
だんまり小春
小春は喋らなくなった。ある日突然。
家族とも、一緒に仕事をする仲間とも、学校の友達とも。
小春はだんまり小春になった。
小春は一緒に仕事をしている仲間、モーニング娘。が大好きだった。
その中でもリーダーをしている吉澤の事が大好きだった。
お父さんみたいで、お母さんみたいで、お姉ちゃんみたいで、大好きだった。
その吉澤がもうすぐ卒業してしまう。モーニング娘。からいなくなる。
それが小春は嫌だった。もう、泣きたくなる位に嫌だった。
だから小春はだんまり小春になった。
藤本がある日怒鳴った。
いい加減何か言ったらどうなの。
私たちとは喋らなくてもいいよ。
でも歌も歌わない、コメントもしない。
アンタはモーニング娘なんだよ。
お給料もらってるんだよ。
仕事くらいちゃんとしてよ。
藤本は吉澤がいなくなった後のリーダーになる事が決まっていた。
だから少し焦っていた。小春がこのままではいけない。
小春がこのままでは、モーニング娘。がいけない。
リーダーになるだとか、そのような事を抜きにしても藤本は小春の事が心配だった。
藤本は吉澤と一緒に小春の事を可愛がっていた。
小春は自分たちには懐いていてくれていると思っていたし、それが藤本には嬉しかった。
それがどうした事か最近の小春は黙ったままで、何も喋ってくれない。
いつも下を向いて、自分たちと少し距離を置いているように感じる。
それが藤本は悲しかったし、少し腹立たしかった。
だから仕事が終わった後、小春だけ残して、怒った。
小春はそれでも黙ったままだった。
藤本が大きな声を出した事に驚いてか、最初に一度肩をビクンと揺らして顔を上げたが、その後また俯いてしまった。
小春は黙ったまま俯いて、何も喋らずにただ立っていた。
藤本は小春が何も言ってくれないので、自分もどうしていいのか分からなくなってしまった。
なので藤本も小春と同じように黙ったままになった。
あれ、何してるの。
そろそろ気まずさも限界だ。
そう藤本が感じ出した頃、ドアが開いてのんびりとした声が聞こえた。吉澤だ。
小春も顔を上げる。だが吉澤の顔を見るとすぐに目を逸らしてしまった。
それに気付いたのか吉澤は困ったように笑う。
よっちゃん。
藤本が声をかける。
吉澤は柔らかく笑って頭を掻いた。
いやー、スゲー静かだったから誰もいないと思ったら二人いるんだもん、ビックリしたよ。
吉澤は何でもないように言ってそのまま部屋を出ようとする。
ちょっと待って。
それを藤本が引き止める。
背を向けたまま頭だけ振り返って吉澤が頭上に?マークを浮かべる。
小春。
藤本の声に小春が大きく反応する。
その様子に吉澤は困ったような表情を浮かべる。
藤本はそんな二人を見て、フンと鼻から短く息を漏らした。
私、トイレ行ってくる。
小春と吉澤を残して藤本は足音大きく部屋を出て行った。
バタン。
ドアの閉まる音が大きく響いてその後静寂が訪れた。
黙ったままの小春と吉澤。最初に動いたのは吉澤だった。
まぁなんだ、立ったままじゃ疲れるし座るか。
吉澤は最近の小春が何も喋ってくれないのを知っていたので独り言のように呟いた。
それでも小春はその吉澤の言葉に小さく頷き、吉澤とは少し距離を置いて椅子に座った。
椅子に座り長く息を吐く吉澤。小春は相変わらず黙ったままだ。
吉澤は上を向いたり左右をチラチラ見たり脚を組んだり崩したり落ち着きがない。
やがて何か諦めたように頭を軽く振ると小さく溜息を吐いて顔を上げた。
その視線の先には俯いたまま小さくなっている小春。
小春。
吉澤の柔らかい呼びかけに小春は恐る恐るといった感じで顔を上げた。
吉澤はやんわりと笑う。
おいで。
腕を広げる。小春の目には動揺が隠し切れない。
吉澤は腕を広げたままただ静かに笑っている。
小春は動けない。
椅子に座ったままそれでも顔だけはしっかりと上げて吉澤を見つめている。
吉澤が動く。
椅子を離れ、歩み寄ってくる。静かに一歩一歩。
小春。
もう一度静かに、囁くように呟いて吉澤は椅子ごと小春を抱きしめた。
小春の目に動揺はもうない。
じわぁっと涙が浮かび、その後小春の視界は吉澤の体に覆われた。
