
世界の中心でおっぱいとさけぶ
「もっさん、もう帰りましょうよ〜」
「がきさんうるさい。まだだよ、まだねばる!糸引きすぎて真っ白く気持ち悪くなってしまう納豆のような心を持て!」
「そんな心臭くて持てませんよ・・・」
ハロモニ女子学園高等部バレーボール部部室の扉が見える木の陰に二人の女子生徒は身を潜めていた。
豆のように小さな顔に渋い表情を浮かべ一人ごちるのは新垣里沙、一年生。
今年中等部から高等部に上がったばかりのピチピチキラキラフレッシュヤングな15才だ。
彼女の周りの人間は新垣のことを豆だとかがきさんだとかニィニィだとか呼んだりする。
たまにアラガキとか言われるけどアラガキではない。アラカキでもない。ニイガキだ。
そんな彼女を配下に置いている人間がいる。
身を屈め、鋭い目を虎視眈々と光らせバレー部部室の動向をじっとそっとねばっと伺っているこの人、藤本美貴だ。
彼女は三年生。心だけはいつまでもピチピチキラキラフレッシュヤングな17歳。
立ち上がる時にどっこいしょと言ってしまうのはただの口癖だ。
季節は秋。時刻は夕暮れ。オレンジの空に烏が2、3羽。乾いた風が哀愁誘うぜ。
「ねーもっさん!もう帰りましょうって!」
新垣はイライラしている。
お腹が空いていたし少し寒かったし足も痺れてきていたし藤本の後ろからでは何も見えない。
藤本の背中ばかりを見つめもうかれこれ三時間ばかりになる。
今日の夕飯はビーフシチューだと出掛けに母は言った。早く家に帰って弟より肉が多く入るように細工をしたかった。
それができない。新垣はイライラしていた。
「まだだめだ。お前は忍耐が足りん」
藤本は背後に位置している新垣を振り返りもせずに言う。相変わらず鋭い目を光らせ一点を見据え続ける。
新垣は諦めた。ビーフシチューにより多くの肉を入れる事を。人参を取り除く事を。
もう藤本に何を言っても無駄だ。彼女が自分から動き出さない限り新垣自身もこの場から動けないのだ。
昔からそうだった。早く気付くべきであった。彼女が自分の目の前に現れた放課後の時点で気付くべきであったのだ。
新垣は諦めた。盛大にお腹が鳴り、虚しくなって溜め息を吐いた。
彼女との付き合いは長い。
新垣がハロモニ女子学園初等部に入学した年に藤本は隣りに越してきた。
以前は北海道の真ん中ら辺にいたんだと後に藤本は話した。
藤本さん一家が大きなトラックと一緒にやってきたのは金曜日の夕方だった。
隣り同士仲良くしようと初等部一年生ながら里沙は立派に思った。
越してきたばかりでこの辺りの事も知らないだろうから自分が教えてあげようと思った。
通う学校も一緒だという事で登下校は共にしようとも思った。
心を決め、次の日の朝、隣家のインターフォンをめいいっぱい背伸びして押した。2、3度鳴らしてようやくドアが開いた。
「はじめまして。私、となりにすんでるにいがきりさっていうの。よろしくね」
挨拶の言葉は手の平に書いてあった。笑顔もいっぱい練習した。その日の内に大親友になれる作戦だった。
だかその作戦が成功する事は無かった。
白いドアがゆっくりと開き、その隙間から見える人影を確認した瞬間里沙は自分の家へ逃げ帰った。
ベッドに潜り込んで泣いた。手の平に書いてあった挨拶の言葉は滲んで消えた。少しだけお漏らしをしてしまった。
怖かった。
ドアの隙間から見えたのは自分が想像していた優しくて可愛くてちょっと大人な年上の美貴ちゃんではなかった。
そこにいたのは恐ろしく冷たくて意地悪そうで尖んがってる年上の美貴様だった。
せっかく隣りに引っ越してきたのに仲良くなれないよ。初等部一年生の里沙は両親に泣きながら訴えた。
その時両親がどんな顔をしていたのか今ではもう思い出せない。
それが土曜日だった。日曜日、里沙の両親はお隣りさんの引っ越しを手伝っていた。もちろん里沙は手伝わなかった。
そしてその日の夜、晩ご飯を食べている時に里沙の母親は言った。
「里沙、明日お隣りの美貴ちゃんと一緒に学校行ってあげなさい」
里沙は目の前が真っ暗になった。スプーンを持つ手が震え、落としてしまった。
服をカレーで汚し、父親に怒られ、泣いた。
明日あの子と一緒に登校しなければならないなんて!
里沙を絶望が襲った。大好きな学校が少し嫌いになった。
何とかして明日、学校を休めないものだろうか。小さな里沙は一生懸命考えた。そして思い出した。
お父さんは牛乳を飲むとお腹が痛くなると言っていた!
そうだ、この作戦だ!これなら仮病を使って母親を悲しませる事はない。我ながら名案だと里沙はほくそ笑んだ。
そして月曜日の朝。
里沙はいつもより早く目が覚めた。一階に下りるとまず一杯目の牛乳を飲んだ。
うん、美味しい。コップが空になるとまた注いで飲んだ。それを繰り返した。
まだかな?まだお腹痛くならないかな?そうこうしているうちに牛乳パックは空になってしまった。
冷蔵庫を開けてみるが、生憎これが最後の一本だったようで、牛乳は無かった。
とりあえず沢山飲んだしいいや。
里沙はソファに座ってテレビを見ながらお腹が痛くなるのを待った。
父親は一杯飲むだけでお腹をピーピー言わせトイレと友達になっていた。
自分はそれ以上飲んだからお腹はピギャーピギャー泣いてトイレとは大親友になれるはずだ。
里沙はお腹が泣き出すのを待った。じっと待った。そっと待った。ぐっと待った。ズバッと待った。
「里沙、もう行かなきゃ遅刻しちゃうわ」
母親が里沙のランドセルを手にして玄関に立っていた。
何故だ!何故こない!
