
それにしてもなんだ、幽霊とはこんなに恐ろしいものだったのか。想像以上だ。
新垣は今まで生きてきて心霊体験というものが全く無かった。
初めての心霊体験。それだけに思い出しただけでも身が凍る。
勢いよくドアを開け、部屋の中に顔を突っ込んだ瞬間新垣は見てしまったのだ。
窓ガラスの向こうに浮かぶ生首を。
なんと恐ろしかった事か!
その顔はこの世の全てを憎んでいるような絶望しているような悲しそうな悔しそうな怒っているような、
なんとも言えない複雑な表情でこちらをじっと睨んでいたのだ!
一瞬の出来ごとだったけれどあの顔は新垣の脳裏にくっきりはっきり焼き付いてしまった。
きっと十年後も二十年後も死んでからも忘れられはしないだろう。それほどに強烈だった。
強烈で恐ろしかったけれど新垣にはそれ以上に恐れているものがあった。藤本だ。
早く報告しなきゃ。
おばけなんてうそさおばけなんてないさ
頭の中で歌いながらドアを開ける。腕だけ入れて電気スイッチを探す。手の平にスイッチの感触。パチン。
開けたドアの隙間から光が漏れてようやく新垣は大きくドアを開けた。途端に腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
「ミミミミキティ!?」
ガラスの向こうはお隣りさん、藤本家令嬢藤本美貴嬢の自室。
その窓ガラスに藤本がベッタリと張り付きジッとこちらを見ていたのだ。
ちょっとばかしパニクりながらも新垣の頭は動き始めるフルスロットル高速回転。
つーとえーとなにか?自分が見たのはもっさん?
いやでもあれ生首だったよ。
うん、あの人黒い服来てるし部屋真っ暗だし背景と同化したんでしょ。
いや、でもあの生首すんげぇ恐ろしい表情してたよ?
うんうん、今もしてる。
てことはなに、心霊現象なんかじゃないじゃない。
おばけなんてなーいさーおばけなんてうーそさー
幽霊はいなかった!
その事実に新垣は絶望した。小さい頃から信じてたのにオバケさん。
不意に笑えてきた。
お漏らししそうに怯えていた自分が情けなかった。
幽霊は本当にいるじゃないかと泣きそうになりながらも心の中で小躍りした自分を愚かだと思った。
思い込みの心霊現象に少しだけ喜んだ自分を浅はかだと思った。
へたり込んだまましばらく一人で笑っていた。
するとドンドンとガラスを叩く音が聞こえた。
顔を上げると藤本が自室から身をのりだし窓を叩きながら、開けろ!とアピールしている。
新垣は笑うのを止めて立ち上がると窓の鍵を開けて藤本を招き入れた。
「がきさん一人で笑うのやめなよキモイよ」
藤本は冷たく言うと壁際に設置してあるベットにバフン!と荒々しく腰を下ろした。
新垣は藤本の前に胡座をかいて座る。
「で?」
藤本が不機嫌そうに漏らした。
新垣は慌てて姿勢を正す。
「えーと、今回のニュープリンセスは岡田唯ちゃん二年生だそうです」
「ふーん。で?」
無関心を装いながら藤本は冷たく次を促す。
新垣は口を開いたまま固まってしまった。
本当の事、言うべきだろうか。言った方がいいよな、自分の安全を考えると。
でも言ってしまったら彼女は悲しくなってしまうかもしれない。落ち込んでしまうかもしれない。そんなの嫌だ。
けどやっぱり言うしかない。吉澤の発言を正しく藤本に伝える事が自分の使命なのだ。
開いていた口をいったん閉じ、覚悟を決める。よし。
「おっぱい、Dカップだそうです!」
「っがああああああああああああああぅぉをぉおっぱい!!死ね!!おっぱい死ね!!」
藤本は立ち上がって吠えるとそのままベッドに突っ伏した。
新垣は正座で敬礼したまままた固まっていた。
怖い、怖いよもっさん。唾が飛んできたよもっさん。
藤本はベッドに倒れ込んだまま動かない。
とりあえず少し離れて、藤本が動き出すまで待つ事にした。
「・・・がきさん」
どれくらい経っただろうか、藤本の少し掠れた声が聞こえて新垣は眉毛を整えていた手を休めた。
振り返ると藤本は倒れ込んだ状態のまま動いていない。
「なんですか?」
「美貴の胸は小さい?」
ぅおぅ、直球ストレート!
新垣は困ってしまった。
「ん〜、あ〜、え〜、お〜、ど〜なんでしょうねぇ、そんな事無いんじゃないですか?
一応あることはありますしねぇ、はぁ、いやー、ねぇ、小さいって事はな」
「あるよ!だってAでもスカスカするもん!」
おぉっと大胆告白!つかマジで?私勝った!ってそうじゃない。
藤本は起き上がって凄い目で睨んでくる。
やめてそんな睨まないで。
浮かれてすいません。勝っちゃってすいません。
思わず視線を逸らした。何か、何か言え。
「や、あの、でもですね、もっさんのおっぱいは形綺麗ですよ」
何を言っとるんだ自分。おっぱいから離れろよ。
藤本の言葉を待つ。が、聞こえない。
恐る恐る視線を戻す。
あちゃあ何これ、どうしちゃったの美貴ちゃんさん。
おっぱい褒められたのそんな嬉しいの?
デレデレと照れ臭そうな笑みを浮かべる藤本の姿がそこにはあった。
「・・・そうかなぁ?」
目が合うと藤本はやはり嬉しそうに言った。
新垣は無言のままブンブンと縦に首を振る。そうだもっさんそれでいい。
大きさより形で勝負よ!