小春。
吉澤が呼びかける。
吉澤さん。
小春は久しぶりに声を出した。
吉澤が椅子に座っている。
その膝の上には小春が座っている。
吉澤の腕は小春の体の前で軽く組まれている。
ぽつぽつと、二人は小さな声で会話する。
小春は吉澤さんの事が好き。
小春は吉澤に体を預けたまま呟くように言う。
知ってるよ。
吉澤は小春の頭の上に軽く顎を乗せて笑みを浮かべる。
お姉ちゃんみたいだし、お母さんだし、お父さんだし。
お父さんって何だ、私コレでも女だよ。
吉澤は小さく笑う。小春もそれにつられて少しだけ笑う。だけどそれは吉澤からは見えない。
吉澤さんはぁ、小春の家族。
小春の体の前で組んでいた腕を解き、小さな頭を撫でる。
だからぁ、小春は吉澤さんが卒業するのが凄く嫌。
小春はそう言って俯く。頭を撫でていた吉澤の腕が止まった。
最近喋ってくれないのはそのせい?
小さな声で吉澤が伺うように聞いた。
小春は小さな頭をコクンと動かす。
何でよ、喋ってくれるくらいいいじゃん。嫌われたのかと思ってた。
言葉の端に笑いを含めながら吉澤が言う。
お喋りは楽しいけど、楽しい時間ほど早く過ぎちゃうんだもん。
小春は小さな声で、頬を膨らませながら言う。
あーそっか、なるほどね。小春頭良いね。
吉澤は素直に感心する。
歌は何で一緒に歌ってくれないの?私は小春が一緒に歌ってくれなくて寂しいよ?
小春の頭を撫でながら吉澤は優しく問う。
だって、歌を一回歌うごとに、吉澤さんと一緒に歌える回数が減っていくんだもん。
小春は足をブラブラ動かしながら答える。
子供だなぁ。
吉澤は小春の頭を顎で小突いた。
子供じゃないもん。
小春は呟いて吉澤の膝の上から降りた。
小春は子供じゃないもん。
ムキになったように顔を少しだけ赤くして口を尖らせる。
そーゆーところが子供だよ。
吉澤は悪戯っ子の笑みを浮かべた。
すると小春は黙って吉澤を睨みつけたまま、大きな目から静かに涙を零した。
小春?
立ち上がって吉澤が声をかける。
小春は何も言わずにただ黙って吉澤を睨んでいる。
吉澤は頭を掻いて、目の前の小春を見つめた。
子供じゃないもん。
小春は呟いて吉澤に体当たりを食らわせた。
突然の事で受身が取れなかった吉澤は小春諸共床に倒れこむ。
子供じゃないもん子供じゃないもん小春はもう子供なんかじゃないもん。
吉澤の上に跨って小春は目からポロポロ涙を零しながら吉澤の肩をポカポカと殴る。
わかった、わかったよ小春。
吉澤が拳を避けようと腕を出すと小春は殴るのを止め、そのまま吉澤の上に突っ伏して大きな声で泣き出した。
楽屋には小春の泣き声だけが聞こえている。
床に寝転がったまま、吉澤は体の上の小春を静かに撫でている。
その目から一筋の涙が零れた。
小春。
ようやく静かになった部屋に吉澤の小さな声が響いた。
小春は吉澤の胸に顔を押し付けたまま動こうとしない。
ちょっと背中痛い。
吉澤が言うと小春は顔を伏せたまま吉澤の上から退いた。
体を起こして肩を回し、首を鳴らしながら吉澤は胡坐を掻く。その傍らで小春は立っている。
吉澤の目には小春のすらっとした長い足が映る。その脛のあたりをそっと撫でた。
小春。
呟いて吉澤は項垂れた。体育座りの状態で小さくなる。
吉澤さん。
声が聞こえて吉澤の頭を小さな手が撫でた。
小春はもう、子供じゃないです。
頭上高くから落ちてくる声。
知ってるよ。
小さな声で答える吉澤。
だけど、子供でいたいです。
分かってるよ。
俯いたまま答える吉澤。
吉澤さんと、ずっと一緒にいたいです。
それは無理なんだよ、小春。
消えてしまいそうな声。吉澤は今にも泣きだしそうな顔で上を向いた。
見上げた先にいるのは小春。
小春は唇をキツク噛み、目を閉じていた。
立ち上がってそっと抱きしめる。
ずっと一緒には、いられないんだよ。
小春は吉澤の背中をギュッと掴んだ。
ごめんな。
呟く吉澤に小春は体を押し付ける。
ごめんね。
吉澤は小春の頭をそっと撫でた。
二人並んで椅子に座る。
吉澤の右手は小春の両手に弄ばれている。
あたしがいなくなると寂しい?