里沙は頭を抱えた。あんなに頑張ったのに。こんなのってない。酷いよ、あんまりじゃあないか!
「ほらっ!もう早くしなさいっ!」
母親にお尻を叩かれ里沙は泣いた。死にたくなった。
無理やりにランドセルを背負わされ外へ引きずり出される。
そこにお隣りさんちの子供はいた。
「ほら、お隣りの美貴ちゃんよ。ご挨拶しなさい」
母親に背を押され正面に立つ。里沙は顔を上げる事が出来なかった。
お母さん助けてよ。
心の中で叫んでみるものの母親はお隣りの美貴ちゃんのお母さんとお喋りに夢中。
里沙は眉間に皺を寄せた。どうしたらいいんだ!
「アンタ、なまえは?」
少し癖のある鼻にかかった甘い声。誰の声?空耳?気のせいかな?
「ねえ、きこえてんの?」
その言葉で里沙は気付いた。この声は自分に向けられている。と言う事は・・・?
恐る恐る顔を上げた。
腕組みをしてこちらを睨むお隣りの美貴ちゃんがいた。
「なまえ、なんてーの?」
ぶっきらぼうにつっけんどんにお隣りさんは言う。
何故か分からないが里沙は背筋をシャンと伸ばし敬礼をした(里沙は初等部一年生だったが敬礼が出来たのだ!)
「に、にいがきりさでございます!」
「ふーん、りさちゃんね」
お隣りさんは目を狐みたく細めて笑った。
それが少し色っぽくてさすが年上のお姉さんは違うなあと里沙は感心した。
それとこの人本当はあまり怖くないのかも知れないなぁとも思った。
だって改めて見るお隣りの美貴ちゃんはとても可愛い顔をしていた。声も怖くなかった。
少し偉そうだけど年上だもん、当たり前なのかもしれない。
里沙の中から恐ろしかった美貴ちゃんは消えていった。
「あたしはみきだよ、ふじもとみき。よろしくね」
美貴ちゃんは右手を出してニッコリと笑った。それはもうとても可愛くて里沙はイチコロでやられてしまった。
美貴ちゃんと握手をすると里沙の中から冷たかった美貴ちゃんはいなくなった。
目の前にいる美貴ちゃんは太陽みたいに温かい手をしていたのだ。
二人は手を繋いで学校へ行った。里沙はとても幸せだった。
学校の昇降口で美貴ちゃんと別れた。美貴ちゃんは職員室へ行かなければいけなかったから。
里沙は職員室の場所を教えてあげるとまた後でねと言って別れた。
その直後だった。里沙を悲劇が襲った。
お腹が泣き出したのだ。ピギャーどころかプロゲグギャーと泣き出した。
里沙は走った。背を丸め真っ青な顔に玉のような汗を浮かべて走った。
『廊下を走ってはいけません』のポスターは里沙が走り去った後の風に吹かれて飛んでいってしまった。
漏らしてしまうという大失態は避けたもののトイレとは親友以上恋人未満の関係になってしまった。
学校の帰りにこの話をするとお隣りの美貴ちゃんは手を叩いて喜んだ。大きな声で笑った。
笑ったけれどその後に小さな声でポツリと言った。
「やっぱりさいしょはこわかったんだ」
と。
里沙には何も言える言葉が無かった。
美貴ちゃんが悲しい思いをしているという事はなんとなく分かった。だから自分も悲しくなって泣いてしまった。
美貴ちゃんはそんな里沙の頭を撫でた。太陽みたいに温かい手で何度も、何度も。
「りさちゃんはやさしいね」
そう言って美貴ちゃんは笑った。
本当は悲しくて泣きたいのに涙を我慢している美貴ちゃんを里沙は大人だなあと思った。カッコいいなあと思った。
里沙はお隣りの美貴ちゃんの事を好きだと思った。
そんなこんなで仲良くなり初等部、中等部と共に進み今現在は高等部に在学する二人。
二人とも少し大人になり美貴ちゃんはもっさんだとかミキティだとかになり、里沙ちゃんは豆だとかがきさんだとかになった。
ぐぅ〜・・・
また新垣のお腹が鳴いた。お腹が痛いわけではない。お腹が空いているのだ。
オレンジ色だった空は上の方から紺色のグラデーションが掛りはじめている。
「もっさぁがっっ」
もうそろそろ、いい加減もういいだろうと新垣が口を開いた瞬間その口は藤本によって押さえられた。
鋭い瞳は宝物を見つけた冒険者のようにキラキラと、否、獲物を見つけた獣のようにギラギラと光っている。
「静かに。騒ぐなよ」
藤本は絶対零度の冷たい視線を新垣に向けた。
分かった分かった騒がないから手を退けて息が。
必死の形相でアピールすると藤本は手を離した。大きく深呼吸をする新垣。
さっきので脳細胞が何個か殺られてしまった。冥福を祈る、我が細胞よ。
肩を落とす新垣をよそに藤本は唇を歪めて笑った。
その視線ははバレー部部室に注がれている。
「今日こそは逃がさないよ・・・よっちゃん」
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