「って違うだろっ!!」
ひぃい!!
藤本はまた吠えた。目が爛々と光っている。
新垣は身を小さく固めた。殴られると思った。
だが、藤本の鉄拳が振るわれる事はなく、代わりに悲しそうな声が聞こえた。
「・・・よっちゃんはおっぱい大きい子が好きなんだ」
心底から傷ついているような藤本の小さな声。この声を聞くのは二度目だ。
「やっぱりさいしょはこわかったんだ」
藤本と出会ったその日に聞いたあの声と同じ。
新垣は胸が苦しくなった。切なくて悲しかった。
だけど泣かなかった。本当に泣きたいのは自分ではなく、藤本の筈だと思ったから。
だから涙は流さなかった。
だけどだからと言って藤本の涙が見たいわけでは無かった。泣いてなんか欲しくない。新垣は一生懸命考えた。
「あ、あのですね、でも大丈夫ですよ」
「なにが」
「人間って、二十歳までは成長し続けるんですって」
「だから?」
「だから、今から努力すれば来年にはDカップも夢じゃないですよ!」
「・・・そうかなぁ?」
「そうですよ!諦めたらそこで試合終了ですよ?」
「だよね、そうだった!諦めたらダメだ!美貴頑張るよ!来年には巨乳だぜガハハ!」
うんうん、無理無理無理無理。
だって貴方何年努力しました?もうかれこれ五年近くそのサイズ保ってますよね。それはそれで逆に凄いんですけど。
来年には巨乳?はいはい夢のまた夢。来年も貧乳街道猛スピードでトップ独走まっしぐら。
つかね、今の時代ナンバーワンよりオンリーワン。あなたそのままでいいじゃない。だって想像してみてよ。
おっぱい大きい藤本美貴なんてあり?正直無しでしょ、キモいって。小さくてこそ美貴パイ、貧乳でこそ美貴様、これ常識。
まぁ気休め程度に、頑張るのもいいとは思いますけどね。
「ですね、頑張ってください!」
新垣はニッコリ笑った。
あぁ、可哀相なもっさん。
きっと報われないであろうその努力を陰ながら応援しています。
「サンキュな、お豆」
藤本はグッと親指を立てると窓を乗り越えて自分の部屋へと戻って行った。
帰り際の笑顔がとても眩しかった。キラキラ輝いていてそれは凄く綺麗だった。
だから新垣はまた悲しくなってしまった。
だってこんなのって虚しいよ。悲しすぎるよ。
きっと今日から彼女はバストアップエクササイズを始めるのだろう。吉澤のために。
吉澤にはDカップのニュープリンセスが既に恋人の位置に付いている。
藤本は来年になれば自分は巨乳になれると思っている。
だけどきっとそれは多分絶対到底無理な話。
だから来年もやっぱり吉澤の恋人にはなれない。
こんなのってなんか虚しいよ。
新垣は大きな溜め息を吐いた。
てゆーか何でもっさんは吉澤さんの事好きなの?
そう言えば聞いた事が無かった。まぁいいや、今度聞いてみよう。とりあえず今日は疲れた、もう眠たい。
大きな欠伸を一つすると新垣は部屋の電気を消した。
暗闇の中、微かだけれど一定のリズムを保った藤本の声が聞こえてくる。
報われない努力してんだなぁ・・・
眠たい頭でぼんやりと思いながらやがて新垣は眠りに落ちた。
次の日。
朝からシャワーを浴び気分も爽やかに外へ出ると既に藤本が待っていた。
「がっきさんおっハロー!!」
「・・・おハロー」
やけにテンションの高い藤本に違和感を感じながらも隣りに並んで歩く。
藤本が隣りに引っ越してきて以来、朝は毎日一緒に登校していた。
それにしても今日の藤本はおかしい。やけにハイだ。ニコニコしてるしちょっと怖い。キモ怖い。
「ね、ね、がきさん」
「なんですか?」
「少しは大きくなった?」
そう言いながら自分の胸を指す。
新垣の膝からガクッと力が抜け危うく転びそうになるところをなんとか持ち堪える。
え?なんて?今この人なんて言った?
少しは大きくなったかだって?
一日そこらの努力で大きくなるような胸があるなら世界中の女性が巨乳だよ!おっぱいパラダイスだ!
スイカップ量産で吉澤さん大喜びだよ!つーかオレにくれ!ってばか!!
「うーん、その調子ですよー」
ああ私って優しい子。
藤本は始終ご機嫌そうにニコニコ笑いながら前後に大きく腕を振る。
「こう、やって、ねっ、前後に、大きく、腕を、振ると、胸、おっきく、なるって、さっ!」
楽しそうに、嬉しそうに笑いながら腕を振る藤本に新垣はもう何も言えなかった。
目の端にうっすらと浮かんだ涙を気付かれないようにこっそり拭った。
まぁ、悲しかったり落ち込んだりしてるもっさんは見たくないしね、いいんでない?
泣いたり怒ったりなんかしないでさ、今みたいに笑っててよ。
こう、頑張っちゃってるもっさんも(それが報われる事はきっと無いんだろうけど)うん、いいと思うよ。
「ホラがきさん遅いよ!」
藤本が大きな声で呼ぶ。
いつの間にか歩くペースが違ってきていたらしく藤本は随分と前の方にいる。
だいぶ離れてしまった距離を縮めるべく、新垣はアスファルトを蹴った。
「今行きますってば!今、会いに行きます!」
「誰か助けてください!!」
「ひぃ〜とみぃ〜をとぉ〜じてぇ〜!!」
「いーから早く来い!」
―世界の中心でおっぱいと叫ぶ―
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