からかう様に吉澤は小春に聞く。
当たり前。
小春は足をピーンと伸ばしてつま先を見ながら言う。
そっか。
呟く吉澤を小春は横目でチラリと見る。
でもあたしは小春と喋れない方が、歌えない方がもっと寂しいな。
口を尖らせて拗ねた子供のように吉澤は言葉を吐く。
だって。
俯く小春。
あれ?小春はもう子供じゃないんでしょう?
吉澤の言葉に小春は目を大きくして、その後に吉澤を睨む。
小春の視線を痛いほど受けながら吉澤は小春の頭を引き寄せる。
小春は目を閉じる。
吉澤の体温を感じる。
吉澤を感じる。
そろそろいいか。と、藤本が戻ってきた時、部屋に小春の姿はなかった。
吉澤が一人椅子に座って、目を閉じたまま音楽を聴いていた。
よっちゃん。
肩を突くと目を開いて、イヤフォンを外す。
遅かったね、大きい方?
吉澤はニヤニヤ笑う。
小春は?
ニヤケ顔を軽く叩いて吉澤に尋ねる。
さぁ。
吉澤は肩を竦めて立ち上がる。
ちょっと。
腕を掴んで引き寄せる。
小春と、何か話した?
真剣な表情で問う藤本に吉澤はやんわりと笑う。
小春なら大丈夫だよ。
怪訝な顔で藤本は吉澤を伺う。
吉澤は何があったのか嬉しそうにニコニコしている。
その柔らかな表情は何かを語っているようで、でも藤本には読み取れない。
まぁいいか、と藤本は小さく息を吐いた。
さ、帰るべ。
吉澤に促されて楽屋を後にした。
一緒に歩いている途中で吉澤がポツリと言った。
リーダー、次頼んだよ。
藤本の頭の中でその言葉が何度も何度もぐるぐると回った。
小春はだんまり小春を止めた。
小春はもう子供じゃないのだ。
家族とも、仕事の仲間とも、学校の友達とも喋るようになった。
歌も歌うようになった。
その残り回数は確実に減っていってはいるけれど、小春は歌っている時が楽しい。
吉澤と一緒に歌っている。それが小春は嬉しい。
歌い終わると吉澤は頭を撫でてくれる。
皆と喋っていると吉澤は嬉しそうな顔をする。
目が合うと吉澤は笑ってくれる。
だから小春はだんまり小春を止めた。
吉澤さん。
お、小春。
小春が呼びかけると吉澤はすぐに反応する。
振り返って小春の頭をグシャグシャと撫でる。
わーやめてー。
口ではそう言いながらも小春は笑顔だ。
一頻り小春を弄り倒すと二人は人気のない場所へ移動する。
小春が顔を寄せて小さな声で囁く。
吉澤さん、小春今日も頑張ったよ。
吉澤はうんうんと頷く。
ご褒美は?
首を傾げる小春にそっと顔を寄せる。
人気のない一角で二人は重なる。
リーダー、次頼んだよ。
藤本の頭の中でぐるぐると回っていた言葉。
ふーん、そういう事。
藤本はチラリと見えた二人の影に小さく呟いた。
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