で待っている。一年生から三年生まで、全ての生徒が利用するこの場で吉澤を探そうとしているのだ。

しかしよく考えると吉澤さんって結構存在が遠いな。
一年生と三年生。ただでさえ学年が違っているのだ。
自分は部活なんかにも入って無いし接点は無いに等しい。
の割には、一年の割には新垣は吉澤とよく喋っていた。結構会ったりもしていた。
けれどそれには全部藤本が絡んでいる。
たまに廊下で擦れ違ったりする時も吉澤の隣りには藤本がいる。そのおかげで会話をしたりもする。
吉澤と何かしらある時は必ず藤本が側にいる。
って事は、もっさんってもしかして吉澤さんに凄く近い存在なんじゃないの?
そうだよ、そうに決まってる。きっと一番近いはずだよ。
でも、恋人にはなれない。
可哀相だな。
新垣は藤本の事を思って胸が痛んだ。

吉澤さん、遅いな。
もしかして気付かない内に帰っちゃった?や、そんなはずは無い。
新垣はたとえ百を超える群衆の中からでも真っ先に吉澤を見つけられる自信があった。
根拠は無い。ただなんとなく自信がある。
あの変態チックな佇まいは妙に眉毛を刺激するのだ。
だが今までに眉毛はピクリとも反応していない。だから吉澤はまだ校舎内にいるはずだった。
あー遅い。早くこい。

どれくらい経っただろうか。
眉毛の手入れをしたり鼻歌を歌ったりけんけんぱをしていたりしたら突然ゾワゾワときた。吉澤察知センサー発動!
新垣はキョロキョロと辺りに目をやる。近い近い。眉毛が痒い。
いた!
新垣の瞳は廊下のずっと先に人影を捕らえた。あのやらしいオーラは吉澤さんだ、間違いない!
だけど一人じゃない。隣りに誰かがいる。
というか吉澤が一人でいるところを見た事がない。いつも回りに誰かがいた。その誰かとは大抵藤本だったが。
だけど今隣りにいるのは藤本とは違う人のようであった。
新垣の眉毛は右が藤本察知センサーで左が吉澤察知センサー仕様になっているのだ。
右の眉毛は何ともないのに左だけがピクピクと動く。
じゃあ、吉澤さんと隣りは誰だ?
目を凝らして一生懸命見る。眉間に皺を寄せ目を細めたり大きく開いたり。
んー・・・おっぱい?
顔の判別はまだ付かないがとりあえず巨乳である事は見て取れた。貴方本当におっぱい好きですね。
ニヤニヤと笑う吉澤の顔が脳裏に浮かぶ。消えろ変態!
つーか巨乳?じゃあ隣りにいるのはあいぼんかしら?そうだよ、吉澤さんの彼女なんだもんな、昨日から。
でもだけどあいぼんにしてはちょっと背が高い。違う人?

二人はどんどんと近付いて来る。
新垣はいったん引っ込んで、偶然を装う事にした。再び傘立てに腰掛ける。
足音が近付いて来る。

「・・・からさぁ、多分こしあんだと思うんだよねぇ」

「え〜?ウチはつぶあんの方が好きや」

吉澤とその相手との声が聞こえる。こしあんとかつぶあんとか何の話だよ。
ってゆーか、ちょっと待ってよ。相手の声、すんごい聞き覚えがある。
目をつぶり、耳を澄ます。

「ホワーイ?何でよ何でよこしあん美味いぜ?」

「ん〜、美味しいけどあれ食べてるとおばあちゃんみたいで嫌や。歯応えあらへんねやもん」

ぅおをっとぉ!?こいつぁビックリまさかのミステリー!
岡田唯ちゃんDカップ!!
この関西弁、のんびりした口調、可愛らしい声、間違いない!
あの藤本を初めて敗走に追い込んだDカップ巨乳の持ち主でファイナルアンサー!
新垣は思わず腰を上げ、二人の前へ飛び出した。